ニュースで物議を醸しだしていたことがあり、うわぁ!と思ったのが、「あなたはペットの Owner(オーナー)ですか、それともGuardian(保護者・後見者)ですか?」というのがあって、ついテレビに向かって “Guardian, it is!!” (後見者~!)とつばを飛ばしながら叫んでいました。

そこで私は何とも意志を尊重されない生命体が多いか、ってことに気づいてしまったのです(さ、このひとつのニュースがどれくらいの発展を見せちゃうかな…)。

あ、誤解を招かないようにきちんと書いておくと、私はグリーンピースなどの活動には参加していません。サンフランシスコチャイナタウンで生きたままのエビやカニや鶏が調理されることに関しての反対デモなんかは参加しません。Animal Cruelty(動物に対する残虐さ)のスタンダードはそれぞれの文化により長年かけて淘汰されてきたもので、ここで画一化を諮るのは、「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!かわいそー!」な気持ちはわかりますが、一度その意味を深く考えてみれば、一朝一夕で「ささ、やめましょー!」っていうのは不可能です。無理すぎる。文化には文化のIdentity(存在証明・存在意義)があり、そのひとつを奪うことはものすごくたいへんな作業です。

「最後の晩餐」というレオナルド・ダ・ヴィンチが描いた絵の、どの人物もどのアイテムも省けないことがわかるでしょうか?あれにはバイブルに沿ったストーリーがあり、そのストーリーに作者のバイブルへの解釈や感性が投影されています。が、ゆえに、どれも取れないのです。(うーん、あんまりいい例じゃなかったか…?)

「自分が殺してないから食えるのか?それは偽善だろう?」と迫る人がよくいますが、太古の昔の狩猟農耕時代でさえも、ごくごく初期を除けば、ひとりひとりが自分の食べる分を狩猟農耕していた時期は少ないです。狩猟が常に成功していたわけもなく、農耕も全員で自分の分だけ種を蒔き育て刈り取っていたわけではなく、チームワークが発達し、道具が開発され、作業の分化が始まり、たんだんとその基本的に「食べていくこと」に直接的に携わる時間を減らすことにより、文明が発達して私たちは今の恩恵に預っているわけです。

こういうことに感謝ができてこそのPCだし携帯電話なのよ♪使い方が乱雑になるよね…、感謝薄いと…。文字だって持ててなかったかもよぉ。飛行機だってまだまだなかったかもよぉ。そう考えると「食文化」での知恵だってありがたく感じられるはずです。試しに冷蔵庫なしで1週間暮らしたことのある私ですが(自分が偽善者なんかい?と思って)「無理だよ、いきられないよ」と実感しましたね…←私は暇なのか?だから偽善者!と罵られてもそれは認めるよぉ。ほんとそうだって。

それくらい複雑でそれくらい時間がかかってそれくらいたくさんの人々が関与してきたことに、矛盾がないわけがありません。数万年前からのことをここ10年なんかで変えてしまうことのほうが恐いじゃないですか。焦らずもっとじっくり話し合いましょう☆偽善の部分が少なくなるために、パワフルに、でも涼やかに、いろいろ考えて自分が納得したら誰かと比較しないで、「以前の自分」と比べてみましょ。

あ、なんか本題じゃないのに、ちと熱くなってたくさん書いちゃいました(汗)。

話を戻すと、誰かが誰かの所有物であってはいかんです。ペットは自分が「いっしょに暮らす」と決めて選んだはず。それって「もらってやった。買ってやった。引き取ってやった」じゃなくって、「来てもらった。到来してもらった。登場してもらった」なはず…。

我が家のうどちゃんはアクシデントでママ猫が家を信頼して生んでくれたのですが、それも楽しい僥倖(思いがけないしあわせ。偶然の幸運)。それでも生まれたばかりのうどちゃんには「来てくれたのねぇ」という気持ちでいっぱいでした☆←以前の Fab 参照。

食い扶持を稼いでいないから所有しているぅぅ?そうかねぇ。ネコさん他のペットはみーんなお金や食べ物やモノなんかじゃとてもとても換えられない、暖かみをくれてませんか?人間の言葉は話せないけれども、彼らが彼ららしくあることで、彼らの意志を尊重していけばいくほど、ものすごいしあわせくれてません?

「所有物なんだから好き勝手自由にコントロールしていい」っていう意味でのニュースじゃなくて、責任問題についてが主軸だったんだけれども、私はこのOwnerという言葉にどうも引っかかってしまいます。別段 Guardianであろうが、ちゃんと責任取りますよ。後見してます。タンゴが洗濯物を盗もうが、うどちゃんが狩りをしようが、ハイジがヒトサマの家の庭でつめ研ぎして女王様然として所有地侵入しようが、ええええ、ちゃんと西さんと私でちゃーんと責任取りますよ。

自分のオーナーは自分でしょう?うどちゃんだって他のペットだってみーんな自分が王様です。いいんです、飼い慣らさなくても、主人が所有しなくても。共存していけば共生していけばいいわけです。手がかかるからってかからないように大改造やら躾やら命令やら体罰していいか?考えてね、もしも自分だったらどうか。生命や健康の危険がない限りは自由にさせてよねぇ、みんな学習能力あるんだから。人間と同じようにどんな種だって彼らなりの学習して大きくなるんだから。それを人間スタンダードに狂わせて所有していじくって壊さないでねって私はよそのわんちゃんやねこや鳥や金魚やカエルやうさぎのためにも祈ります。

そういうメンタリティがある人で、「無力・無能力・無秩序」な人間に対してもすごいコントロールしたがる人いますね。どうしてそういうことしちゃうんだろ?っていうような。赤ちゃんがストーブにハイハイしていって、手で火を触ろうとしたらそりゃ危険です。ばしばし怒ってください。怒り方考えてね。口きけないからってわかる方法はいくらだってあります。←こういうこと書くとまた「あんたは子ども育てたことないからわかんないのよ!」っていう経験主義信奉者からお怒りがくるか?

そういうメンタリティが増殖拡大していって他の要因と繋がると、なぜか自分の奥さんや子どもにもすごく横柄で、所有物だと勘違いしちゃう人に育ちませんか?そういう人たちに限ってなぜか自分はOO家の財産だと縛られて同居しなくちゃだの家を守らねばだのと、目の前にいる愛する人よりも伝統を重んじる傾向強くないでしょうか?

んん、天皇家とか旧家に生まれてしまった悲哀、理解する努力、私はしましょう。守らねばならぬもの多すぎます。たいへんです。伝統のかたまりの国、ニッポンに生まれてしまったのも私たちひとりひとりが持っている弊害であることのほうが、他の文化のいいところ取りをするのをまま邪魔しているの、よく目撃します。そんなのも一朝一夕じゃとても改造できないってことです。

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