Dec 29, 2005に書いた文章です。

 

UKではめでたく法律が改正され、いち早く Elton Johnが長年のパートナーと婚姻したというニュースが、いろいろなサイトで紹介されたが、読んだ人々はどう思っているのだろうか?私が住むCaliforniaでは、知事の Schwarzeneggerがこれからもこの問題で頭を抱えていくことになるのだと思う。すったもんだはずっと続き、いつになったら陽の目を見るのか・・・。

私は(予想通り?)同性結婚には大賛成です。したい人がする権利を確保しようとする動きに、私ごときが反対する理由は何ひとつないです。相手が異性であれ、同性であれ、「公的に認められて祝福されたい」と願う気持ちに差などはありません。世界中にひしめいているHomophobia(ホモフォビア;同性愛者を恐怖だと思う傾向)を緩和するためにも、公的に支援する方向がいいのだと思います。

AIDS Dayのエッセイでも書きましたが、性的嗜好原因は、先天的だとされる結論に達するのは時間の問題です。異性を性的対象とする行為や心や生理的メカニズムが、先天的であるというのは、当然だとされているのに、その逆が「社会的要因;後天的に生まれたあとに学んだこと」とするのは、あまりに無理があります。左利きを考えてみてください。アレは、決定的に先天的なものです。左利きであっても、右利きに修正しきれた人たちは確かに実在します。が、私の知り合いの左利きの人たちは、どこの国や文化で生まれ育ったとしても、左利きの名残をいくつか必ず持っています。左利きのまま100%通している人もいれば、名残を数%持っているだけで過ごしている人もおり、その環境からの影響の度合いや回数や質を問うてみれば、納得できるものがあります。

では、なぜ、性的嗜好に関しては、これほどに世間は狭量なのか?

まさか・・・、まだ左利きを敵視する人なんていないよね?(爆)

性的嗜好にしても同様だと、私は考えます。軸としては変わらないでしょう>先天的か後天的か。私は女性のしなやかさや線が好きです。自分が持ち得ないものだからなのか?ヌードを見るのは好きだというのは、ある意味性的嗜好です。誰がどんな身体なのか見ているだけではなく、その美に動かされていることもあるので、やはりいくばくかの性的嗜好は入っており、純粋100%のストレートだとは言い切れない理由もここにあります。逆に刑務所などに入れられて、無理やり強制的に同性関係しか得られない環境だとしても、同性と性的行為を日常にする人々は半分もいません。どうしても嫌悪感が先に立つ人は、キスさえもできないでしょうが、私は女性とキスはできますもん。が、性的な気分が高揚するかどうか?と言えば、あまりないです。ゼロとは言い切れませんが。

しかも、キスのすべてを性的だとまとめてしまうのも、また文化の広がりがないということにもなります。私が18年近く住んでいるUSでは、友だち同士でも、鳥のようにつつく程度の唇のキスはありです。

私個人は、カジュアルセックスは若者の特権だと思うし、時代はもうカジュアルセックスは、自主的に選び自己管理できる人たちだけしかもう楽しめないと考えています。性病がこれだけ蔓延している中、ある程度の正しい知識を持っていれば、70年代のようなカジュアルセックスはもう怖くてできないことでしょう。が!浮気であろうが本気であろうが、恋であろうが、自己防衛なしにセックスをする人々はまだまだたくさんいます。そして、家庭に持ち帰るバカもいます。自分が性病で苦しむだけならいいですが、肉体的裏切りをしておいて、さらに病気まで感染させるとは、言語道断です。夫婦間でこんな話をしたことがない人は、ぜひポイントとして押さえておいていただきたいです。浮気はいいわよ、風俗はいいわよ、と寛大であっても、病気はダメよ、です。

私はもうカジュアルセックスは、とうの昔に卒業しました。怖くてできませんや・・・。

かと言って、やはり同性愛者が病気を蔓延させている、という見解は的外れです。確かにAIDS発見時は、同性愛者が感染したという率が高かったようですが、実際は、同性愛者だから、ではなく、カジュアルセックスや乱交が原因でした。その証拠に、同時に針を使う覚せい剤常用者たちの感染が多かったのです。針もシェアしますからね。悲しいことに、そのあとは、家に持ち帰った人々による、妊婦や女性がターゲットになり、果てはまだ生まれぬ胎児までが感染することになりました。

きちんとした理解があれば、ホモフォビアの槍玉に挙がっている理由は、論理的に正しいとは言えないことばかりです。

何度も繰り返しになりますが、自分以外の誰かが、プライバシーの確保された密室で何をしていようが、私には関係のないことです。しかも、セックスをしているのではなく、Making Loveならなおさらのことです。私がアダルトビデオなどを見たくないのはそれもあり、他人が何をどうやっていようと、私には興味が持てることではありません。すごい画期的なセックスの技術があれば教えてほしいですが、Karma Sutraの昔から、セックスの最後の奥義は、やはり愛情でしょう。その愛情は、愛情を与える者と与えられる者2者の関係であり、他人がとやかく言うことではありません>相談などされて「どうしてもあなたの意見が知りたい」と頼まれたときは別でしょうが、私は基本的に愛情関係に口出しすることはしません。相談も避けており、「自分で決めることでしょ」といなしております。

その関係のないはずの、誰か他人の愛情生活に、自分の意見は言えたとしても、禁止やら法的措置などをなぜにできるのでしょう?異性愛者って一体何様?と思えます。

もうひとつおもしろい理屈が、「同性愛者同士が結婚しても子どもが増えないから」というもの。いやいや、違うでしょう・・・。USでは、人工授精で子どもを作っているゲイカップルは山ほどいます。そこで、「ゲイカップルだから子どもが曲がって育つ」というのもまったく違います。映画 Bird Cageや数々のドキュメンタリーで、幸せな子どもの数は、異性愛者の親が育てようが、同性愛者の親が育てようが、なんら変わりはないことをきちんと証明してあります。社会全体の白い目がなければいとも簡単な話です。子どもたちは自分の親は理屈ぬきで愛しいのです。他人の子が倖せかどうかを大いに語る人々は、自分の子どもが倖せだということにとても自信があるのでしょうか?人の人生などは結果論です。楽しいこともあれば悲しいこともある。悲しいことを体験したことがなければ、ヨロコビを比較することだってできません。他人の倖せの定義まで決め付けるのは、本当におこがましいことです。

さらに、もしも、この世に孤児院が存在しないならば、そういう理屈はきっぱり受け入れます。異性愛者だからという理由で子どもを産み、育てきれずにいる人々がたくさんいることはどうするんでしょうか?あの子どもたちの倖せは考えないけれども、ゲイカップルに生まれたり養子に取られた子どもの倖せは考えるのはなぜでしょう?生命は平等に尊いのではないようですね・・・。「自分にとってより尊いと感じる生命」があって然りです。が、どの生命も実際は同じように尊いのです。都合のいい片手落ち論理を、私は到底受け容れる気にはなりません。

同性結婚の記事を読んでも無関心な方は、何か考えてみるいいチャンスでした。私は常日頃から、友だちを大切にしているので、ゲイであれどうであれ、その気持ちには変わりはありません。結婚できると嬉しそうではあるが、まだ考え中の知り合いがいます。結婚するかしないか、子どもを持つか持たないか、みなそれぞれ同じように考えるものなのだ、ということはわかっていただきたいものです。

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