鎌鼬(かまいたち):物に触れても打ちつけてもいないのに、切傷のできる現象。昔はいたちのしわざと考え、この名がある。越後七不思議の一つに数え、信越地方に多い。鎌風。

イマドキ、これを読んでいる人さえも「鎌」を知らなかったら…などと不安におののき、書き始めている同年代でも古いことを、うぐうぐうぐと刷り込まれてきたわたくしです。環境によっても違うので、同い年に生まれたからって、古いとか新しいとかってたまにアテになりませんね。特に私の場合は本でわからないことが出てきたら、百科事典で調べたりするひとり遊び情報というのもかなり記憶にあって、それが親や親戚などの年上の人から与えられたモノか、自力で文献処理なのか、たまに定かでないことがあります。

そのいい例がうちの弟だな♪彼はジェリー藤尾の“GI ブルース”が唄えるんですな…。彼が12歳くらいのときに唄っていたので「なぜに?」と思ったら、テレビで何度か聴いていたのや友達の家に古いレコードがあったらしくて、私と行動範囲が違うところで仕入れたらしくて、かなりびっくりしました。ついでに少し悔しかったりしたのだな>当時。なぜかと言うと、彼が唄う歌詞を追っかけられなくて、ジーアイと辞書で引いても、しばらくは意味がわからなかったのだ☆

(ちなみにジーアイ:(GI:Government Issueの略。下士官や兵士は衣服その他すべて官給品であることから)アメリカで徴募兵または一般に兵士の俗称。)

私の母が本当の意味で「自分で意識して成長しだした」のは、私の祖母が死んだときで、彼女が32歳で、なぜか泣いてないて暮らしたあとに、普通免許を取りに行き始めたのです。祖母が居なくなった分の経済事情を立て直す意味や、当時もっとも流行していた「資格」というやつで、まだまだ女性ドライバーは少なかったし、実際に運転していてパンクでもすると男性が停まってくれてタイヤ交換してくれていた時代です←これは、本当。東京都下だったからなのか?道は険しかったようです。ランドセル背負って学校から帰ってくると、なぜか教習車が家の前にエンジンかけっぱなしで停まっている…。うがぁ、この母親は教習所の車で、教官に家まで送ってもらっているぅぅぅ!「ぼろぼろ泣いていて自転車で帰すのが心配だったから」というのが教官の弁。しっかりものの私は、教官にアタマをぴょこんと下げて、母の背中をなでてあげるのでした。

そうやってたいへんな想いをして免許が取れたあとに、いくつか彼女なりの「自分改造大計画」というのがあったようで、そのなかには、「夫に対する叛乱」というのも入っていて、1年半後に、「近所のお友達とその娘ふたりと、自分の子どもふたりを連れて、泊りで海水浴に伊豆に行く」というのがありました。どうしてそんなことが彼女にとって大それたことだったのか、今ならわかりますが、当時はただただうれしくて気にしてませんでした…。父が居なければ海なんていう危ないところへは行けないもんだと思い込まされていたからです。

道中は長くすごく迷った記憶ありですが、大瀬岬というところがあって、なぜかキャンプ場でした。叛乱にはお金がかかります。やっぱり格安レベルからだったんですね、彼女の稼ぎはこの程度でした。でも連れてきてもらえたんだし、旅館経験なんかないし、バンガローにオオヨロコビでした。2泊3日のささやかな物理的移動。たこ部屋なバンガローで共同トイレに共同シャワーだったけど、自炊だったけど、なんか楽しかった☆今でもあそこあるのかなぁ、たぶんリゾートに改造されてるだろな…。懐かしくて20歳くらいのときに行ったときはまだあったんだけど…。

母とその友達は明け方までキャンプ地で叛乱の一貫をやり続けました。詳しいことはメインでないので省きますが、とにかく楽しそうであることは、子ども4人にもわかりました。着いてすぐに今なら無責任な親となじられるところですが、私は「眠くなるまで」外で遊んでもいいと、キンカンを持たされて夜も遊ばせてもらいました♪

夕方から飲んだくれの母親たちは夜ごはんだけ食べさせてくれて、そのあとは海辺で遊ぶ計画だったのです。夜の海♪子どもながらの初体験。水平線に沈む夕陽を眺めて歌を唄っていたら、あそこを歩いているのはもしや…杉原輝男?(プロゴルファー)。子どもだった私たちは追いかけていきましたよ。「おーい!杉原ぁ!」「おーい!輝男ぉぉぉ!」「す・ぎ・は・ら・て・る・お・ぉ・ぉ!」と叫びながら。もちろん別人で大誤解だったんだけれども、その人(たぶん30代後半から40代前半)はいいおじさんでしたねぇ。その夜アイスクリームまで買ってくれて遊んでくれたんです。今なら「知らない人についていっちゃいけません、悪い例です」と画面にテロップが流れそうですが、いいおじさんおばさんたくさんいましたね。その気になったおじさんはゴルフスウィングまで見せてくれましたよ。私たちは「輝男」と勝手に呼んで、おじさんもファーストネームで呼び捨てにして遊んでくれました。

そして翌日、二日酔いもまったくない丈夫な母親たちは輝男にご挨拶とお礼をします。輝男とそのお友達は何だかキャンプ場の顔みたいでした。母親たちはやっぱり海の家ビールではなくて、持参した 発砲スチロール詰めのビールを飲んで、海水浴どころではありませんが、とりあえず海辺にはいたな…。沖に浮かんだあの「ここまでなら遊泳可」の印は、今だと黄色いポールだったりするんでしょうか?当時はいかだのような板がぷかんと浮いていて、そこまで懸命に泳いだ人が休憩できるような板になってました(そういうところ江ノ島とか千葉でも多かったような気がする…)。そしてそこを自分の縄張りみたいにしている輝男は、太陽の逆光のなかまぶしかった…。子どもたちは「おおおおおおおおおお!」とやたら感動し、引き上げてくれる輝男をさらに慕ったのでした。

その夕方、許可をもらった私たちはそれぞれ100円を握り締めて(すごい豪気な母親たちです♪観光地値段お小遣いだったのか?)輝男の元へと走りました☆昼間は水のなかであんまり気づかなかったんだけども、うううう、輝男のすねには長さ30cm弱の傷がある…。「お、これかい?」で始まった輝男の話は、そのあとの夏、私に大きな不思議への探求心をもたらしたのですね。「見えないモノがあり、見えないからって嘘じゃないぞ」ということ。

「かまいたち」にやられた傷だということをまず説明してくれて、子どもがわかるように説明したらしかったが、うーん、会話はまったく成立しなかった…。子どもだから輝男の話にたくさん質問しちゃうんですな…。かまいたちのなぞは深かった…。輝男の説明によると:仕事をし始めたばかりの18歳くらいのときに田舎に帰って山道を夕方歩いていたら、突然ぱかっと傷口が開いて、血がだらだら流れて痛いと思うまでに時間がかかったことや、本当の鎌で切れたわけではなくて、かまいたちという現象があって、それに「やられちゃった」傷であるということ。けれどもそれは動物ではなくて、言い伝えだと笑う人もいるが、本当に真空状態になることがあって、そのときに皮膚がぱかっと割れるように切れること。

真剣に説明してくれてるんだけれども…ボキャブラリーがむずかしすぎた。9歳の誕生日目前の私を筆頭に、8歳になったばかりの弟に、7歳のまやちゃんに5歳のこずえちゃんじゃ…。高等漢字が多すぎる…。複雑なコンセプトが多すぎる…。

「いたちって何?」「鎌ってあのしゅっしゅってやつ?」「真空って何?」「どこでいくつのときに?」「ひとりだったの?」「どうして真空なのに死なないの?」「どこで生まれ育ったの?」「どれくらい歩いてから?」「疲れてたの?」「おなかすいてたの?」「暗かったの?」「いたちって鳴くの?」「どれくらい痛いの?」「レインボーマンは助けに来ないの?」「どうして山を歩いてたの?」「まわりに草はたくさんあったの?」「でもいのししはいたの?」「じゃ、熊はいるの?」「何か特別なモノを持っているとかまいたちに遭うの?」「ねぇ、すねだと空気がないと切れて、目だったらどうなるの?」などなどなど、すごい回りくどいことばかり聞きました。

輝男がひとつの文章が終わらないあいだに、私たちは4人ですごい質問たくさんしちゃうわけです。ついでに、子ども同士で「違うよ、そうじゃないんだよ」と真剣に解釈を合議しあったりと、まぁ、かまいたちひとつの話で30分以上かかっちゃいました…(汗)。いたちの絵まで波打ち際に棒で描かされて、再現を忠実にしてくれとのリクエストに気づいたときのポーズまでさせられ、きっと「かまいたち」という言葉を披露したことを後悔しちゃったことでしょう…。

とにかくきれいに長い傷だったのですが、そんなに恐ろしいものならば遭うわけにはいかない、と、私たちは確認しあうわけです>かまいたちの条件。それを大笑いもせずにアドバイスする輝男。いつのまにかあたりは暗くなって、輝男は花火を持ってきてくれてみんなで海辺花火をしました。そして最後に明日はもうお別れだと言い、「元気でいい大人になるんだぞ」と、私たちひとりひとりと握手をしました。バンガローの前まで送ってくれた輝男に「もう逢えないの?」と聞く私たちに「テレビ見ててくれよ」と輝男は言いました。「だってぇ、本物じゃないって言ったじゃーん!」「うん、いつか逢えるかもね」と暗闇を振り向かずに手を上げてゆっくりとした足取りで消えていきました。

私たちはその夜Giggle(くすくす笑う)しながら眠りに就きました。そしてかまいたちの夢をそれぞれが見て、輝男は本物の杉原輝男だったのかどうかとそのあとの夏、ずっと話し合うのでした。プロゴルファーの杉原輝男がガン闘病をしていることをこちらで知り、そのあと帰国したときに弟に「伊豆の大瀬で逢った杉原輝男憶えてる?」と聞いてみました。「かまいたち?」とすぐに返事が返ってきました♪

輝男や輝男がくれたものは、私たちのなかにずーっと残っているようです。あのような一見滑稽に見えるたくさんの質問たちに応えてくれる大人が今の子どもたちにもたくさんいることを祈ります♪私を大きくしてくれたモノ~好奇心~を削がないで、応援してくれる環境にみんなが存在できますように☆

 

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