Dec 28, 2005 に書いた文章です

日本語には、『気』を使って表現することがたくさんあります。私もけっこう使っているので、ここで少し追求してみたいと思います。

気:(1)生まれつきもっている心の傾向。性質。性格。
「―が小さい」「―のいい人」
(2)物事に積極的に立ち向かう心の動き。意欲。
「―がはやる」「―のない返事」
(3)物事に引きつけられる心の動き。関心。
「彼女に―がある」「―をそそる」
(4)物事に対してもつ、または物事に影響を受けて変わる感情。情緒。
「―が沈む」「―が変わる」「―を楽にする」「―が滅入(めい)る」
(5)外界を認識し、外界と自分との関係を理解する心のはたらき。意識。
「―を失う」「―を確かに持つ」「―が狂う」「―が付く」
(6)物事をうまく運ぶために、状況を的確にとらえる注意力。配慮。
「―が回る」「―を付ける」「―を遣う」「―にとめる」「―が散る」
(7)物事をなしとげるために心を支え動かす力。気力。
「―を挫(くじ)く」「―がゆるむ」「―は天を衝(つ)く」
(8)ある物が含みもっていて、その物を生かしている目に見えないもの。特に、味わいや香りをいう。
「―の抜けたビール」「樽(たる)に酒の―が残る」
(9)目には見えないが、空間に立ちこめているもの。精気。
「山の―を胸いっぱいに吸う」
(10)その場に広がっている感じ。雰囲気。
「会場は厳粛の―に満ちている」
(11)(連体修飾語を受けて)
(ア)これから何かをしようという気持ち。つもり。
「彼を助ける―はない」「これからどうする―か」「あそこから飛びおりる―だ」
(イ)実際はそうでないのに、そうしたような気持ち。つもり。
「死んだ―になって努力する」「天下を取った―でいる」
(ウ)その時々の心の状態。気持ち。
「ちょっといやな―がした」「さびしい―がする」
(12)漢方で、血(けつ)とともに体内の経絡を循行する生命力の根源とされるもの。無形であるが、有形の血と一体となって生理機能全般をつかさどるとされる。
→血
(13)宋学で、「理」が万有を支配する原理であるのに対して、万物を形成する元素を「気」という。〔「こころ」という語が精神活動を行う本体的なものを指すのに対して、「気」はその「こころ」の状態・反応など現象的な面をいう傾向が強い。「気は心」という言葉も、表面的な「気」のはたらきは本体としての「心」の表れであるという考え方に基づく〕

いやぁ、すごいっすね。それにしても便利すぎる言葉です。ボキャブラリーに『気』が多い人にも気をつけないといけないことが、コレでわかってしまいました・・・。表現力が足りない人は、おそらくこの『気』をとても便利に使うのでしょう。

私が『気』を使うときは、ほとんどの場合が、エネルギーの問題です。人の心や生命力のCapacityの大きさや多さ、あるいは、その質を問うたり、話していることが多いです。個人こじんによりそのキャパや質は違い、それをはっきりさせるために話すことが多いのだと思います。会話で、「気がないでしょ?」というのは、「その気がない、気持ちが乗っていない」という単純な意味なので、イチイチ明言はしませんが・・・。

私はいろいろな人に「気が強い」と言われてきました。たぶん延べ数で言えば、「(おまえは)世界一トイレの速い女だ」の100倍以上はあると思います。が、その言葉も私は140回ほどすでに言われているので、かなり気が遠くなる数字です。おそらく、「性格が強い、きつい」ということを言いたいのだろうと思いますが、性格全体が強いとかきつい、というのは何なのか?と、心理学部に入ってから、そんな曖昧な表現はあまり意味がないことに気づきます。

心理学部での性格を表現する形容詞や副詞や名詞を含めた表現は、私が見た範囲でも簡単に500以上はあります。用紙に書ける長さですので、日常的に使われる言葉で、日本語に代替できるものがほとんどです。それでも、日本語では簡単に「気が強い」を使うをやたらと見かけます。

私は簡単な二元論を表現しないようにいつも心がけています。強い-弱い、悪い-いい、寒い-暑い、優しい-冷たい、などなど。ひとりの人間の性格を表現するのには、ある場面の設定をし、登場人物の設定をし、健康状態をしっかり見極めなければ、一定したものなど出るわけはないのです。概ねこうである、という決め付けはとても危うく、簡単に「Aさんってこうよね」と言えてしまう人は、言われてもかまわない宣言をしていることになってしまいます。

私はそういったラベル貼りをされるのはとことんイヤなので、他人にもしないことにしており、どうしても二元論的な形容詞を使わなければならないときは、さらなる詳細説明を加えることにしています。誰かにとって、何かの場面でポジティブな特質が、他の人にとって他の場面においてネガティブになることもあり、その設定をはっきりさせることはとても大切だと思います。

たとえば、私が毎日泣くのは事実ですが、私は弱い人間だと他人から言われたことはありません。うーん、考えるに、生まれてから誰か他人に言われたことは一度もないや・・・。だからと言って、弱い部分を包括していないわけではありません。どこかでひょんなことから弱さを呈することは私にもあるわけで、それをたまたま他人に見せたことが恐ろしく数少ないのでしょう。かと言って、私が強い性格であると決め付ける根拠にはなりません。実際に私は、PTSD(Post Traumatic Stress Syndrome; 心的外傷後ストレス障害)にかかり、2年強ほどまともに人生を送れていない時期がありました。特にその中の8ヶ月は、母とパートナーとセラピスト以外の人間とは口も利けないほどだったのです。あの時期ほど、私の弱みが私自身に戻ってきたことはありませんでした。けれども、私はその姿を今だから言えるわけで、当時はあらゆる人から逃げており、「ええええ、知らなかった」と元気になってから友だちに連発されました。最悪の8ヶ月を乗り越えたあと、少しずつBaby Stepsでまた外界と接触を増やしていきましたから。外界のひとつが、ビジネスパートナーになった友人で、彼がいなければ、私の回復はさらに遅くなっていたと思います。彼が毎週遊んでくれたからこそ、家を掃除する気になり、ごはんを作り食べる気になり、モールに行けるようになり、ホッケーを実際に見たいと思えるようになったわけです。その意味で彼は生涯、私の恩人です。

そしてまた、そのPTSDから立ち直ったことで、さらに性格が強いと言われることもあります・・・・。

私が本来思う、生まれ持った気質や性格を指す、生命力や生きていきたいという求心力は、私はとても強いと思います。心もでっかく生まれたと信じたいところですが、これはまだもう少し足りていないと思います。質はだんだん向上しているものの、長生きしてトライを続けたいです(これも小娘の頃とは価値観が変わったところで、早死にしてもいいと簡単に考えていたのですが、今はできるだけ健康に長生きしたいと思っています)。

PTSDがよかったなぁと思うのは、それ以前には、スピードを遅くできなかった私が、スピードのコントロールがつけられるようになったことです。喜怒哀楽を表現するコントロールはそこそこできつつあったのですが、スピードはできませんでした。が、今は、自分以外の人間が関係することについて、スピードのコントロールをつけられるようになり、他人に関してそれほどやきもきしたり、不快を感じなくなりました。そういう意味でも、全般的に、一般的に、総合的に、私の気は強いのかもしれません。

が、やっぱり簡単には言ってほしくないなぁ、とは思うのです。

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