帰国して母と飲み屋さんに行ったり、年上の友人の行きつけのお店でママさんや大将に紹介されるときに、「この子、もう長いことあっちに住んでて」というのがあると少し大雑把で困るなぁと思います。なんたってアメリカはでっかいし、12年弱住んでいても私はアメリカの一部しか把握していないことを、この胸でひしひし感じているからです。

完全に否定できない言葉ではあるけれども、「うーん、ちょっとそれは言いすぎ」というのに、「ああ、彼女はもう半分アメリカ人だからぁ」というのがあって、飲み屋やレストランで説明する必要だってないのはわかっているのだけれども、何となく間違った情報をばらまいているようでどうも腰が落ち着きません。私ってば律義ですな、こういうところは。

ここで私を紹介したい、という母や友達にはなーんの悪気もないわけです。彼女たちはある程度ならわかっているのですね。カリフォルニアに長いあいだ住んでいたってそこがアメリカのすべてではないことはきちんと説明してあるし、アメリカ的要素のばらつきも想像がつく範囲ではGrasp(つかむ、握る)しているわけです。けれどもこの伝えるっていうのを端折る作業に、私はどうも抵抗感があって、「ったく細かいやつだなぁ」と思われてしまうのですが、それはいいでしょう(爆)。

ここで「まぁ、いいや」と妥協しちゃう理由は、まず私側から考えると:「相手が経験していないことを説明するにはとてつもなく膨大なエネルギーを必要とする。ましてや相手のモノの見方に経験しなければ物事はわからない、という思い込みがある場合はなおさら」というのがあります。二番目に:「相手と私の距離感」というものがあり、「私とのこのInteraction(相互作用)で彼や彼女にはどんな影響があるのか?」というのを短時間で見極めるのは無理です。で、ついつい端折ってしまうのです。誠意がないわけではなく、これは相手と自分のことを双方バランスよく考えたときの最大の譲歩です。

アルコール入ってるときにも私のアタマはぱちぱち動いちゃうんだなぁ、どうしてだよ…(汗)。私ってばどこかのお店に入って座ると同時くらいに「まずビールね」と頼んじゃうねーちゃんである…。けれどもお店はお金使うお客さんが好きなので、これにはあまり抵抗感はなさそうである…。

そして外見ですね。私はアメリカに解け込みたくて仕方ない表現の一貫として髪を染めています。背中(ブラの線の下くらい)までの髪を全体に染めてさらにハイライト(日本ではメッシュとか言ってたやつか?)入れています。更にピアスホールが6つあって(両耳に3つづつ)、同年代のアジア人より背は高いです(168cm)し、Loco(地元)に混ざるように高価なものはぱっと見てわからないようなものしか身につけていません(下着が服のなかで一番高かったり、ピアスのちいちゃい石が宝石だったりとかなんだ♪あ、あとバッグとか置いちゃえばわからないやつね☆)。この動機はステレオタイプしたがる人間の弱さみたいなモノから、自分を自衛するためです。

よくも悪くも「日本人」だということを前提におつきあいしてもらうのは私の本意ではなく、私が最も私らしく居られる場所というのは、日本人だけが集まる場所ではないので、外見もこのような感じにしたほうがいろいろなフィルターが取っ払われて楽なのです。「どこの血がいちばん強く入ってるの?」と尋ねられた日にゃぁ、それってば大成功です。世界のなかでのMiddle of Nowhere(どこでもないところの真ん中)から来たと思ってくれてうれしい、というのが私の心情です。

そのために外見だけでなく、発音矯正に通ったりしてすごい努力はしましたよ。おかげで書き日本語ぐちゃぐちゃになっちゃったけど…それはまた別の話。日本人でも「あの方日本語おできになるの?」と駐在員の妻のランチョンで赴任したばかりの奥さんたちにこそこそっと言われたくらいですから、アメリカ人にはわからない確率も高くなったってもんです。

顔の表情にも日本に居た頃よりバラエティがたくさんできました。これは母や長いこと通ったお店のママやマスターや大将が言います。顔だけでなく動作にもバラエティがついてると。英語ができるようになると英語圏で得たジェスチャーまで身についてしまうようです。イタリア語できるとあのすばらしいBody Languageも身につくのか?と思うとその日が待ち遠しい感じですな…。

相手がそういうシグナルを受け止めたあとに、母や友人のように、私よりも懇意にしているお店の人に口添えする紹介文句があり、「半分アメリカ人」という言葉がなぜか現実味を帯びてしまいます。心のなかでは「うーん、Transfusion(輸血)をしたって私は純粋日本人だじょぉ」なんて思っています。しかも母が酔っ払って「ったく、この子は何考えてんだか最近はもうまーったくわかんないのぉ」と言ってるのを聞くと、「ぎゃぁ、そんなの最近だけじゃないじゃんよぉぉ!」とか心のなかで笑っています。そういう想いをいちいち口にすると「場」を独占しちゃうことにもなるし、まるで母や友達が私を把握していないという非難になると困るので、さりげで最初は「カリフォルニアの面積は日本がすっぽり入っちゃうのよ」あたりから始めます。

大抵の人は客商売なのでココロから聞きたくなくても質問をしてくれます。そしてうれしいことにココロから聞きたい人がたくさんいてくれるのも事実です。忙しいのにたくさんのお客さんのなかから私がいる席を選んで戻ってきてくれる、というのはかなりいい兆候です。

・アメリカのソープオペラ(昼メロ)は最も長いもので30年以上続いている。
・ サンフランシスコからロサンゼルスまでフツーに車で走っても6時間くらいはかかる。
・ 歩きやチャリでスーパーには90%以上の人は行けない。
・ スーパーには同じトマトの缶詰でも20種類くらいある。
・ 売春でも町場の20ドルからコールガール組織の一晩10000ドルなんてぇのまである。
・ アメリカ人=白人ではない。
・ キリスト教の宗派で、私がばらばらと知っているだけでも30個や40個はある。
・ 高校時代のSweetheartと結婚して離婚なんかしないで何十年もなかよく暮らしている夫婦も数え切れないほどいる。
・ サンフランシスコまで車で45分しか離れていない町に住んでいる人でも一度もサンフランシスコ市内に行ったことのない健康体なおじいさんも実在する。
・ しかしそのおじいさんは国体のようなアメリカ版テニス大会で準優勝したことがあり、イギリスには行ったことがある。
・ 住宅地のフリーウェイの出入り口は2キロごとにあるような人口密度もあるけれども、少し拡散したところに行くと、その出入り口が40キロごとなんかになってて怖い。
などなど。

こんなでかさを示すようなことを話すとだんだん、「うが?ひょっとしてアメリカってぇものを誤解していたんじゃ?」という謎に包まれてくるのが、聞いている表情や返ってくる質問からわかったりします。ついでに追い討ちをかけるように「日本でも鹿児島出身のだんなさんが話していることは私には英語より難解なのよ」だの「ねね、日本の離島の数っていくつだと思う?7000個前後あるのよ」とか言うとぶったまげてます。

そういうわけで、その店をおいとまする頃には「半分アメリカ人」だという宣伝文句を返上でき、気持ちよく酔っ払って二軒目に行けるわけです♪そして二軒目でも似たようなことを繰り返し、この果てしない「半分アメリカ人行脚」はまだまだ続いていくわけですね。

これに抵抗しなくなったらエナジーがないのだ、生きる気力がなくなっちゃってる、と思ってください。ステレオタイプ撲滅委員会ではないんだけれども、私のアイデンティティをしっかりと自他ともに確立するために、いくら酔っ払っていても譲れないことは…存在します。

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