アメリカに来るまで、私は自分の体内時計をずーーーっと「夜型」である、と信じてきました。何かイベントがあってもどうも夜のほうが物事が順調に進むし、アタマは冴えてるし、「こりゃ夜のほうが楽しい♪」と思うことのほうが身体には多く、何となく疑うことが数度くらいしかなく、「私は朝ダメなのよぉ」などと、申し開きばかりしていました。

事の始まりは、自分には記憶のなかった赤ちゃんの頃を回想した母の言葉にものすごいインパクトがあったからかもしれない、という疑いを晴らすことからやっていきたいと思います←何のために?(爆)

母は「子どもなんかいらない」「子どもなんて怖い」「子どもなんて面倒くさい」「子どもなんてお金がかかる」と考えていた人でした。それもそのはず、私が生まれる前に、1度の流産と1度の死産をしているわけです。その流産もかーるく6ヶ月を過ぎていて、彼女なりに胎内に赤ちゃんがいることに慣れ親しみ、将来を楽しみにしていた矢先のことでした。そのあと、9ヶ月もおなかのなかで赤ちゃんとそれなりに対話していたのに、生まれたらもう死んでしまっていた、という体験もしており、私は自分でも「何で生まれたんだろ、私??」とかなり不思議です。母があきらめない人でよかった…(汗)。

基本的に元来母には強い生命力があることと、避妊の仕方も知らない23歳だったことに感謝です。18歳で父と結婚して以来、避妊ということについて興味を持ったことがありませんでしたし、誰も母に避妊すればいい、というアドバイスをしたこともなく、私を身ごもったときはうれしいような哀しいような複雑な気持ちだったと思います。

そして生まれた私がいかにラクちんな赤ちゃんだったか、ということで弟が生まれます。そして子どもがふたりいて、内職をしつつ育てなければならないことで、避妊を知らなくてもいいことになってしまいました←これって…(汗)。そして私が幼稚園に行く頃に避妊を知るわけです。弟もセーフだったのだ(爆)。

そうなのですね。私は母いわく、「とってもラクで母親想いの赤ちゃん」であったのでした。よく食べてよく泣いてはいたものの、就寝時間がうんと長く、乳児の頃からひとり遊びができ、泣いても放っておけばわりと勝手に泣き止み、母のスケジュールに合わせた体内時計のリズムに適応できてしまう赤ちゃんであったらしいのですね。生まれてから祖母といっしょに病院から家に帰り、おっぱいだけ飲むとコテンと寝てしまうような都合のいい子であったようです。母が起きて立って家事ができるようになってからも、赤ちゃんだった私は彼女の都合にかなり忠実に寝起きしていて、「そろそろおなかが空いている」とおっぱいをふくませれば黙ってごくごく飲み、すぐ寝て、火がついたように泣いたと思えばおしめを替えればまた寝て、起きてから少しくんくんぐずったと思えば母・父・祖母・叔父の誰かが抱けばおとなしくなり、床に置いてからも天井を見つめてガラガラでひとり遊びできるような、そんな都合のいい子であったのだそうです。うーん、記憶にないが、私もこういう赤ちゃんだったらすごいうれしい(爆)。

新生児は最初の一ヶ月ほどは1日20時間以上寝るもので、それがだんだん減ってきても私はめりはりのある赤ちゃんで、ぐずる時間がやたらと短かったのだそうです。その都合のよさは幼稚園に入るまで続いた、と母は今でも言います。

夕方、母が食事の支度を終えて他の大人が帰宅するのを待ち、父がいれば父にお風呂に入れてもらい、いなければ母が手早くくるくるっと洗ってもらい、ゆだった身体におむつと肌着をつけてもらってたくさん着込ませてもらってから、おとなしくひとりで遊びました。大人がごはんを食べているときに代わるがわる抱かれて、離乳食あるいは固形食を食べ、それなりに遊んでもらい、おなかがいっぱいになったからと言ってすぐコテンと寝るわけではなく、こたつ台の端っこを噛むプロジェクトに取り掛かったり、新聞を丸めるプロジェクトに取りかかったりして、うんと疲れてみなが布団を敷く頃になっていっしょにバタンと疲れて寝る、という調子。それが夜の11時頃だったのです。

朝はみんなが朝ごはんを終え、家を出、母が抜き足差し足をする必要もなく、お皿の片づけ・掃除をしながら洗濯をして、洗濯物を干している頃、朝の9時から10時のあいだに起きる、というような至ってリズムのある簡単な赤ちゃんであったのだそうです。

と、まぁ、上記のような話を、生活のリズムが多少母にとってラクではなくなった、幼稚園に通い始めたときから聞かされてきました。うーん、どうして母はこうもフランクに、「赤ちゃんの頃はラクだったのに、どうして幼稚園になってもお支度が遅いんでしょ」だとか、「赤ちゃんの頃はすぐに寝たのに、どうしてお布団に入っても目めが閉じれないのかな?」と、私の罪悪感に訴えるようなことを言ったんだろう?そんなに素直な赤ちゃんだったのに、どうして私は「あんたは生まれたときから反抗期が続いてる」と言われる大人になってしまったのだろう?←ねね、これも矛盾があるでしょ?(爆)正確には「幼稚園に通い始めた最初の反抗期からずっと反抗期」なのだ…。

とにかく、「大人の都合に合わせられる宵っ張りな赤ちゃん」だったという印象はいつになってもぬぐえませんでした。

幼稚園から小学校の1・2年の頃は夜8時が就寝時間だったのですが、育つにつれてだんだんその許される時間が延長しました。自室が与えられた頃(祖母が死に、叔父が結婚し家から出、母が内職を複雑なものに替えスペースを取らなくなった頃)には、自分で決めていいことになり、中学生の頃にはもう11時過ぎまで起きていたという記憶があります。

そのあとは雪だるま式にどんどん深夜族になっていくのでした。高校生になり、バイトの未成年の上限が夜の10時で、そのあと従業員用の食事を食べ、帰宅そのものが既に11時で、私は疲れてバイト代でシャワーをつけることにして、朝シャワーを浴びることに決めてしまうのです。日記を書き、本を読み、宿題だけはやると(やらねばならぬと思ってもやらないこともままあったけどさ…)、深夜になるのは不可避でした。音楽や深夜放送を聴いたり、手紙を書いたり、と高校生にはそれなりにイベントもあるしねぇ。

大学を辞めてからのバイトの一発目を朝6時に設定するようになっても、いやいやながら起きて「稼がねば」とまだ暗いうちに起きても、私は自分のことをどうしても「夜型」だと思っていたふしがあります。休みの日に寝だめができていたのもこの頃まででしょうか?本を読む以外にアタマを使わずに、ずっとずっと身体ばかり使っていたという印象が強いです。

そして渡米をし、環境が激変して、「うがぁ、アメリカってこんなに朝が早いんだぁ」と思って以来、私はみずから朝6時に起きることになります。お弁当を作って売っていた、とか、お金をもらって他人を車で学校に送っていた、という強制的な要因がなければ、朝早く起きていたか?と言えば答えはNoでしょう。

西さんに出遭っていっしょに住むことになり、飛行機学校でのフライトを早朝にすることが多くなりました。身体を起しておいてから、座学を受けるというのがなぜか効率がよかったのです。西さんは鶏みたいな人で、お日さまが昇ると目覚ましがなくても勝手に起きてしまう人でした。今でも二日酔いでなければそれは続いています。

短大に戻り、朝7時の授業を取れば、午前中にほとんどの授業が取れてしまう、というのを発見し、あとは夕方からのクラスに週に2回ほど出れば、一学期で20単位ほど取れてしまう、というのも早起きを続けた理由です。早朝と夜の授業は人数が少なく、先生やクラスメイトと親密になれる率が高く、駐車場も建物に近く、いいことづくしでした。短大を終えて四年制大学に編入してからは、通学時間が延び、やはり朝うんと早いクラスならばラッシュに巻き込まれないことを知り、家を朝の6時すぎに出ていました。

そしてネットを始めて、日本時間に合わせてみんなとチャットをしようとすると、冬時間では朝の6時が日本時間の夜11時で、夏時間では朝の7時が夜の11時となります。学校の都合もありましたが、いつも早く起きているので苦痛でもなく、ついでだったのです。

怪我をして学校を休学してからも、体内時計は「朝型」のままです。

と、言うことはだよ?私が赤ちゃんだった頃の宵っ張り状況・夜型Babyだった、というのも近年の朝型生活もどちらもあながち嘘ではなく、ただ単に私は「環境順応体質」を持っている都合のいいやつなんじゃないか?と思うようになったのです。

怪我前にも夜中にダンスに行ったり、睡眠時間が足りないとおひるね大好きだし(怪我をしてさらにこれには拍車がかかった)、べつだん、「朝型」「夜型」などというものは私には当てはまらないんじゃないか?と思うようになったのでした。キャンプや旅行に行くとき、ものすごく環境が激変しても、睡眠だけは確保しようとする体内からの欲求に勝てない、というだけの素直な身体なんじゃないか?と。

そういうわけで、私は環境順応ができるとこれからも自分について信じ込み、あとはこれをどうやって人間関係に生かそうか?というお題を胸に抱いてやっていきます。朝は弱いんだよねぇ、と自己申告するみなさま、あなたは10代後半から20代前半の私と夜遊びをしていない…。見ていたらこれほど「夜型」という言葉がぴったりするようなやつもいなんじゃ?と疑うほどにランランとしていました。

人間が変われる、と豪語するのも、こんなところから来ていたりします♪

朝型夜型テスト テストどうぞ♪

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