Jan 2, 2006に書いた文章です

 

Faith: 信頼 ((in)); 信念; 信仰; 信義; 誓約

うーん、日本語にするとちょっと意味がズレてくる気がします。さきほど、The Exorcist(1973)と The Exorcist; the Beginning(2004)を続けて見てみたのですが、私にイチバン強く残ったのは、Faithとは何か?ということです。映画としても秀作だったですよ。

「信じること」の概念はあやふやです。ご存知の通り、私は無宗教で、学問としての見地からいろいろな宗教を見ていくことは好きですが、どれ、とひとつに決めることはできません。私は、神という名にどの宗教もが総称しているHigher Powerはあってほしいと願いますし、あってくれなくては悲しいと思います。ノーベル賞受賞者の物理や化学のサイエンス系の学者たちも、最終的には「神の存在を肯定」しなければ、世界の存在そのものに対する全容は説明できない素振りがあちこちに見られます。

が、私は宗教というよりは、「信じること~Faith」のパワーそのものをとても強く信じて感じているわけです。その対象が何であれ、信じることができるのは、とても尊いことだと思います。

以前、究極の質問ごっこが私が参加していたネットの掲示板で流行っていたのですが、その中で印象に残っているのが、「崖っぷちに愛する人と子どもとペットと親兄弟と親友と立っていて、突風が吹いてきたときに、誰を瞬時に助けるか?」というもの。その時も今も、私の答えは変わりません。「自分の力量や危険をわかっていない子どもや親やパートナーや動物や親友じゃ、いっしょに生きていくのに困る」というもの。私は誰も助けませんよ(笑)。でも、参加していた人たちは、女性は「子ども」がイチバン多く、男性は親になっている人は子どもと親の間で迷っており、独身者はパートナーだという答えが多かったです。その中で「誰も助けない」と答えたのは私だけで、何たる人非人と映ったことか(笑)。

が、私は、自分がいっしょに生きていく人たちを強く信じているのです。自分で自分の面倒がきちんと見られる人たちであることを。少なくとも生命に危険が及ぶ軽はずみなことはしないことや、自分の能力をわきまえていると信じています。その瞬時に誰かを選ぶということは、他の誰かを捨てるということに繋がります。なので、私は誰も選ばないように、日々、一人一人ができる限り自分で自分の面倒を見られるようにしていけばいいと思っていて、そのように振舞っています。母などは、これから寝たきりになったらどうしようか?などと心配していますが、あと20年くらいは大丈夫でしょう。立っている者は親でも使えというのは、鬼だからばかりではなく、母がちょこまか独楽鼠のように働かなくなったら、彼女の健康やマインドによくないと思うからです。かと言って、重労働をさせているわけじゃないですから・・・。シャープで健康でいてほしいと願っているだけで、それが本人の望みでもあるからです。

逆に考えても、私は誰かに崖っぷちで助けられたくはないです。そもそも高所恐怖症だったら、崖っぷちに行かないほうがいいだろうし、突風が来るかもしれない危険性は読めたほうがいいだろうし、足場の確認や見通しなどはわかったほうがいいのだし、落ちてしまうような運動神経では困ります。

たまに、我が家のネコは家の目の前の桜の木に登って鳥をハントしようとするのですが、たまに落ちています。私は放置しておきます。落ちたあと、とても恥ずかしそうにしており、その場をごまかそうとして足元に擦り寄って鳴いていますが、「あー、やだやだ、何ごまかしてんの!」と笑っておきます。桜がすべりやすい木だってことぐらい学習してほしいからです。小さい頃は木登りして降りられなくなっている子たちもいましたが、私は手を差し伸べて下ろしてあげませんでした。さすがに30分以上は放置しませんでしたが、それ以内で自力で降りてこられないネコはいませんでした。出かける時間が来てしまうから、という理由で、家に入ってほしくて下ろしたことはありますが・・・。毛玉を吐くのも苦しそうですが、まったくできないのでは困るので、黙って見ています。毛玉がつまらないようにするごはんには切り替えているのですが、長毛種だとアレでもまだ足りないようです。

自分でイチバンすごいな、と思うのは、自分のある能力やある判断を信じきることができるときです。どこからその自信が出てくるのか?を探ると、やはり長いあいだ培ってきた経験測としか言いようがなく、実際は長いデータを提出できるのでしょうが、日々、イチイチそんなことはしてられません。ネコに我が家に来てもらったときも、17年以上は生きてもらいたいと思って、ずっとコミットしていこうと疑いもなく信じてきましたし、学校を続けることも決して無駄でも間違ってもいないと信じ続けてきました。会社を始めるのも同じで、まだ大きな黒字は出ていませんが、かならず計画通りに行くと信じて疑っていません。

映画で、Leap of FaithというSteve Martin, Debra Winger主演のものがあります。詐欺師のエセ宗教団体が大型バスでひなびた町から町を渡り歩き、ゴスペル調のミサを開き、お布施をがっぽり稼ぎ続けており、ある町で、足の不自由な男の子が神頼みをし、本当に歩けるようになり、当の詐欺師本人たちがびっくりしてしまい、Faithとは?を考えさせられるコメディ調のドラマです。うーん、コレ、日本に行ってないかなぁ。

The Exorcistもそうですし、この映画もそうですが、ここ10年ほど心理学で開けてきている分野である、Placebo効果を見事に反映していると考えます。砂糖や小麦粉が入っている薬を飲んでも、信じている人は、症状がきちんと治ってしまう、という効果のことです。私は普段、薬は一切飲まないので(漢方薬やサプリは飲む)、いつもアスピリンも有効期限が過ぎてしまい、捨てる羽目になるのです。年に1回かそれ以下しか頭痛など起きないし、本格的な風邪は10年に一度くらいだし、風邪をひきそうかも?と思っても、暖かくして一晩眠れば見事に治っているので。たまにアスピリンを飲むとよく効きます。解熱剤などは本当にあっという間に効いてしまいます。あるいは、飲酒も喫煙もする私には本来は薬は効きづらいからと避けている心が、たまにしか飲まないのだからぜひぜひ効いてくれ、と絶望的に信じているのかもしれません。

ここ3年、さらに心理学界で注目を浴びているのが、免疫学との融合で、心的作用がどのように免疫を高めていけるか?というもの。アレルギーなどが増えていることや、ヴィールス性への免疫などを追求する医学と、その心的効果がどうなっているかを学問にしている分野です。人間の細胞も学習をするので、心の持ちようを変えていくことで、環境を自らポジティブに変えていたり、話す内容を選ぶことで健康にもプラスに作用することがあるというのは、すでに多くの実験で検証済みです。さらに、脳細胞などは、老人になってからも密度はどんどん増やせることも解明し、大きな希望に満ち溢れている分野です。これを信じないのは大損だと私は思うので、さらに学校に行こう!と決めているわけです。

Faithに満ち溢れて暮らしていますか?

できることならば、世界中のみんなの強いFaithが論理に支えられ、どんどんといい結果を出していくことで、さらなる強いつよいFaithが育つことを、いつも祈っています。

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