10年以上前に書いた文章です:師走だから手抜きをしているわけではありませぬ!膨大な数の文章をどうしても、このサイトに保存したいためなのです。1,300ほどあるので、ちょいちょい登場します。

前にもちょろっと書いたかもしれませんが、よく「できることなら何歳に戻りたい?」という仮想質問が飛び交うことがあります。夕べもTomというミシガンに住む男性に “Where in the world would you like to build your dream house if money wasn’t the object?”(「もしもお金に制限がなかったら世界のどこに夢の家を建てたい?」)と質問して悩ませていたおおだいらです♪(^○^)>ちなみに彼は南仏でした。前の会社で20回以上出張に出向いていて、南仏まで足を伸ばしてバケーションをよくしたんですって♪そもそもこの質問は、カラオケの画面で透き通ったきれいな海を見たからなのでした>連想ゲームはこんなときでも続いているアタマであった…。

ちなみに読書中の西さんに質問したところ、「別に戻りたいとは思わないね」でした。理由は、「かなわぬことを思ったってしょうがないじゃん。今あるものを大切にするのよ」でした。←鹿児島弁のイントネーションが伝わらなくて残念である。(>_<)

何歳に戻りたい

けれども、ゆうべの質問には、「スペイン」と答えていたので、スペインに夢の家を建てることは可能なターゲット範囲だと思っているらしい…。まぁ、別荘だっていいんだし、カトマンズとか答えなくてよかったなと思う。チョモランマで遭難でもされた日にゃぁ、ちとたいへん♪(・o・)

たとえそれがかなわないとしても、私は仮想ゲームがかなり好きです。
>もしも1億あったら。
>もしも男に生まれていたら。
>もしも理科系に小さい頃めざめていたら。
>もしもオリンピック級のスポーツ選手だったら。
>もしもガン家系ではなかったら。
>もしも日本人に生まれていなかったら。
>もしも戦中に生まれていたら。
>もしもうどちゃんと近所のネコに生まれていたら。
>もしも安保や大獄事件に巻き込まれていたら。
などなどと、果てしない「もしも」遊びは続きます。その都度、ちゃんと私なりに答えが出て来ていて、その答えは時間が経過してもそうそう変化していなくて、それもまたおもしろいことです。←多少はもっと具体的になっていたりとか、可能性がより広がっていたりとかね。でも確実に肉付きがよくなっているって感じで、明後日の方向でない確率が高いです。

私の幼少時代は決して誰かが羨ましがる種類のものではなかったと思います。けれども今私が考えるに、とてもとてもしあわせを招く環境と事件に満ち溢れていたと思うのです。今でもそれは続いています。しあわせになれないとはまったく思ってないし、今でも8分のしあわせは常に感じていて、足りないものに向かっていける前のめりな態度があるのは、やはり子どもの頃からの慣れや当時の学習の獲得から来ていると思うのですね。

あの事件があって、あのときと違うことをしていたら、と仮想することはあります。けれども、どう考えても違う選択をしていたとは思えないわけです。それは私が聖人のような完璧な選択をしてきたからではなく、その失敗をしなければ私は今の私にたどり着けなかったからです。ええ、ええ、散財もしました。馬鹿なこともやりました。たくさんの場面でたくさんの人を傷つけてきたし、ケンカも大袈裟なのをたくさんしました。たくさんの人に死なれたし、たくさんの生命の誕生も見ました。すべきだとわかっていることも何度となくスキップしちゃいましたし、やりすぎて失敗も招きました。肩に力を入れすぎたり、のんびりしすぎたり、調整が効かないオロカモノに成り下がったことも千回や一万回では足りないことでしょう。こんな年齢になってまで、ネットでの見えない実体があるのかないのかわからない論争やイメージや悪意にもならない人間の性や業がクリアに説明できずに、Self-presentation(自己表象)を大失敗してしまった、というのも数度あります。でもそれらも必ず無駄にならずに糧になっているし、なかったもの、として処理して忘却するつもりはありません。

失敗や挫折を恐れない自分になれたことが宝物であると思っています。誰かの顔色を窺いすぎないことがアダになることもあります。けれども私はそれを出発と考えます。Guess Game(推測ゲーム)をやっているほど私には時間がないように思うのです。せっかちと言われるゆえんもここにあるかもしれません。コミュニケーションの過剰というのはあまり目の当たりにしませんが、不足というのはしょっちゅう見ます。サイキックになれと言われてもムリなものは無理です。人がそれぞれ感性が違うのは、尊ばなければなりません。引っ込まれてあとで恨まれるよりも、「何でも言ってね」が得策です。私も他人に期待して恨みたくないので、フランクにコミュニケーションします。押しが強いと誤解されても仕方ないことです。

まちがいから学ぶことはおそろしく大きいものです。少なくとも私はそうでした。何度も同じ失敗をしたらやはり私のやり方が間違っていたのだと降参せねばなりません。けれども失敗しなかったらわからないことも多かったと思います。そうやって少しずつ共感することを学び、自分で失敗せずとも臨場感を得ることができるようになってきたと思います。

やりなおしたいことは大筋としてはありません。同じ、あるいは似たような系統の選択をしていたことでしょう。今と同じ智恵と知識と感情幅とコントロールを持っていたとしても、私は何歳にも戻りたくないですね。あんなに一生懸命だったことをもう一度やりなおすと思うだけで、ため息が出て来てしまいます。(・o・)←おばば発言なのか?

戻したいものは年齢でも環境でもなく、強いて言うなら体力ですか…。フィジカルな重力に負けないおっぱいや筋肉とか。(-_-;)

でもそれは身体のことで、私は生命力の強さを強く信じているので、ある程度までならいくらでも戻せるような気がしています。新陳代謝が落ちてしまった身体機能を戻すこと、それに成功すればたいていのことは可能じゃないかと思っています。もちろん私には決定的な心肺機能や血液やホルモンの病気がないから言えることです。持病がありますが、それも長年のデータ集めと実践がもたらした自信があり、それに支配されずにうまくやっていくことは可能であると思っています。

フィジカルに年を取ることは、メンタルに充実することにしたいと思っていますが、それに対して抵抗することはあきらめません。あきらめることが自然なことかどうか、というのはその人の考え方にもよりますが、私はあきらめないことが自然なような気がするのですね。

こうしていろいろなことがクリアになると、どうもやっぱり年は楽しくとって行きさえすれば、べつだん若い頃に戻らなくてもいいんじゃない!ということになります。あ、ひとつだけ大きな後悔はありますね。10代のときに、10代の男の子ときちんとつきあってこなかったこと(爆)。私は同い年の男の子と高校生を過ぎてからつきあったことがないのです。なぜかいつも年上で(昨日のFabに繋がっていますな♪)、それでも特筆すべきなほどの年上でなかったことがあります>2・3歳とか6歳とか。9歳がいちばん大きい年齢差かなぁ。で、今の体質や考え方でいくと、もう10代の男の子とは到底恋愛などできるわけもなく、これは果たせぬこととなりました。(>_<) でも、やっぱり既に20代の男の人とはおつきあいできないだろうしなぁ>特例はあるかもしれないけど…、そっちが私を選ぶとも思えないし。(-_-;)

と言うわけで、あなたは何歳の頃に戻りたいですか?もしも中学生や高校生に戻してもらっても勉強を一生懸命しないだろうか?するなら戻ってみるのもいいかもしれないです。今日のテーマのおススメ映画は、Peggy Sue Got Married(邦題わからず)です。キャサリン・ターナーとニコラス・ケイジ(まだ髪がふさふさ♪)主演の映画です。見てみてね♪