1999年に書いた文章です。

水戸黄門ではありません。時代劇はかなり好きですが、そういうことを書きたいわけではないのです。ゆえにあの歌詞のイメージも少し忘れておつきあいください☆

村上春樹の『ノルウェイの森』で、「人生はクッキーの詰め合わせ箱のようなもの」とあり、映画Forrest Gump(邦題フォーレストガンプ)で、”Life is like a box of chocolate.”とあり、これは誰の言いまわしなのであろうか?と自分の母親を賢いなぁと思いました。

私の母は「人生はお歳暮で来るおかきの詰め合わせセットなのよ」と私が小学校2年生のときに既に言い聞かせていたからです。それは祖母から聞いたことなのだそうです。うーん、一体祖母は誰から聞いたのか?なぞであります。元々誰がこんな表現をしたのか、知っている人がいたらぜひ教えてほしいなぁと思います。

作り話をして人生をドラマチックにしよう、という意図はまったくありません。ま、信頼してもらえるかどうかは別として、時代背景を。ありがちな苦しい話ですが、この言葉がなぜ母に伝えられたのか、という検証を。母の母、私の祖母という人は「にこよん」と呼ばれる仕事をしていました。

にこよん:日雇い労働者の俗称。昭和20年代の半ば、職業安定所からもらう定額日給が240円(100円を「一個」として、二個四)程度であったからという。

祖母は私が物心ついたときには、大きな新聞配達人がたくさん新聞を載せて配る重いおもい自転車に乗り、朝早くから「鋼・銅・鉄」などを道端で拾い、それを集めて工場へ持っていき、その重さによってお金を得ていました。どこでそんな仕事を得たのか、それは彼女の何番目かの内縁の夫から教わったものであったようです。子宮ガンで入退院を繰り返すあいだも、自転車に三角のりをして雨の日も風の日も仕事に行きました。私の幼稚園の費用が祖母から出ていたことを知ったのは私が初めてバイトでお給料をもらったときです。おかしいなぁ、と思いましたよ、そんな暮らしができるはずじゃぁなかったはずです。クレヨンも買えないのにどうして幼稚園に行かなくてはいけないのか、わかりませんでした。祖母が母にきっぱりと「意地でも行かせる」と口を結んで言っていたのだそうです。

祖母は山梨県・身延山のふもとにある小さな村から、人を介して静岡市内の老舗の下駄やさんの長男と結婚しました。昭和がふたけたになった頃のお話です。母が生まれ、叔父が生まれ、戦争に徴兵された祖父は二度と帰ってきませんでした。次男のいた下駄やさんに小さな子どもと風呂敷き包みの荷物とわずかなお金だけを渡された祖母は、山梨にも帰れずに昭和18年から東京を転々としました。

哀しいことに、祖母は力強い人ではありましたが、子どもふたりをまともに食べさせられなくなると男を作りました。日雇い労働仲間である男たちはみな戦後の荒廃に疲れきっていて、身体もぼろぼろでした。祖母を殴っているおじさんを母は何度もなんども見て育ちました。祖母をかばうと自分も殴られたことを今でも泣いて語ります。小学校だけでも4回ほど転校したそうです。祖母はたくさんの男性を渡り歩いたそうです。母もわずか10歳のときから「おんなのごう(女の業)」という言葉を涙ぐむ祖母に聞かされていました。

腹違いの叔母が生まれてから八王子近辺に落ち着いたのですが、叔母はなぜか今でも八王子に住んでいます。彼女も転々としたのですが、八王子に吸い寄せられるように戻った、というのが正確なところなのかもしれません。この叔母の人生も略歴を作るとあまりしあわせだとは言えません。けれど、私はこの叔母と親戚のなかでいちばんウマが合います。母と叔母は天涯孤独でないだけで、本当になかよしです。文句をたれあう理由は「OOをあげたのに突き返された」「私ばっかり面倒見られていて哀しい」というたぐいのもので、お互いに言い合っていて笑ってしまいます。

小さな家に父・母・祖母・祖母の内縁の夫・弟・叔父か叔母と私の合計7人で、祖母が死ぬ昭和45年、1970年まで詰め込まれるように住んでいましたが、その文句を私が少しでも言おうものなら、祖母か母が押し付けるわけでもなく、ただただ淡々と「おばあちゃんがきくみの年にはね」「おかあさんがきくみくらいのときにはね」という暗い話を長いこと聞かされるのでした。おかずについても洋服についても同じです。「これしかできないの」「我慢しようね」と何度もなんども泣きながら、時には怒りながら頼まれて、飲み込みが決して早くなかった私は繰り返し祖母と母の苦労話を聞かされて育ちました。やめときゃいいのに、どうしてああもおかずや洋服やお家に「どうして家はこんなに貧乏なの?買えないの?」って尋ねてたんでしょ。学習能力低かったですね、子どもの頃から…(汗)。

そういう話をするときは決まって、祖母はビニール風呂敷きやデパートの包み紙やスーパーの袋や紙袋をこたつかちゃぶ台の上で、丁寧にていねいに畳んでいるのです。私にも「隣に座っていっしょにやろうか?」と言います。そんな単調な仕事をどうやっておもしろく教えていたのか、祖母のマジックには驚かされます。母の内職を手伝うときや、字を覚えたときのようにReward(報酬)がないわけですね。歌を歌った記憶もありません。ただただ暗く哀しい話ばかりでした。いつも強くてきついおばあちゃんであるのに、どうしてこの「畳むお仕事」のときには悲しそうでつらそうで大雑把じゃないのか、観察したかったのでしょうか。内縁の夫をおじいちゃんと呼べなかったので、家のなかでもOO(苗字)のおじいちゃんと呼んでいた私に、何か言いたいことがあったのでしょうか。その説明を私も待っていたのでしょうか。

今でも単調な仕事を繰り返しするときや、デパートの包み紙を見るたびに、暗い四畳半での祖母の横顔が浮かびます。そして祖母が死んだあとに母が同じ動作をしていたことを思い出します。そのときですね、「人生はお歳暮で来るおかきの詰め合わせセットなのよ」と、おかきの包み紙を畳みながら言ったのは。内向的だった父が運転手のための労働条件改善を求めて、執行委員会に参加するようになってから、なぜか余計な社交が増えてお歳暮が来るようになりました。祖母も母もその大赤字にはアタマを悩ましていたことでしょう。

確かにおかきの箱のなかには、いろいろな種類がありました。白や緑のついた甘いものや、海苔のついたもの、ごまのついたもの、形もさまざまだったし、味もさまざまでした。で、で、そのココロは何だったかというと、「先においしいもの・好きなものを食べてしまうと、あとにはまずいもの・嫌いなものしか残らない」ということでした。ああ、やっと昨日の「餃子を作る」に繋がりましたね♪

私が素直すぎるのか、言葉を額面通り受け止めすぎるのか、「好きなものはあとで食べる」のにはこういう背景があったのです。

母は彼女なりの説明をたくさんしました。「つらいこと・哀しいことを先に食べておけば、あとからおかきみたいに残った楽しいこと・おもしろいことがたくさんあるよ」と。私が「だって嫌いなものは他の人に食べてもらえばいいんじゃない?」と口答えすると「おかきの箱はひとりに一個なのよぉ。わかんないぃ?」と口をへの字にします。「あのねぇ、何があってもきくみの人生はきくみのものなの。誰かに哀しいことをしてもそれは必ず返ってくるの」とすごい小さい子ども相手によくやってましたね、母。そのくせ甘いものが食べられなかった私から、おかきを取り上げて「ああああああ、もったいない!」とかやってましたね…(汗)。

そして祖母が死んで泣き暮らしていた母は、「おかきの箱はこの人生のあとにもう一個やってくるかもしれない。そのときに嫌いなものの詰め合わせだったらどうしようか?」と私に相談するようになり、教習所に行くことにしました。当時、私はよくわからなかったのですがとにかく「そうだ!そうだ!」と言って、母の免許とるのには賛成でした。どこかに行ける♪と思ったからです。母はこのときまで対人恐怖症だったのです。だから内職しかできませんでした。電話も出れませんでした。道理で教習所から泣いて帰ってくるわけだ…(汗)。

私はこの「おかきの詰め合わせシリーズ話」をどう解釈すればいいものか、まだまだ思案中です。母のように次のおかきセットを待たないように果敢に嫌いなものを食べるようにしつつ、実生活でもなぜか好きなものは最後に食べるようにしつつ(苦笑)、好きなおかきのなかから嫌いなものを探して克服しようとしているような気持ちにさえなります。

ちなみに母が好きなものをがんがん先に奪ってでも食べる理由は、「私は小さい頃何も好きなものが食べられなかったから、もう嫌いなおかきはぜーんぶ食べちゃったからいいの」なんだそうです。うーん、そういう解釈もありか…。「何言ってるんだか、白菜の葉脈が好きになってしまっている身体に気づいてないはず…」と私はほくそえんだりします。元々は柔らかい葉っぱが好きだっただろう?と。

私は祖母の人生は好きなおかきばかりだったとは思えていません。つらくて哀しいことばっかりで死んでしまったなぁと泣けることばかりです。でもそういうことはなぜかそのこたつかちゃぶ台でしか言いませんでした。彼女の意地だったのでしょうか?母も今では「世界でいちばんお気楽な人、こんなにお気楽な人見たことない」と100何十人くらいには言われています。でも母の苦労は私と叔母以外知らないんじゃないかと思われます。そういう祖母と母を持った私も、なぜか苦労話は不得意です。まぁ、ここに書いちゃったけどさぁ…(汗)。自分の苦労を話したいんじゃなくてぇ、この一連の話のなかからエッセンスを伝えることが動機なので許してください。苦労自慢ではないです。

だって私はかなりしあわせです。おかきの箱のなかから食べたくないものを探せるくらいにはなったわけですから…。

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