Jan 3, 2006 に書いた文章です

 

私の口癖には;「すべては繋がっているのだよ」というのがあると書きました。それに釣られて今日はこの話。

話のポイントを理解するためには、大きな全体的構図を把握していることが前提です。が、実際は、この世界の仕組みや真実や法則性などをきれいにちりばめてある大きな絵は、人によって大きく異なります。この頭の中にある地図のような絵を、スキーマ; Schemaと呼びます。ラテン語です。

このスキーマをどのように整理してあるか、どのように組み立ててあるか、で、自分や自分の周りにある物事を見る目が変わります。子どもの頃、このスキーマに詰まっているものは、量も項目もとても少なく、成長するにつれ、どんどん増えて、質も磨かれ、整理の度合いもうんと歴然とできる可能性があります。このスキーマは、学習や認知というエリアであり、記憶そのものとは違います。記憶はまた別のファイルルームに詰まっており、そこからこのスキーマに並べてある項目と関連性を持たせることになります。互換性はあります。

なんで、こんなことを書き始めたのか、というと、物事を大きな図柄を持ってタックルしている人というのを、稀にしか見かけないからです。いや、すれ違っているのでしょうが、話をする範疇に見かけないだとか、ニュースを書いているプロや、マスコミに露出の多い人の話や書き物などに、それがきちんと反映しているのを、あまり見かけないのです。その点、やはり学校に通っていた頃は違いましたよ・・・。狭められたある物事の勉強をしていても、あっちからこっちから、このでっかい認知マップを駆使して、すべては繋がっていったのです。なので、毎日、「うーん、すべては繋がっているのだな♪」と悦に入っていたのですが、近頃、自分で開拓していかない限り、すべてはなかなか繋がっていきません。難しいなぁ。

たとえば、毎日新聞のコラムで、「風邪薬の選び方」という記事を見たのですが、理路整然と書かれているようで、実際はかなり表面的な情報なのです。「症状に合わせた薬を選びましょう」とありますが、なぜなのかは書いていません。風邪に特に効く薬はない、とはっきり書いてくれないと困ります。風邪のしくみは何なのか?ということがわかるようにどうして親切に書いていないのか?風邪と総称しているものは、便宜的表現であり、実際のところは、万民が同じ風邪という疾病にさらされているわけではありません。ヴィールスは毎年進化・変化しているので、近年、特に今年の流行度合いを踏まえて、来年のインフルエンザ予防接種ワクチンが作られるのです。「風邪じゃないね、インフルエンザだね」と言えるくらいの知識があればまだいいのですが(理解して言っていてほしい・・・)、風邪を一元化しているところで、すでに薬だけに頼るのは、症状のみを緩和させる応急処置でしかないことが理解できていません。しかも、個体によってはその症状が緩和される保証もありません。この対症療法が、西洋医学の基礎です。完治するためには何が必要かもわからないことでしょう。

↑これだけを理解するためにも、スキーマのあちらこちらから学習や経験してきた真実や法則などを引っ張りだしてこなければならないのです。

人にはそれぞれ得意な分野や不得意な分野がありますが、できるだけ「サバイバルに最低限必要な知識」はスキーマに入れることを、私はいつもオススメしています。あとは、応用力があれば、その法則性を使って何とかサバイバルできるからです。

私は、酒屋さんにビール瓶を持っていけばお金がもらえることを知っていたので、多摩川からバスに乗って帰ってくることができました。サバイバルです。化粧の仕方を知ることもサバイバルの一種(魅力的に振る舞い多くの味方・同胞を獲得する)でしょうが、できることならば、金融業の仕組みなどを最低限知り、簡単にローンを借り入れたり、クレジットカードを濫用するとどういうことになるか知ったほうがいいなと思うので、中学生か高校生の授業に取り容れたほうがいいと思っています。

私が「頭がいい」「賢い」と思う人は、この「サバイバルに最低限必要な知識」以上のことが、ふんだんに詰まっており、それをきっちり使えている人たちなのですが、いつも説明するのに苦労しています。

「えええ、東西南北なんてわからなーい!」と笑って済ませる人のスキーマはどうなっているのか?といつも見てみたくなります。「スキーマに入れとこうよキャンペーン」はしているのですが、開き直られてしまうことが多いのです。が、そのキャンペーンに乗るかソルかは、その個人の自由なので、私はそれによって、その人を評価することはありません。私のスキーマの法則性が増えるためにやっていることです。

ある物事が真実なのかどうか、真実でなければ、どのくらい真実に近いものなのか、私は確かめられずにはいられませんが、そうではない人がいてもまったく気になりません。が、確かめていると豪語しながらも、実際は、このスキーマを駆使しておらず、最低限の組み立てもできていない人たちの書いたものや言っていることを目にしたり耳にしたりすることが多いです。そうなると、それに感心している人々のこともとても気になってしまい、日本や他、国民全体のことも気になってしまい、世界中のことが気になってしまいます。

私はクールに他人に干渉せず、放置しておくことはできるのですが、コレが仕事相手となると困ります。進まないじゃねーかよっ!とストレスになってしまうのです。以前は、自分のスピードがコントロールできずに、こんな想いをすることは多く、私のほうが自分の基準で物事を測っていたのだな、と反省し、柔軟になったはずなのですが、「有言実行をしない仕事相手」ほど、厄介なものはありません。不文律を守れと言っているわけではなく、「確かに○日までに」だの「お電話さしあげます」と言っておきながら果たされない約束たち・・・。コレは本当に気になってしまうことなのです。

学校で宿題を出さないのはいいんだよね、自分だけのことだから・・・。グループ研究で参加しない人がいたら、私はシビアに「Aさんはロクに参加しなかった」と本人とメンバーに文句が言えるからいいのよね・・・。でも、仕事は、学校のグループ研究よりももっとたくさんの段階と、たくさんの人々により成り立っているので、厄介です。しかも、弊社は文化を超えてやっているので、台湾流やUS Business Common Senseや日本のしきたりなどを、いちいち切り替えなければならず、という場面も出てきます。スキーマは当然、育った環境にも左右されています。一方的に「スキーマがきちんと構築されてねーよっ!」とは言えないのです。

私は商売がうまく行き、最初にMBAを取ったあと、Cognitive Psychologyのメッカか、Cultural Psychologyのドクターコースに行きたいと計画しているので、やはりコレも試練なのでしょう。私のスキーマがますます綿密にでっかく良質になるための。脳の細胞はまだまだたくさん余っているので、スキーマを広げる場所がなくなるとは到底思えません。できるところまでやってやるぞぉ!

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