Iamnotabadguyhere1 と言い張ってしまう方々、廻りにいませんか?まぁ、おそらく半分以上の方々が、タイミング・場所・場合・相手によって、多めに出てしまうものだと思うのです。とはいえ、自分が悪くないと言い張る前に、客観的に物事の全体像を見ているのかどうか?をチェックしてみるゆとりがあると、その事態・人間関係・今後の展望は、大きく改善するのです・・・。

私もそれをやり続けていたのが、おそらく8歳くらいまでは、一辺倒に(笑)。その後は、相手に大きく偏り(そうそう、弟っていう便利な存在があったため・笑)、その後は、世界が広くなればなるほど、だんだんばらつきができて、自分の中の何かとクリックすることが増え、「私は悪くないっ!」と言い張ってしまうことは、俄然減りました。

USに行くと、誰が悪いなんていう『犯人探し』そのものがないわけです。日本の社会問題でも、芸能ニュースでも、職場のゴシップでも、「どっちサイド?」という単純な二択を迫られることって多いじゃないですか。それが違うんだよな・・・。確かに見た目では、こっちサイドかもしれないけど、そこ、微妙に違うのよ・・・、ってことがなかなか伝わらないことが多い。

だからこそ、小さい頃は、白黒はっきりさせられそうになると、「私は悪くないっ!」と言い張っていたように、USに行ってから思い当たったのです。尖った、野生馬みたいな、手のつけられない子どもだったことでしょう・・・。ごめん、母(ぺこり)。

そして英語を学んでから、その英語の語彙や表現の仕方を得て、私は自分を防衛したり、弁護したりする必要がない、多様的な文化の中、自分をますますエンジョイするようになるわけです。そうなると、もう「私は悪くないっ!」などとプレゼンする必要すらなくなる・・・。

とはいえ、みなさんが学んだ英語のイメージや、ガイコクジンのイメージは、自己主張が強く、白黒はっきり、に見えちゃうでしょ?そこが英語をちゃんと学べていない証拠みたいなものだと思えるのです。日本語をそのまま英語にする、英語をそのまま日本語にすることから、一切離れないとこの意味はどこまで行ってもわからないはずです。

当然、今では、「私は悪くないっ!」と言う必要など、今では、ほぼありません。相手が目の前にいるときに、すでにいろいろ客観性を以って見るために、質問しちゃっているので、むしろ私が悪いと思えることが多くなってもいます。ただ、どうしても譲れない部分;信念だったり、生き方の美学だったり、長期的展望による希望的理想像だったり、というのを、なぜだかとっても長く説明するようになっています。

そうやって深く自分の可能性の水平線を延ばして生きていく。そのためには、「自分は悪くないっ!」をまず止めてみることです。

ImnotabadguyIamnotabadguy2