一卵性母娘:母と娘が互いを親友だと思っている過剰なまでに密着関係にある母娘のこと。最近、病院の心療内科やカウンセリングルームにい娘が母親のことを、母親が娘のことを相談にくるケースが増えている。母親を姉がわり、友達がわりにする娘がある一方、母親は「自分にできなかったことをしてほしい」と娘に自己実現の夢を託す。その傾向は娘が結婚してからも続き、子育てをはじめ精神的にも物質的にも母親は娘を援助し、娘は母親に依存する。その結果、娘の主体性は育たない。また、母親が必要以上に子どもに手をかけたり、過剰に期待するのは母親自身が精神的に不安定で、母親としてのアイデンティティを確立しにくい状況からもうまれており、母娘はたがいにそのプレッシャーに気づかずストレスを抱えるケースが多くなっている。高度成長期以来、働きすぎの父親の存在が希薄となり、母娘の密着がいっそう強固になっていることも原因のひとつと考えられている。( DATAPAL97・98)

私が日本を離れて異国で暮らして10年以上が過ぎて、何だかこういう現象が単語になっていたのですね。うーん…。というか、始まりの予兆は既に私が小さい頃からあったのだと思われます。戦後の経済成長があって、その頃からこの傾向は増え始めていたのでしょう。私のお友達にもこういう「うわぁ、おかあさんのミニチュアみたいぃぃ!」という姿形まで似ている子いました。「ぶたれたことも叱られたことも一度もないよ」なんていう話を聞くと、「すごぉい!お姫様みたいぃ!」と思っていました。

まずは表面的な原因からいくと、この説明にもあるように、日本はお金持ちになりました。1945年の戦争からわずか数十年という短い期間で、世界の数々の経済学者に「歴史上まれにも見ない奇跡」と言わしめるほどの経済成長を、日本は遂げました。2箇所の被爆地と、大空襲に何度もみまわれた都市は、文字通り「焼け野原からの出発」でした。憲法が変り、既存のヨーロッパ文化や中国文化他のアジア文化の影響よりも、アメリカ文化の影響の割合が大きなものになりました。これは着目すべき点です。これは、ファッションや音楽などだけでなく、教育や子どもを見る視点にも大きく影響してきました。

人口推移を見てみましたが、http://www.stat.go.jp/進んでいますね、少子化。ついでに母親の年齢までチェック入れてしまいました(こうやって遊びながら書いてるから夜中なのにすごいおなか空きます。ついでにネコが入れ替わり立ち代わり遊んでくれって来ます。やっぱ夜行性だな…汗)。他にも女性が仕事に進出したり、産業人口の推移もわかるので、遊んでみてね、統計局のHP。

この経済成長とアメリカ文化輸入の拡大、それらによる少子化という結果が引き出され、母娘の関係もクローズアップされるようになってきました。このデータパルにある「自己実現の夢を娘に託す」という具体的なことも、戦後少し経つまでにはあまり考えられなかったことでしょう。ただただ具体的に言えば「娘には私のようにはなってほしくない」「私よりもしあわせになってほしい」という程度のもので、自分ができなかったことを「投影」する過剰で具体的な期待があるほうが、珍しいことではなかったでしょうか。

女性として、制限が多かった時代に生まれ育った母親たちは、そのかすかな発展や望みを娘にかけ、自分たちがした苦労はできることならさせたくないものだと思うのが人情です。このどこかで繋がっている、受け継ぐものを淘汰していく、という態度はポジティブに働けばとてもいいものであると思いますが、過干渉になるのは互いの「自己確立」を邪魔することになります。なぜ不足にはならない例が増えているのかというと、やはり子どもが少なくなっている、ということと、経済的なゆとりがいちばんの原因で、人間としてのBehavior(行動)にもそれが影響されます。

「子どもに手をかけない親は親の風上にもおけない」という風潮があれば、母親はそれを不安に思います。自分はどうであるか、手をかけているのか、いないのか、と安全を取るために「大は小を兼ねる」を取り、与えすぎたものはあとから子どもが棄ててくれるだろう、と手をかけます。「放っておくよりもまし」だと考えがちであるからです。さらに子どもが女の子の場合は、社会の与えているGender Characteristics(性による特徴)が付加されます。「女の子なんだから~」というもので、家事を一通り教えなければ、編み物縫い物も、レイプされないようにしなければ、などなどと手をかける機会はどんどん増えていきます。

そのInteraction(相互作用)のなかで、母親と娘は密着していき、いつしか同化する錯覚を覚えるようなケースがあっても(たとえ片方にだけの意識のなかでも)不自然なこととは言えないでしょう。

ここでの分かれ目に、「母親としての威厳を保つ」のか、アメリカ文化に影響された「平等な立場を母親としても取るのか」というふたつのバランスをどの程度に設定するか、という個人の選択があるのではないかと思います。実際これに正解はないことでしょう。子どものTemperament(性質)にも拠るし、子どもを取り巻く環境要因にも大きく左右されるので、一度バランスを子ども本人と環境によって設定したならば、それに一貫性を持たせることがいちばんであると私は考えています。子どもが変化したときや年齢によって多少の微調整は必要になりますが、ばらばらな態度や応答をすることはどんな人間関係にもいい影響は出ません。

どちらを選択しても「親友のような母娘」はできあがる可能性はあります。がみがみと言われて育っても同じくがみがみとした女性になり得ます。言うことを聞きすぎて従順に徹し反抗しなければ、精神は同化してしまうチャンスは大きいでしょう。その場合は同じことに怒りや哀しみを覚えたり、母親になった場合に「これだけはしまい」と思っていても意識しなければ似たようなことをしてしまっていることが多いことに気づくでしょう。危険なのは自分がそれに気づかないことが多いことで、近い他人や肉親だけが指摘できることです。

もっと一卵性母娘になる可能性が高いのは、「対等な立場で女性として生きる」母娘で、物理的に時間をいっしょに過ごす時間が多かったり、洋服や本や音楽などなどの身の回りにあるものから同化してしまうことから、双方とも互いから精神的自立ができなくなり、娘が成人を過ぎてどちらかが(あるいはどちらも)息苦しくなる、というケースは多いです。

元々女性は男性に依存しなければ生きてこられないような時代が長く続いてきました。生物学的に出産や授乳は母親でなければできないことであったので、その必要性が大きく社会性にも影響してきました。伝統が継承され、時代が急速に変わった過去100年ほどにおいても、女性の心理というものはその状況と比例してめざましく変わってきたとは私には思えません。

今、選択肢が増えたはずであっても、自立をするよりも男性でなく他のことやものや人に依存する、という女性がいるのも納得はできます。女性初の管理職の悪い例では、結婚も出産も子どももあきらめ、仕事ひとすじにならない選択をした女性たちを侮蔑し、自分が男性化することで仕事そのものに依存していたり、出世することや仕事人に認められることに依存している、ということもあります。男性でなく、宝石や買い物に依存する女性も増えています。子どもに依存する女性がいてもまったく不自然ではありません。あ!ペットに依存する女性も増えています(←おいおい、私かよ…(汗)。うーん、私にはアルコールもあるしな♪煙草もあるしな♪さらに汗…)。習い事をすることの内容ではなく、通っているという事実に依存している女性も多く見かけます。成果はほぼ無視して自立の手段をなぜかそのまま自立であるとみなす女性は、習い事に通っているという事実に依存して安心します←ああ、この言い方はちょっと厳しいかな…。

言いたかったことは、この一卵性母娘を避けるためには「子どもを持たないこと」ではなく、「自己確立をすること」が早道である、ということです。お互いが自分であることを認め合えれば肉親であっても依存はしないしされません。誰しも自分の存在理由や意義に不安はあります。だからと言って自分ができなかったことを人に託すというのは重いことです。

これに似たようなミニチュア版の現象は職場でも起こり得ます。男女に関係ないことです。自分がしてきた生涯プロジェクトを自分が育てた部下に託す、ということも同じような心理状態ですね。教えるな、というアドバイスではありません。やりたいと部下が言うならばやってもらえばいいです。けれども押し付けるのは違います。

ですから男性も過労死が起きるほどに労働していなければ、一卵性父息子というのもできるかもしれないわけです。条件はそろっています。男性でも自己確立ができていないまま父親になる人は山ほどいます。男性が依存されなくなり、夢が壊され、不安を持ち続ければこのようなことも有り得ないことではまったくありません。

あーあ、また子どもいないくせに、って怒られたらどうしよ…。今日は母とまた国際電話で話して一卵性母娘ということを考えてみました。私の母の口癖は「ママはねぇ、子どもといっしょに育ったの」でした。いつのまにか逆転されたことにもちゃんと気づいています。私は母に似ていません。うーん、最近はおしりの形が似ていると言われているかもしれない…(爆)。けれども「男に生まれればよかったのにね」「おとうさんの性格に似てるねぇ」と言われることのほうが1:99の確率で断然多いので、一卵性母娘にはどうあがいたってなれないようです。でもこれらの投げかけもけっこう無責任だってことはよくわかっています。私は父親に似ているところもあるけれども、でもやっぱり総合的にはぜんぜん似てないもんなぁ。母親は似てないことが憎たらしいらしいです。

私は帰国したときのパッキング以外には母には依存しません。母も私には依存しません。何だかせっかく帰国してもちゃらちゃら好きなことマイペースでやってます。なので私もついつい毎晩飲み歩けるってわけです♪

 

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