[1999年08月06日(金)]に書いた文章です。年末年始、出費が多いことや、クリスマスがあること、お年玉があることなどで、自分の物欲について考えてみるといい時期かもしれません♪

 

小さい頃の私には物欲にからめとられるだけの環境がありませんでした。イマドキの子はそういう意味でちょっと違うスタートなのかもしれません。が、よくよく考えると、江戸時代や平安時代に生まれなかったので私だってその時代の人から見れば「ったく、イマドキの子は」なんて話になっちゃいますね。

しかし!ここで切りのない果てしない話をしていても、想像をはせていても、考えがぐちゃぐちゃになるだけなんで、ちょっと体系的に考えてみたいと思います←結局私のやっていることってこんなもんですね、いつも・・・。

どこかに書いたことがありますが、私が小学校3年か4年だったかのときに近くに住んでいた華僑のおじさんに言われたことがあります。私は今でもそれをものすごく信じていて、物欲との闘いは未だに続くのです。

その頃、横溝正史の明智探偵シリーズ子ども版を読破しようと図書館に通い続けていた私にわからないボキャブラリーがあって、成城や軽井沢や古い洋館が舞台になるなかに、よく「華僑」という言葉がありました。で、母親は「OOのおじさんみたいな人のこと。中国から来た人よ」と実に簡単な説明をしてくれました。でも何で自分の国から日本に来たのかわからない。どうしてだ?と思う好奇心は余計に膨らむばっかでした。

で、私はそのおじさんに直接聞こうと決意するわけです。みんな怖くてそばに寄れないんだけれど、私もちょっぴり怖かったんだけれど、好奇心のほうが勝ってしまいました。近くに野川という小さな上水みたいな川があったのですが、そのおじさんはよく小石を集めていました。その理由もよくわからなかったんだけど、いっしょに集めてみることにしました。で、おじさんに「はい」とあげると、おじさんは「ありがとう。でも違うんだ、こういうのが欲しいんじゃないんだ」と説明してくれて、何となくわかるようなわかんないような小石収集が始まりました。

子どもながらに時期を見計らった私におじさんは華僑の説明をしてくれました。おじさんは日本で生まれた華僑じゃなくて、小さい頃に日本に来た中国人でした。いろいろなモノを全部あきらめて自分の故郷を棄てたと言うのですね。その細かい事情は省きます。とにかくなかよしになりました。自分の想い出話をするおじさんが泣くところも見て、母が私にやってくれるように背中をさすってみたのですが、あまり効果はなかったようです。

川っぺりで夕焼けをバックにしわだらけの歯の一部ない顔で、おじさんの哀しそうな顔を見て途方に暮れた私におじさんは言いました。

「これから言うことをずっと先まで憶えておいておくれよ」で始まったその教訓はおじさんの生い立ちを聞いたあとの私には、胸にずしんと響くものがありました。

「形のあるものはいつか失くなってしまう。家だって火事になったらおしまい。食べ物だって食べればなくなる。洋服だって宝石だっておもちゃだってたくさん持っていてもひとりじゃ運びきれないよ。それにいくつも持ってたって身体はひとつなんだから使えないんだよ。じゃ、何を持っていたらいちばんいいと思う?」

私は「じゃぁ家族。ママとパパとかずくん(弟)。あとOOちゃんとXXちゃん(友達の名前)・・・」などと人の名前を挙げました。

「でもねぇ、そういう人たちともいつもいっしょに居られるわけじゃないんだよ。いっしょに居られたらいちばんいいんだけど、いろんな難しいことがあっていっしょに居られなくなることもきっとあるんだよ」と。

「じゃ、何を持ってればいいんだろうね?」

「絶対に失くならないものだよ。生きている限り、絶対に自分から失くならないもの。丈夫な身体と心。それに勉強してたくさんのことを憶えること。アタマと心のなかに入ったものは誰にも取られたりしないし、泥棒から盗まれたりもしないから」

とおじさんはできるだけ私にわかりやすいように話してくれました。おじさんは「たくさん本を読んでる?」とか、「今日の図工は何をしたの?」と質問してくれて、私が話すとそれはそれは楽しそうに顔をくちゃくちゃにしました。でも子どもは無責任すぎます。私の川っぺりに行く足が遠のき、おじさんと逢うことも少なくなり、さよならも言えないままにおじさんとはずっと逢えなくなりました。

小学生ながらも「いっしょにいられなくなるってこういうことなんだな」と思いました。祖母が死んだときと同じくらい哀しくてやるせなくて不思議な気持でした。母は「だいじょうぶ。おじさんはどこかで元気にしてるから」と言いましたが、私は「でも私とはいっしょに遊べないんだよ」とどうしても納得しませんでした。

けれども私は「アタマと心につめこむもの以外にこだわるのはやめよう」という努力はしました。元々持ち物なんかロクになかったのだけれども、それでも豪気にものをあげたり、食べ物を分けたりして、みんなと分かち合ったときのみんなの笑顔や、いっしょにいるときに話したことや、お誕生日を憶えたり、遊びのルールや漢字や言いつけを憶えること、そういうことに時間を使いました。

それでも時々ひもじいので欲張って、弟に隠れて余分にお菓子を取っておいてあとから自分で食べようと裏でこそこそしていると、おじさんの顔が思い浮かびました。「そうか、このお菓子も食べちゃえば失くなるんだ。どうせ失くなっちゃうんだから誰が食べてもいっしょだな」「今ポケットに入れておいてもやっぱりいつか失くなっちゃうんだ。アタマと心には入っていかないんだ。お腹に入るだけだな」と思い直してみたり、おじさんから教えてもらったことはずっとついて廻りました。

アルバイトを始めてお金が入ってくるようになって、無形ではなく有形のモノをやたら欲しくなりました。お洋服や下着や化粧品に鞄に靴。もう闘いですね。無かったものでもお金という力で手に入ると思うと、本当にその力を使いたくてたまりませんでした。それでもまず先に本を買い、心のなかでおじさんに言うのです。「ほらね、アタマのなかに入るものを先に買ったよ」と。で、言い訳しながらお洋服や化粧品を買いました。「だってこれは必要なんだもん。使うものだもん」と。

30年近く経った今でもこの風景とおじさんの言葉は私を縛ります。が、ゆえに、私は消耗品のバーゲンになるとアドレナリンをたくさん分泌させることになるのです。たとえ一瞬でも幻想でもいいから、何かを持ちたいときに、どうしても形あるもの・目に見えるものにまだまだ囚われるブッタの道を行けないわたくしです・・・。

物欲1