[1999年08月02日(月)]に書いたエッセイです。

2年ほど前に私は「初恋の人」の実家に手紙を出した。渡辺淳一の失楽園が日本で流行っていた頃である。17年前からの突然の訪問者なんてとってもおもしろいなんじゃないかと。

中学3年の卒業式以来一度も逢っていない トッポ・ジージョに似た背の高い、とっても冗談のおもしろい男の子だった。別段男前ではなかったけれど、とてもユニークでおどけた暖かい顔が好きだった。私が彼に恋をしたのは、小学校5年2組の2学期で、人気のある数人の男の子を私の班(←なつかしい言葉ぁ・爆)で独占してしまった。くじ引きだったので、誰も文句が言えないまま、席替えになった。

小学校2年と4年のときにも好きだな☆という子はいたんだけれど、どきどきのマグニチュードがまったく違った。「いっしょに遊びたい」「手をつなぎたい」ではなくて、小学校5年、たったの10歳の私は、彼の将来が見たいと思った。私がそばにいなくてもいいから、彼が将来どういう男の人になるのか、見てみたいと心から思った。だから私の初恋は彼なのである。

班のなかでさらにくじ引きをして、私はWくんの隣りになった。1学期にいっしょに学級委員になって2学期からはいっしょに放送委員になった。私が追っ掛けしたわけじゃなくて、本当に偶然だったのである。授業なんかあんまりおもしろくなかった。彼の隣りに座って、彼の筆箱や消しゴムでの消し方や鉛筆の持ち方を見ているのが本当に楽しかった。彼の席の右上、私の席の左上に四角を書いて、そのなかに数字を入れた。手をあげて発言するたびに、その数字は増えていく。1週間で勝ったほうが遊びの種類と場所を指定できるとか、秘密をひとつ聞けるとか、そんなくだらない遊びだったと思う。

お兄さんがいる彼が話すビートルズの話、当時流行っていたローラースケートゲーム(憶えてる?東京ボンバーズとか)の話、ノストラダムスの大予言の話 なんかで、Wくんの冗談の質のさらさら音とと頭がくるくる回転する音が聞こえてきそうだった。

彼の指はとても細くて長かった。その彼が何かをするところを見ているのはとても楽しかった。朝礼のときにマイクのコードをくるくるとまとめたり、ボールを扱ったり、給食前に手を洗うところを見るのも好きだった。

好きだなんてカケラも言えなかった私は、そぶりも見せられなかったあまのじゃくだったので、他のクラスのかっこいい男の子と交換日記をしていた。その子のことを数度Wくんに聞かれて、「うん、楽しいの。おもしろいの」と何てクールだったことか・・・。私は愚か者だったので、交際らしきものを申し込まれるととりあえず手紙の交換をしたり、公園や図書館で遊んだりしちゃう子だったのだ。で、「ん?あんまり好きじゃないぞ」と思うと遊ばなくなるような、とても単純な子だった。

Wくんが小学生なりにつきあおうとか先に言ってくれたらしあわせなのになぁ、なんて馬鹿なことを考えつつ、他の子を断る大きな理由にもならなかったのは、私はWくんは「みんなのもの」のほうがいいなと心底思っていたからだ。それくらい彼には価値があると思っていた。ひとりの女の子が一人占めなんかしちゃだめだと。そんなの神様だって許すわけないぞ、と。

卒業文集に彼は「日本脱出」と大きな文字で一言書いた。私の心にその言葉は呪縛のように埋め込まれた。

楽しい楽しい小学校を卒業し、私たちの小学校の生徒は全員同じ中学に行く学区になっていた。Wくんとは違うクラスになり、それでもまぁ、見れるからいいや、とのんきにかまえていたら、私と同じクラスのバスケット部の子が交際を申し込んだと言うではありませんかぁ!しかも私はその子となぜか「つるまない静かななかよし」だった。何となく男の子にモテる子同士で牽制しあっていたとでも言うんだろうか?距離を置いたなかよしだった。その後3年、私は相談を受けたり、想い出話を彼女に披露することになる。

彼らは中学3年を通してずっと交際を続けた。楽しそうだった。同じバスケット部でWくんは輝くほど上手ではなかったけれどレギュラーで、その友達はキャプテンで。卒業してから彼女から、Wくんと別れた話を聞いたけれど、私は「あまのじゃく・申し込まれたら誰でもつきあってみる状態」をずっと続けており、Wくんと逢うこともなく歳月が流れた。

それでもずっとずっとWくんは私の大切な人だった。

ことの起りはUSチャットで知り合ったウィットに富んだ2つ年上の男の人が、故郷のオハイオにひさしぶりに帰る、同窓会がある、という話だった。少しだけ私はWくんのことを思い出した。彼がオハイオから戻ったあとのIMで、彼の初恋の人が彼に向かって”Why didn’t you ever tell me that you liked me. I always liked you.”(「私もあなたのことずっと好きだったのに、どうして言ってくれなかったのよ」)と怒っていたという、おもしろい話を聞いたからだった。

“But I was really really happy that I got to know that she, very beautiful, interesting, spakling girl, actually liked me! I could live happily another three months because of this.”(「でもねぇ、とってもうれしかったんだよ。あんなに美人でおもしろくてキラキラしている子に好かれてたなんていう事実を知ることができただけで、僕はあと3ヵ月は楽しく暮らせるなぁ」)と彼は言った。”How about your first love?”(「君の初恋の人は?」)と聞かれて、”Oh, he would never know that I liked him.”)「あ、彼も絶対に私が彼のことを好きだったなんて知らない」)とその場で答えた。”Then, why don’t you let him know that, and make him another happy guy on this Earth.”(「じゃ、ぜひ知らせてこの世にもうひとりしあわせな男をつくりださなくちゃ」)と彼は答えた。

しばらくWくんのことを考えていて、手紙を書き始めた。あまり長くなく、かといって意味の通じないモノではなく、主旨をはっきりさせて書きたいと、頭をかかえつつ書いた。便箋を何枚も何枚も破いて丸めて棄てた。

連絡先がわからないので、母が調べてくれた実家の住所に出した。「住所不明のため~」「転居のため~」という郵便は1ヵ月経っても戻ってこなかった。

半年後、インドネシアからたくさんのスタンプが貼ってあるエアメールが届いた。Wくんからだった。中学を卒業してからのまるっきり大雑把な時間の経過とその感想、彼の初恋の相手も私だったということが書いてあった。結婚していることも書いてあり、彼はこの先彼の人生がどうなるか予想がつかないことも書いていた。

最後にはっきりと力強く、「生きていていつか必ず逢おう」ということと、「この初恋が相思相愛だったことは、地球がひっくり返ろうとも動かせない事実です。この事実からもらえる元気をありがとう」と書いてあった。

彼の住所もE-mailアドレスもなかった。私の相思相愛の初恋の人はまた行方不明になった。地球はひっくり返るだろうか?その前に私は彼に逢えるのだろうか?

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日本に戻ってきたあと、彼と連絡を取るということはなく、探してもいない状態なのですが、そろそろ探してみてもいいのかな(笑)。んー、もうちょい著作などが増えてから、などとも考えてしまうのですが、逢えないだろうなぁとは思ってもいるのです。なつかしい気持はこうして募るわけですね(笑)。けれども、ふたりとも日本脱出しててよかったです♪

 

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