USで大学に通っていた頃に書いた文章です。

勉強の本質

勉強:(1)学問や技芸を学ぶこと。学習。(2)ある目的のための修業や経験をすること。(3)(商人が)商品の値段を安くして売ること。(4)物事にはげむこと。努力すること。(5)気が進まないことをしかたなくすること。

私はこの5つとも全部かなり好きです。あ、掃除の達人になる技芸を学ぶのは遠慮しておきます(笑)。ただ、気が進まない掃除を、たまに泣きながらやっています。泣いてやる気を起せるなら泣いてでもやるのよ・・・。

勉強の本質とは、
1. 自分を向上させるため
2. 人類の英知を進化させる手助けになる謙虚さを持つ機会を何度もなんども持てるから
3. 社会生活を上手に循環させることで自分も周りもラクになるから
↑言い切っていいのか?>いいんだと今の私は思います。

じゃ、なんで、義務教育中にそんなことを誰も教えてくれなかったんだろう?バカ教師にも当たりましたが、私が習った先生はそれなりにユニークで、今でも思い出せる人たちがたくさんいます。バカ教師たちは、「いい学校に進学するため」「いい会社に入るため」「受験戦争で苦労しないため」「社会のため」となんだか愚かな回答をしてたもんです。ユニークでステキだった先生のなかに、小松先生という理科の先生がいました。彼は授業をすべて、イロハをカタカナできちんと書くことや、あいうえおをきちんと書くことなどに費やしたことがあり、読めなければ採点もできないし、読む相手に対してとても失礼だと諭してくれました。さらに、ふたりだけでコピーマシンの前に立ち、それが壊れたときに、「なぁ、こんなすごい機械を発明する人たちがいるっていうのに、どうして壊れたことで焦って、直せなかったり、冷静に説明書を読んでもわからないんだろうね?」と真剣に語りかけてくれたことがあります。「発明する人間になれなくてもいいから、せめて、仕組みがわかってモノに使われない人間になってくれよな」と。ご引退前には、校長先生になったと風の噂で聞きました。

私には子どもがいませんが、いろんな子どもたちに「勉強はどうしてするの?」「どうしてそんなに年なのに学校行ってるの?」と聞かれると、上記の本質的な答えを、彼らのボキャブラリーに合わせて答えることにしています。しかも、肝心なのは聞き手に身近な例をくっつけることですね。でないと、理解しようとするAttention(注意力)をもらえず、どんなにいい説明をしても、まったく扉が開きません。聞き手参加型の話し方をしなければ、残るはずのステキな説明も頭に残らないです。

私は、何度か書いてきたように、机の上で勉強をきちんとした記憶はありません。が、今でも小学校のときに習ったことなど、さらさら頭の中から出てきます。高校以降の複雑になる勉強は、大学にUSで入りなおし、教養課程でBrush-upしたせいでしょうが、日本の義務教育の勉強はその当時にきちんと習ったものが積み重なってきていたという自負はあります。

好奇心を持ち、質問することを恐れず、質問する前に自分なりに調べて考えをまとめないと、私の周囲の大人は、私をきちんと扱ってくれませんでした。仕事が忙しかったのと、面倒くさかったからです(笑)。母の得意文句は;「きくみが調べたんならそうなんでしょ。学校でもう少し経ったらちゃんとやるよ」くらいで、ケンカの話や遊びの話は聞いてくれましたが、J.F.Kが暗殺されたいきさつなどについては、TVで何がやっていたかということだけを一方的に話していたものです。かたや、父は事実を事実として話さず、自分のモノの見方を付け加えてしまう偏った困った人でした(笑)。私に今でも、「あんた左ぎみ?」と思われる要素があるのは、彼からの影響があるのかもしれません。

私にとって勉強が楽しいのは、この3つの本質を心と頭でエンジョイできるからだと思います。

勉強の本質2