うーん、枯渇していますなぁ>タイトル。書きたいことはばらばらとたくさんあるのですが、タイトル先決めの私としては、タイトルに刺激されてばんばん書きつらねて行く方法を取っているのです。今の長さであるとそんなに計画性は必要なく、だいたい似たような長さで終わることになっています。

しかし、タイトルに引きずられて行きたいがゆえに、タイトルが出ないと白い画面を見たまま時間は過ぎていきます。そして今日も25分の白い画面を続け、何度か数行書いたのでありますが、だいたい書き始めると失敗だというのがわかり、練り直せば使えるものは保存しておき、だめなのはあっさり棄てます。根気がないのか、切れるのが早いのか?

私は私的尺度ではたいへんにバランスが取れた考え方で生活を送っていると信じています。それが他人にどのように映ろうともある程度のシステムがあって、それを遵守しています。説明しろと言われて、その要求やリクエストが真摯なものである場合にはいくらでも説明する情熱は惜しみません。そういう意味での根気はものすごくあります。

密着した友人でいちばん長くつきあっているのが14年ですが、彼女に対しても私はまだまだ不可解であろうと思うし、私も彼女の変化を見て切り捨ててきた部分や残してきた部分に納得が行きます。そういう変化にも許容する根気はあります。なぜならその変化の原因や動機やジレンマが、見せてくれるものだけで何とか共感でき想像でき、希望がたくさん持てるからです。そういう意味で切れ目が来る日はないような気がします。これが信頼感の根元なんじゃないか?と私は思っています。

ネットで密着している友人が何人かいます。Y嬢とは密着してからまだ1年経っていませんが、「Yよ、なして君は私の気持ちがよくわかるのじゃぁぁぁ!?」と思います。彼女とは多いときには週に3回、少なければ週に1回くらいしか話しませんが、相性とか気分とかではなく、彼女が確実に私に面と向かってくれていることはひしひしと感じます。謎はたくさんありますが、そんな謎なんかどうでもいいじゃないか、という母親の胎内にいるくらいの安心感が得られてしまうのはたいへん不思議です。しかもリアルタイムでは短い帰国の折りに3回しか逢っていない♪もちろん私は限りなく純粋に近いストレートなので、彼女と寝たいという感じでもなく(爆)、知らないこともものすごく多いのですが、けれどももっと知りたいと思うし、もっと飽くなきおつきあいがしたいとココロの底から思えてしまうのはなぜなんでしょうか?>教えてくれ、Y♪(爆)。彼女が私に対して切れたことに気づかないだけなのか?それとも彼女の根気はすごいのか?なぞです。私は彼女に切れたことは一度もきっぱりとありません。

比べられない不思議がH嬢で、彼女は忙しくてそーんなにネットでは交わらないし、ひどいときには「うわぁ、お久しぶり、2週間!」って感じなのですが、何だかすごいのですね。その久々のときの久々じゃない話し方っていうのが。手探り必要なし、ささ、続きをしましょう♪って感じですか?リアルタイムでも2回逢っているのですが、そのせいだけじゃぁないと思います。オフ会で逢っている人はかなりたくさんいるからなぁ、私。私以外にIMしている人が画面にいるとは思うのですよ、忙しいからねぇ。でも何だかすごい信頼があり、そんなこと聞いたほうがいい場合と聞かなくても間があってIMしてもいい場合と解放したほうがいい場合と、お互いにわかっているみたいな気がするので、やっぱり不愉快の元にはならないし、彼女にも一度も切れたことがないのですね、私。彼女が私に切れたことがあるかどうかはなぞですが…。彼女と私の共通点はそーんなにない>人間である、女性である、年齢差があまりない、あと何だ?(爆)

そしてK氏という人がいて、密着するときはものすごい密着なのですが、仕事が忙しいと半年くらい画面から消える、という過去ありの人なんですね。彼にも切れたことはないです、私。彼が切れたことはないのか?それもなぞです>確認しろよ、書く前に(爆)。意見が違うこともたくさんあるし、シュミや見ているモノが違うから同意することのほうが少ないんぢゃ?と思うくらいですが、でも楽しい。それはなぜなのかというと、彼には率直に聞ける態度があるにも拘わらず、私の画面を超えた感情やアタマぱちぱち状態を慮ってくれようとする態度もバランスよくあります。そしてそれがすごいタイミングとものすごい適切な状況条件でぱらぱらっと出てきます。うーん、やるなぁ、という感じですか?

他にもS氏・H嬢・Y嬢(頭文字にするとたくさんいますなぁ、重なるの。こりゃ匿名推進じゃないっす)とわりとIMしますが、「昨日の続き」っていうのができるのはすごいことであるなぁと思うわけです。そして画面だから複数の作業をしているかもしれないのに、他の人とIMしているかもしれないのに、「まっすぐこちらを向いている」と感じられる信頼がすごいことだと思うのです。

そういう意味で私は根気があり、そうそう切れる人ではないと思うのですね。相手に全面的に「合わせろよ…!」と強要しているとしたならば、そんなに長い密着したおつきあいができる偶然は少ないし、リアルタイムで実際に逢いたいと心から思ってもらえないと思うわけです←嘘はつけるって?嘘じゃないと思うっすよ…(汗)。

このネットと同じような現象がリアルタイムでもあります。というか、そっちの統計のほうが多いんだけども。特にアメリカに住むことを諸事情で選んでしまった私は、ナマミに逢えることがものすごい少ないわけです。東京に出稼ぎすることになっておつきあいしていただいたらすごくよくわかると思うのですが、私のフットステップはかなり軽いです。呼ばれたらひょんこひょんこ顔出しますし、身体が保つ限りはすごい情熱的に時間を作って集まることは惜しみません。忙しいとはほぼ言わないと思います。トリプルブッキングにしてまでも逢う時間は捻出してしまうのです。そういう意味での根気もものすごくあります。相手が逢えない場合に「心待ちにする」ということに対する根気もものすごくあるわけです。そうすることで「逢える」という事実だけに純粋に歓べるので♪大したことしなくても、おいしいもの食べてなくても食べてる気になれるし、逢えるということのヨロコビは私にはものすごく大きなことです。そこで話が充分できなくても、希望を未来に繋げてまたチャレンジって感じになれます。

10数年来の友人と逢うときには、彼らが私がどんなに変わっても、どんなに言葉が多くても少なくても、どんなに外見が変わっても変わらなすぎても、どんなに疑問があろうとなさすぎても、いちばん最初のところに、「あなたはあなた♪」という優しいハンモックが用意されている、と私はいつも感じています。そして「さ、何でも送って、受け止めるよ。わからなかったら聞くからね。怒るかもしれないし、泣くかもしれないよ。だからあなたもそうしてね♪」という本気で私に対峙してくれる態度というものがあります。

「アメリカに長くいるからっその態度はないでしょ?」ではなく、「私に対してその態度はないでしょ?」というのはすごい気持ちがいいです。「英単語がちゃんぽんするのは何で?」と聞いてくれ、説明したあとに、「うん、そこはわかった。じゃ、時間かかってもいいから日本語にしてみて」とか「うん、それはわかった。じゃ、そのまま英語でしか言えないことは続けて」でもうれしいです。

私が「言いきり・決め付け態度」であるという印象を受ける人は多いです。アメリカに来てから拍車がかかったことと思われます。それについても根気よくつきあうことで、それがまったく誤解だということはわかってもらえるはずなのですが、「直す気がない」「時間かけて見てもらおうって気がない」「しかし素直に謝らないよね」と、私にとってかなり決定的に違うんじゃ?と言われることはあります。それでもぐっと堪えてるとは思わないで、いかに自分が我慢していたか、自分はどう感じてきたか、と言われると根気が殺げてしまいます。「ねね、私だって社会生活を営むために、ちゃんと我慢だってしてるんだよ…。あなたのと比べないで、過去の私よりどれくらい我慢できてるか見てくれないのかなぁ」とぼやいてしまいます。

そして休憩を取ってまたこのわりと基本的な態度たちとコミュニケーションの行き違いをどのように解くのか、根気の元であるエナジーを充電する日々です。でも疲れています、今日。かなり枯渇しているのであるなぁ(爆)。今日はリアルタイムで充電努力しよ♪

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