私は戦争が落着き、高度経済成長前に生まれ、その真っ只中の昭和に生まれ育ったのですが、昭和という響きを懐かしいとも思わないですし、むしろ「なぜ元号?便宜上ならアリ」な軽んじているヤツで、本当に申し訳ない感じです。ただ、お笑いツボをその場で即座に笑ってもらうための、「昭和の言葉ですか?」「昭和に流行ってたんですか?」などは便利ですし、否定をするものではありません。

私は実際、昭和なんかに戻りたくもないし、平成がいいとも思ってもいないし、明治や大正、江戸時代や卑弥呼まで遡ったとしても、ベストな時代なんてあるわけがないと、心から信じています。しかも、「昭和がよかった」という過去形はいただけませんや (・・;)

戻るのではなく、いいものを継承して残し、よいものを次々と作り上げたり、既存のものを組み合わせてよりよく改良したりすることが、歴史の宿命であり、むしろ、あるもの・既存物となっている概念や物をZERO化することはものすごく難しいことです。薄れて失われ、消滅していくものに対する感傷は、その情熱が強い人々が、なんとかして復興すればいいと思うんですが、それだけの情熱があるのか?ということですよね。他者を説得するには、何が必要なのか、死ぬほど考えて、多数決に負けない折れない心で挑んでいただきたいと思うのです。

それは私個人はUSに渡っても同じだったのです。どこの場所のどこが好き、という偏りはあまりないようで、よければ採用!これまで以上のことがなければ継続!ってな感じです。

私は図書館通いな小娘だったのですが、検索ひとつにしたって今便利じゃないですか♪しかも家にいてネットでできちゃうなんてすごいじゃないですか♪最寄りの図書館にないときに、遠くまで行ったのになかった、なんてことがあって、さらに長じてマイクロフィルムに載った記事を探すのに、どんだけ労力を使ったか思い出すと、戻りたくなんてないのです。なので、なぜに、昭和に戻りたいのか?と問いたい。昭和のいいところだけ取りたいのであれば、それを存続させるだけの情熱見せてみろ、説得してみろ、と言いたいです。部分的に何かを維持するには、これまでの変化、維持できているものの未来、さらなる長期軸での変化や、その変化をもたらす要因について考えていかねば、無理だしょーよ、と言いたいところなのです。

なぜにこんなことを思っているかというと、「子どもたちが騒げて伸び伸び暮らせる場所はどこにあるのだ?もっと周囲の大人が寛容になったほうがいい」という主張に、少しばかり「違うじゃん・・・」と思ったからなのです。だったら、文化住宅や一軒家がもっとたくさん必要で、マンションはNGだし、団地も無理が多そうです。こうした基本になるメンタリティがズレこむと、いろいろな社会問題で軋轢が起きます。

私は、たまに焼酎のホッピー割りを懐かしいと思って飲むけど、「んまい!」とは思ってないかもなぁ(笑)。「うひ、そういえばこういう味だ」とか「これはこれでいい」と思っているだけなんでしょうねぇ。だって続けて飲みませんもん (・・;) コレもあり、な態度は変わらない感じです。多様性ばんざーい!

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