私のレッスンは「徹底度合い」が低いとたまに批判されます。レッスン内であまり練習問題をやらないのです (・・;) いっしょに問題を解いたりすることで習熟を測れる、ということを否定するわけではないのですが、その時間にお金をいただくのが申し訳ないと、心から思うのです。

私のモットーは幼稚園のお砂場で学んだ、「自分がやられたくないことは他の人にもやらない」ですから、時間もお金ももらっておいて、自分が優雅に問題を解くのを見せるとか、生徒さんに練習問題をやっていただいて料金をいただく、というのはできかねるというか・・・。

英語検定試験を受ける場合や、大人ではなくて、小中高の学生さんで、基礎がどの程度入っているか?を見るためには、たまに30分ほど問題に時間を費やすことはあるのですが、そもそもコレがしたくがないために、あまり子どものクラスを拡張しないのですね・・・。

多くのスクールでは、コレは呼吸をするくらいに当たり前なことで、問題数を解くことにより理解に到達する、という方式が、全面的に誤りだと言い張るつもりはないです。もちろん個体差があるにせよ、問題をそれなりに解いてみて、実感することは重要です。けれども、こちらがホワイトボードの前に立ったり、先生と名乗ったりしている環境の中でやるのは、ちと違う・・・。自力でやれるようになるための道筋だけを見せて、そのあと1・2問やっていただき、むしろ質問を山ほど次のレッスンに持ってきていただき、「あー、そこそこ。不思議だと思ったんだよね・・・」となるのがいいと考えているのです。

ゆえに、レッスン中は、ひとりになってもOKと感じることが強く確信として体験できるように、考える力を促進する方向でやらせていただいています。

なので、私の口癖のひとつに、

「あとは自分でやってみて!わからないことがあったらバンバン持ってきて!」

というのがあるのです。基礎が入ったあと、基礎の次に来るものの法則性というのは、やはりその人の生活圏や考え方により差があるため、「これがスタンダード」というものも指し示すのがおこがましい、というか・・・。

「やってみたんだけど間違ってるかも・・・」

から

「やれました。あとは量をこなして、こんなのもやってみるといいと思ってます」

となると、

かなりな加速感がついて、自信も持てて、どんどん発展していけるので、そこを目指しているのです。自主的で強制感がなく、やることそのものが楽しく、苦痛でない状態を、少しでも多く作れることが大切だと考えているわけです。

苦行をすることこそが大切!と思うのであれば、それはやはり天井がすぐに来てしまう気がします。私もそうですしね。苦行をしている?ううん、かなり楽しんでる♪と思いながら日々を暮らしている私としては、心から「自分がやろうと決めたからやっている!だからこれはつらくもないなー」となったことが多いのです。こうして私は大人になり、小学生の頃からメンタルはあまり変わっていないですね (・・;)

そして、渡米をするためのお金も貯められたし、渡米もできて英語も話せ、パイロットのライセンスも取れ、途中でいろいろな方々と遭遇し、取捨選択を繰り返し、ここに至ります。やりたいと思うことを次々実現する Achievementという心持、かなり気持ちがいいので、「自分でやってみて!」となるわけです。

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