[1999年07月31日(土)]に書いたものなのですが、あまりに寒いので夏を感じていただければ、と念じて。

 

夏っていう体感がないんだけれども、北海道に住むある人に「海の幸がだめならばぜひぜひジンギスカンをどうぞ」なんて誘われちゃって、メールのお返事を書いていたらばんばん思い出があふれるようにアタマから去らないくらいの量が出てきてしまいました。

東京と夏休みの長野県飯田市の夏休みのスケジュールは明らかに違った。東京の方がなぜか長かった。今思うと両親が経済的ピンチになると子どもふたりを新宿から中央線に乗せて預けちゃってたんだろうけれど(食い扶持が減り、どこにも遊びに連れていかなくて済む)、私はこの夏の体験をとってもとっても感謝しております。

父の田舎は23代続いた神社を持った神主。つい15年くらい前までは市ではなく郡で、国定公園まで車で15分という距離に位置してます。

(小さい頃は信じてましたが、今冷静に考えると家系図はでっちあげできるし、どこまでが本当かはわかりませんね。史料というのは読むのは楽しいですが、判断はとってもむずかしいし。)

まぁ、野山をよく駆け回って真っ黒なマッチ棒になって楽しかったです☆

屋号と苗字の違いをようやく飲み込んで、私と私よりひとつ学年下の本家長男の長男とそのまたひとつ学年下の私の弟と、「遊ぶこと以外は何も知らない天然お馬鹿」になって徹底して遊びましたね。他人の家のやぎを小屋から出してみたり、他人の家の土間から台所に上がってねずみいらずから食べ物いただいちゃったり、りんごを洗ってその場で勝手に食べたり、蚕をぐらぐら煮ている仕事場で蚕と遊んだり、川に飛び込んで樽ボートで流されてみたり、アオダイショウやガラガラヘビをつかまえて真剣にペットにしたり、まぁ、なんと楽しい日々だったことか☆

おやつは決まってとうもろこしかトマトかお芋で、アイスクリームを買うためにお金もらえるとうれしかったなぁ。夜は別棟にあるトイレに行くのが怖くておもらししたこともよ~く憶えてます。中座敷には能面が飾ってあってモナリザみたいにどこに行っても睨まれてる感じがして怖かったし、家のなかにつばめの巣があったり、氏子さんたちからもらった日本酒の一升瓶や砂糖がどどどんと積んであって、それに躓いてトイレ行けなかったり・・・。

しかも私は東京から来た従兄弟です、って県立か群立の小学校に通って聴講してたよ(爆)←法律違反だったらごめん・・・。

あああ、だめだ。想い出がまとめられないぃっぃ!ってくらいたくさんの出来事があったっけ。

で、ジンギスカンはその従兄弟(長男の長男)の8月のお誕生日に決まって行われていたのですね。その日は親戚中が集まって近所の仲のいい人たちも招待されて、全部で50人くらいになる。いつもは遊びに行くんだけれども、その日だけは昼からずっとお手伝いをします。にんにくとりんごと醤油だけで作るジンギスカンのつけだれ。これ絶品ですね。擦って混ぜるだけなんだけどすごいおいしいです。この前ちょっと懐古主義やっちゃって作りましたが、まぁ昔みたいにおいしかった☆たれだっていうのに人数が多いから大きな鍋(当時12人家族くらいのけんちん汁を作るようなときの鍋)にいっぱい作る。すごい量でそこに手をぐちゃぐちゃ入れてかき混ぜるの好きだったぁ☆

茣蓙を敷くのも蚊取り線香を焚くのも子どもがやりました。田舎だから上座とか下座とかうるさかったですね。で、大人がジンギスカン鍋(知ってるでしょ?あのままヘルメットみたいになりそうな、丸くて脂が下に貯まるやつ)とプロパンを設置すると、子どもは箸とお皿とコップを設置する。お肉と野菜を女の人が持ってくるまで、子どもはその後胸を期待でわくわくさえながら柴犬と遊ぶのです☆柴犬に「あんたにも上げるからねぇ」と訳のわからないことを言いながら(爆)。

じゅーじゅー焼ける音と匂い、大人がコップが割れるほどに乾杯している真似っこをジュースでして、焼けたか焼けないかを自分で判断して、自分で取って、自分で「あつあつあつぅ」と言いながら食べる。たまに弟に「野菜も食べなくちゃいけないんだよ」と牽制したりして・・・。人数が多かったからなのか、そこに私の両親がいることが半々くらいの確率だったからなのか、祖父が全盲だったからなのか、祖母が私を好きではなかったからなのか、大人はみな忙しかったからなのか、私はなぜかいつも「鍋・焼き物」の類いは小さい頃から自分でやるという独立心旺盛な子でしたね。今でも他人が「これ焼けたよ」なんて菜箸で面倒見ようとすると怒っちゃいます(爆爆)>お気をつけくださいませ。けっこうまじで怒ります>食い物系(爆)。

たれににんにくが大量に入っているからファンタなんかの炭酸ジュースを飲むと舌がビリビリビリィ!と痛いんですね。これ痛いけどやたら好きな感覚だった(爆)。

でも不思議だったのはお誕生日の歌もプレゼントを開けることもしなかった・・・。一度もなかったですね。ただ伯父さん(父の兄・長男)が「誕生日だしな」なんてぽろっと大きな声で言うだけ。何だか誕生日はついでだけど、親戚集まるし、イベントだな、って感じだったでしょうか。

けれど、これは毎年毎年行われたのです。

最後に私がこのジンギスカン鍋に参加したのは21歳の夏。バイトも忙しくて滅多に田舎にいけなかったんだけれども、行ったときに「懐かしいよね。もうあれやらないの?」とぽろっと言ったらおじさんがやってくれたのです☆その時の私はもう大人でおじさんといっしょにビールを最初に開けたのですが、あの舌にびりびりする感覚はまるっきり同じだった。ちょっと泣きたくなるくらい同じでした。

風景も変り、謎のマレットゴルフなどというゴルフ場まで山の上にできてしまったらしいし、私ももう7年も帰っていませんが、今度帰ってもジンギスカン鍋、夏だったらやってくれるんだろうか?なんて考えてしまいました。

「女は髪が命よ」というのを強く信じていた母に髪を伸ばされていた私は、毎年懲りない伯母に床屋さんに騙されて連れていかれ(大抵は食べ物系)、新宿の駅に再び立つときに、母は毎年人込みのなかで泣いていたものです。ある夏、私はジンギスカンイベント直後に帰り、母に「えっとね、ジンギスカンの匂いがついてたから切れっておばちゃんに言われたの」と言った記憶がある・・・。

私がParty 好きなのは、やはりこのジンギスカンのせいではないだろうか?と強く強く思うのでした・・・。

____ジンギスカン1____________________

冬に、少しだけ春夏な気分になっていただけましたでしょうか?のんきな子どもで、まったく勉強をしてこなかったことの一例でもあります。