努力:目標実現のため、心身を労してつとめること。骨をおること。

キリがない物事のなかには努力というのがあります。みんながそれぞれできるように努力しているのはよ~くわかります。私もたくさんの箇所にものすごい努力が必要なことがあって、けなげでかわいげのあるところを見るのは悪くないなぁと思います。ただ限度があって、「見せるために努力しているのか?」というのはげんなりしてしまいます。みーんな同じように努力はしてるもんでしょう。どうしてわざわざ見せるのかなぁと多少疑問に思う場面はあります。

いっしょに生活している人にもこっ恥ずかしいなぁと思うくらいなので、私は度が過ぎるほどに見せることに関して敏感なのかもしれません。見る人の意図によっては自意識過剰とも言われるくらいでしょう。それは見せる人と何ら変りがないのかもしれません。

「過ぎたるは及ばざるがごとし」っていう言葉もあります。これはけっこういろんなことに使える便利な言葉ですね。

努力というのは目標がないと成立しません。夢と目標はちょっと違いますが、よく大人は「イマドキの子は夢がないねぇ」と言ったりします。うーん、そうだろうか?あると思うけどなぁ。スケールのでかい目標が夢?実現可能範囲にあるものが目標?その線引きっていうのは微妙なものなので、十羽一からげな感想はいけませんね。夢がでかい子にも「大法螺ふき」なんてひどいことは簡単に言って欲しくはないですね。目標がでかすぎる子にはぜひ目標までの道のりを聞いてから判断してあげてほしいものです。

私もものすごいほらふきだと言われていました。バイト先で「何でそんなに一生懸命アルバイトしてるの?」とか、「学校行ってるの?」と聞かれたときに、身元調査でもないんだからそんなにまじめに答える必要もないのだけれどもなぜか「日本脱出のためにお金が必要だから」と答えてしまっていたのですね。正直なんだな。聞かれたことにはちゃんと答えてしまうのである…。そして興味がある人はどんどん質問を畳み掛けてきます。そしてそれにもちゃんと答えてしまうわけです。この傾向はMBにしつこくレスつけちゃってたことで想像がつく方々もいるかもしれません。いくら状況が絶望的になってもどうしても答えることだけからは下りない、懲りないやつですな…。

私の視点から言えば、「アメリカに行ってヘリコプターパイロットという手に職をつける」というのは、まったくの夢物語ではありませんでした。父にとっては夢物語であったし、母には想像もつかないどこか砂漠の果てのようなお話みたいであったけれども、私にはステップがある程度見えていたし、実現しない目標だとは思えなかったです。いろんなお客さんがいたし、友人の考え方もばらばらでおもしろかったけれども、酷評はありました。「そんなことできるわけない」「それは目標じゃなくて夢だよ」と言う人もかなり多かったです。もちろんそれは応援したいけれども心配だよ、という思いやりで、いじわるで言っていたわけではありません。90%のネガティブ反応を抱いて私はこの目標の第一段階をバイトすることで始めましたが、それはそれは長いステップでありました。

目標を具体的に企てることのほうがやっている最中、努力よりもよっぽどたいへんです。いつもお皿洗いとか掃除機かけるのもそうだなぁと思うのですが、私はやり始めればぜーんぜん苦痛じゃないですね。苦手なことなので心は他のことを考えつつ手だけ動かしちゃっているので、たいへんにシステマティックです。けれどもいつもいつもそこに身体を運ぶまで、動作を始めるまでがものすごいジレンマです。やったらどんなに気持ちいいか、ということを何回も何回も自分に話し掛けてあげなければなかなかできません。術後すぐのトイレでさえそうでした。痛くてたまらないのでその道のりに取り掛かるのがたいへんです。一度動いてしまうと一歩出した足を後退させるほうがたいへんなので自然にかなり近いように身体が動きます。多少痛い。でもトイレにいけばすっきりするし、また我慢していたお水も飲めるよ♪と言い聞かせて最初の一歩を出すわけです。そしたら「何だぁ!ちょっとは痛いけど思ったより大したことないじゃん」だったりします。

けれどもこれらの例はやったことのあるデータがあって、身体が覚えていることだからかもしれません…。じゃ、未知で経験がないこととあることのコンビネーションが入り交ざる目標はどうなんでしょ?

どうしてそれを目標にするか、その動機がまず大事かなぁと思います。医者になりたいでもいいし、プールで2000m泳ぎたいでもいいのですけど、なぜそれになりたいのか、それをできるようになりたいのか、という動機が必要です。希薄だったらばきっと挫折する率は高いし、ステップをなおざりにしたり手抜きしたりすることも少なくなるかもしれません。なぜならそこには意志~心が入るからです。

その動機の質まで話すととてつもなく長くなりますが、内的充実と外的充実の二種類に大雑把に分けると、外的動機のほうが弱いです。2000m泳げるようになりたい理由が、「クラスのなかでいちばん泳げる子が2000mだからかっこいいので、それを超えたい」よりも「喘息を治すために心拍機能にいいことをしてついでに成果として長く泳げるようになりたい」のほうが達成できたときの充実感が違います。他人の尺度に自分を合わせていく比重が大きいよりも、多くの人がしていることであっても自分にひきつけた動機というのは目標にする瞬間から、それができた達成感を得る瞬間も、終わったあとに過去の想い出として振り返ったときにも、とてもポジティブなものです。

その次に大事なのはどういう道のりを行くか、ということです。あまり細かすぎてもつらいですが、挫折したときのための脇道補助策も考えておいたり、だめにならないための作戦もあるといいです。それにはデータがたくさん必要です。自分の性質や性格を把握したり、健康状態を敏感に悟ったり、いろいろな方法のなかから自分に最もぴったりくるものを選ぶようにできるだけたくさんのデータが手元にあることが有効です。他人から話を聞くのにも、「その道のプロだから」とプロに聞くことばかりが有効ではありません。もしかしたら自分が初心者の頃のことを忘れているかもしれないです。途中で挫折した人の話も、それほど成功しているふうには見えない人の話も聞いてみる耳があるといいです。それでも多数決で決める必要はないです。私はなぜか多数決に逆らうことが多いような気がします。

ごめんなさい。今日はすごい二日酔いです。ここまでは昨日書いていたのだけれども、何だか続きをあと12時間もらっても書けません。起きたときにはバスルームエリアの床にパンツいっちょで寝てました(爆)。ゆうべはParurunとお友達と旅行に来てくれたのでごはんを食べに外に出たのです♪楽しかったので、こんなまわりくどいエッセイは書いていられません。脳細胞たくさん死にました…(汗)。いつかさりげない中途結論を書くことを宿題にしておきます。身体がミイラみたいにかさかさです。一応気にしていたので起きるだけは起きれたのですが、アタマは使い物になっていません。

やっぱりParuちゃんはきれいだった☆またこっちに来てもらうかたい約束をしてHugをして別れたのである。しかも私たちは土曜日だったので他はものすごい混んでて、「2時間半待ち」と言われて、ロッキー青木が売却してしまったベニハナに行ってうるさいなかでごはんを食べたのだけれども、JIMという料理人は下手すぎであった。チャーハンも飛ばしてくれなかったし、何だか手元が全体的に不器用すぎだった…。てっちゃんとゆうこちゃんの行方以外の話はぜーんぶ個人的な話だったので公開できません☆ぎゃぁ、とっても楽しかった。チーズカールをもらってしまいました♪しかし食べられるのは何時間後だろうか?←それでも意地になってすぐ食べてみようかと思う私はここだけ本能のカタマリ。

とにかく寝ます。時間しか解決できない>二日酔い。おやすみなさい←朝の8時☆

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