[1999年08月23日(月)]に書いた文章です。

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情報過多の時代と言われていますが、「本当に情報を正確に把握できる人がこの世にはどれくらいいるか」は横に置いておき後日考えてみます。まずは情報が多いのと少ないのはどちらが本当にいいことなのか、について。

私は情報がたくさんあるのが大好きです。どのくらい好きかというと心地よくなっちゃうくらいで、少なすぎると不安を憶えるほどです。少ない情報で決断するほどに、自分に自信がないし、それほどの判断力がないという己をつくづく知っています。

アメリカというのは選択肢が多い国であり、その選択ができない人にも国家や宗教団体や法人のバックアップなどを借りて教育システムがかなりの数や種類があります。純粋日本人ではないと思い込んでいた私は、わりとすんなり多種多様の文化に混じることができました。というか、むしろ「何を選んでもいいよ」ということが狂喜するほどうれしかったです。

選択肢が多い要因は、その可能性を広げ押し進んでいく“フロンティア精神”のようなモノからエナジー源があるんでしょうか?ヨーロッパの各地で母国を棄てた人々は未開の地へ到着し、彼らなりの試行錯誤で開拓をしてきました。先住している人々に多大な迷惑をかけたこともありましたし、レッスンは多かったことと思います。完全からは程遠いものの、Native Americans(アメリカ先住インディアン)には勝訴が増え、草の根運動はまだまだ進み、ここ10年ほど流行っている Family Tree(家系図)作りでは、自分に Native Americans の血が入っていると Cool ! (かっこいい)とまでされるようになりました。

その後、独立戦争をし、アメリカは大国になっていきますが、開拓されていない西部への進出の影にもいろいろなエピソードがあります。資本主義競争を助長するために、開拓に参加する人々に補助金が払われたり、開拓地図なるものが出版されかなりの部数売られたり、その背景はおもしろいものです。私たちが見る西部劇や Gold Rush (金鉱掘り)などに見られるように、「実力」「サバイバル」「アメリカンドリーム」などなどもこのへんの “フロンティア精神” から派生して反映されています。

“There is no going back”(後戻りはない・進むしかない)というような政策もままアメリカには見られます。それもやはり開拓時代に前に進みすぎた人々の修正なのでしょうか。後戻りしたら死が待つのみ、好転はまったく望めない、という経験がいつか社会的な風潮になり、長い世代を通して社会的遺伝子に組み込まれてしまっているのでしょうか?

社会的大きな歪みが生まれるリスクを負ってでも、Standing Tall(誇り高くそびえたつ)がいいという前向きな態度、私は理解できます。何かをあまりに大切にしようとすると、何かを犠牲にしなければならぬことは一個人のなかでも生まれます。それが地域・国家となったならば、しかもたくさんのバックグラウンドを持った多種多様な文化を背負っていれば、その複雑さの縺れた糸はほぐすことは不可能に思えます。

「もうごちゃごちゃ!」としか言えないような汚点もたくさんありますが、それについても「改善していこう」という姿勢がたくさんあります。日系人キャンプに収容された人々にレーガン政府が2万ドルづつ払ったのがさっそく Karate Kid (空手キッド)という映画に盛り込まれるなど、おもしろいエナジーのある国です。

スピルバーグがユダヤ人の歴史的虐待についてスポットを当てると、多種多様な文化の背景のルーツを探る風潮が生まれます。チャレンジャーが落ちたところを目撃した子どもたちにはすぐさま心理学者チームが派遣され、自分の先生が死んだ場面を見てしまったことへの期待とダメージの修復が行われます。航空機墜落が起きるとすぐさまNTSB(National Transportation Safety Board: 国家輸送安全委員会)が派遣されて遺族への謝罪と並行してシステマティックに原因の追求が行われます。

修復(Repair)精神がその大きなリスクを伴う“フロンティア精神”とパッケージになっているんでしょうか?私はその修復精神にもたびたび助けられてきました。わからないことがあっても恥ずかしいことなどないのだ、と背中を押されて手を上げて質問ができ、それを笑わない人々がそこにいること。そういうなかで暮らしてきました。外国人である私にはうれしいことでした。それは本音と建前ではなく、「知らないことがあって当たり前」だという傲慢さのない暖かい理解の現れです。もちろんそうでない個人もこの国にもたくさんいます。何にでも例外は存在します。

自分の祖国を追われた人々が大切にしたのは「個人個人の権利と自由」でした。それを実力や論争や他の力でここまで積み重ねてきた歴史を、私は日々感じることができます。選択肢の多さのゆえんもここにあります。違反をしたら Traffic School(日本で言う講習)がある。高校中退(高校卒業はアメリカの義務教育レベル)をしたら、大人になってからでも単位取得できるシステムがある。ピルの副作用を承知していたとしてもピルを上手に活用できるような教育講座を設けてくれる。間違った買物をしたらレシートさえあればばんばん返品できる。いろいろあります。

今日びっくりしたのは、手術前日までに Stanford 大学病院から全部で8回の電話がかかってきたことです。手術としては心臓手術や移植に比べると簡単な手術のはずです。時間の確認や情報確認だけではなく、私の精神状態を聞いてくれたり、翌日の化粧品の心配を茶目っ気たっぷりに話してみたり、保険のシステムを説明してくれました。執刀医・担当ナースからの「よろしくね」という電話にも感動しましたが、最後には私の担当をする麻酔医からも電話ありました。「やっぱり名実ともにすごいぞ」という印象を受けました。もしもこれが「マニュアルで要求されてるから」のみの出来事だとしたら、話の内容や長さを考えてもかなりいいマニュアルです☆しかし、ここにもアメリカ人の精神が生かされているなぁと感じました。

どんなに権威があっても私に選択させてくれる余地をいつもくれるアメリカをここにも見ました。わからない情報にぶち当たっても必ず自分で動けば教えてくれる人がいることへの信頼感。父のガンのときにもこれがあったらなぁとつくづく思いました。

選択肢が多くて迷う人をよく見かけます。苦悶している人さえいます。かく言う私も母になることに関しては悶絶してますが、私は「育てたい」ことは決めているので、あとはどの方法が私にとってベストかという選択です。

「あなたは自分で自分の選択ができるすばらしい能力を持った個人なんだよ。わからないことがあったら何でも聞いてください。どこでその選択についての情報を得られるかいつでも教えます。でも最終的には自分で決めるんだよ」と毎日試されてきたような気持です。

女の子はこうでなくちゃ、おねえちゃんなんだからこうじゃなくちゃ、学生なんだからこうじゃなくちゃ、などなどと縛られていた日々が遠い彼方のようです。いいよぉ、選択肢が多いって☆

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