[1999年08月19日(木)]に書いた文章です。

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五木寛之の本で「冬のひまわり」というのがあるといつだったかMBに書いたことがあります。私がこれを読んだのは22歳で、とてもとても愚かな恋をしていました。これはわりと古い作品で、初版が1985年です。最近の『蓮如』などの一連の世界観や倫理を書いたモノよりも、ずっと読みやすく台詞が多いです。しかも女性が主人公です。奇しくもこの作品にも「蓮如さんのお墓」が出てきます。

しかもこの本は入院中のレーサーの彼から「読んでみて」と言われたもので、私は感慨深く読みふけりました。その彼の指紋のついた本は今も手元にあります。

ストーリーの内容は興味のある方は読んでいただきたいですが、ここでは語感やその含蓄について徹したいと思います。

アルメニア地方では女の30代を「夏のひまわり」と呼び、女性が Sexuality(性・性の認識・性衝動)を謳歌し、人としてもこなれてまだまだ健康で、生き生きとしている様子を表現しています。

ひまわりはキク科の一年草で、北アメリカ原産です。茎には剛毛があり、高さは2mほどになります。夏には直径20cmもの大輪を咲かせ、種からは食用油が採れます。太陽を追って花が廻るという俗説まであるほどで、それくらい生を感じさせるのでしょう。

それを女性の人生にたとえるとは言い得て妙というか・・・。

アルメニアは旧ソ連解体の結果独立した、カフカス山脈南方にある高原地域です。南部にはアララト山があり、トルコの東側に隣接します。そこにひまわりが一年中咲いているとは想像しがたいですが、場所によってはあるかもしれません。多年草のひまわりの寿命がどれくらいなのか、どの程度のケアをすればどれくらい長く生きるのか、私はわかりませんが、確かに涼しい地方で女の30代を「夏のひまわり」と言うのは納得できます。

旬のモノは旬に、というような正統な理屈もわかるのだけれども、やっぱり旬でなくても愛でてもらいたい、というような恐怖感への安堵が自分のために欲しいこともあり、私はいろいろなことを考えてしまいます。

私は8歳くらいのときから早く30代に到達したいと思っていました。母と似たような年齢の人たちのなかにはきれいな人が多かったです。芸能人はテレビでしか見れませんでしたし、近所の高校生や女子大生はやはり私には青く映っていました。こう、「自分を知っていて表現している」という女性を私は昔から、きれいだとみなしていたのだと思います。「ねね、これ派手すぎ?地味かしら?」と尋ねる風情にも、自分にとことん合うモノを、という情熱が感じられ、鏡の前で眉を剃ったり描いたりする真剣勝負にも酔わせてもらったもんです。

たまに母の女友だちが着物やドレスを扱うフェミニンなしぐさ、優しさを手を通して布に伝えているのが目に見えるようでした。ポンズコールドクリームが安っぽい容器だったにもかかわらず、「きくみちゃん、女はねぇ、洗顔がいちばんの基礎なのよ。自分の脂じゃないもんは少しも毛穴に残しちゃだめよ」と諭す年上の彼女はとてもけなげで美しく、そのターバンで髪を無造作にあげたコールドクリームでてかてかの顔がとても愛しいものに思えたものです。

そのそばでなぜか恥ずかしそうな母は、家に戻り、私やその友人に隠れてやはり鏡台の前で私には訳のわからないことをいろいろするのでした。女友だちからのアドバイスを聞き入れ、キツいやりくりのなかでジャンクな指輪やネックレスやイヤリングを買い、髪をいじり、自分で満足がいかないと、今の私と同じように顔をくしゃくしゃにして泣く母をよく憶えています。

30代だった母と友人たちは、理不尽な社会的圧迫を受けていることも大して意識せずによく働き、それでも余暇を自分で捻出し謳歌しようとしていたのだな、と、30代のなかばにいる私はわかります。

私が前川清をなぜか今でも買ってしまう最初で大きなきっかけになった女性は、母に破格で洋裁を教えてくれていた人で、彼女もやはり当時30代でした。私にとっては非情に豪華なマンションに住み調度品にも囲まれていて、遊びに行くときには女王様になれたような気持でした。当時では珍しかっただろうに、髪をきれいな栗色に染め、口紅をいつもきれいに引き、いつも同じ香水の匂いが漂っていました。彼女の家に私がついていくと、おやつをもらったあとに必ず45回転のドーナツ盤のレコードがかかります。内山田洋とクールファイブの「この愛に生きて」という不倫の歌で、彼女が恋していた人は彼女をあそこまで大切にしてくれていなかったことが、今ならばわかります。

母も彼女も何も話しません。2度ほどは彼女が自分で掛け直すのですが、美しい横顔の頬を伝う涙に見惚れている私の横で、母はそのあと何度も何度もそのレコードを掛けていました。製図や針やミシンの手を停め、そのレコードはおよそ半年続いたそうです。私も5・6回は目撃しました。そのたびにきれいな顔の頬に涙がこぼれるのです。衝撃的なきれいさでした。

人目を忍んでほんの少し逢うためだけに彼女がしたけなげさは報われなかったのだと思います。それとも瞬間だけ報われたことに涙していて、もっともっとその瞬間を多く欲しいと想っていたのでしょうか?彼女は「夏のひまわり」だったんでしょうか?それとも耐え忍び夏を待ちわびる「冬のひまわり」だったんでしょうか?それは彼女に直接尋ねてみなければわからないでしょう。今はもう60代に突入したであろう彼女は何をしていることでしょう。

私は自分の年齢をどうもはっきりと意識できません。そんなことは目安でしかないと高を括っていることもありますが、自分が多年草であるかどうかもまだわかっていないところがあります。季節で言うと私は円熟しているような語感のある秋が好きで、青春という言葉にやたら抵抗感があったりします。これは子どもの頃からなのでシンプルにひねくれていたのでしょう。

私はずっと待ちわびる「冬のひまわり」でいいかと自分について考えています。他人が私は万年咲いている「夏のひまわり」だと言ってもどうもピンと来ません。たしかにデカいですけど・・・、顔も派手ですけど・・・。まだ大輪の花を咲かせているような気がしません。

同い年くらいの女友だちと逢うと、ただただ客観的に「夏のひまわり VS 冬のひまわり」を考えてしまってそのなかに自分を組み込むのを忘れてしまったりします。思いっきり謎めくと「咲かないひまわりだってあるよな・・・」などとも考えてしまい、ひまわりについての考えをアタマのなかに持ち出したことを「おお!回路を失敗したぁ!」と笑ってしまいます。

けれども私は女性の旬を考えるといつも、前川清の歌声に泣いていた彼女の横顔に流れていた涙を思い出します。そしていつも「私の旬は明日だ!」と明日に希望を繋げてしまうのです。女性が「夏のひまわり」な瞬間を目撃したことのある方はどうぞご教授ください。あ、ご自分のことでもいいです♪←長年の謎なんで。

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五木寛之氏が仏教本を出すようになってから久しいですね。もう小説は書かないのでしょうかね。自分で選び取ったつらい道を貫けるかどうか?これ、今でもいろいろ考えます。

冬のひまわり 冬のひまわり2 冬のひまわり3