USに住んでいたときに書いた文章です;年月日わかりません (・・;)

きゃはは、行ってきました♪1時間50分、踊りっぱなし(爆)。足腰はだいじょうびなのか?というところです。またまた5時間で起きてしまったのですが、今のところは「ふくらはぎがひょっとすると筋肉痛なのか?いや、そうでもないぞ」っていう感じです。何と1年数ヶ月ぶりに踊りまくってしまいました。それが永ちゃんのコンサートだったとは感激☆

もちろん日本に住んでいてある程度興味のあるみなさんのほうが詳しいとは思いますが、矢沢永吉が参加していたキャロルが解散し、ソロ活動をはじめてからすぐに単身でアメリカはLAに乗り込みました。ジョギングをし、英語学校に通い、スタジオでボイストレーニングや曲作りをし、できたアルバムのタイトルがFLASH IN JAPAN(訳すと日本の閃光だろうな、と思う)でした。これは永ちゃんのたっての意志で、アメリカのみでの発売となり、日本では10年以上経った今でもまだ発売されていません。2000年に50歳を記念して発売されることになっています。

ここ、San Franciscoに来る前日には、LAで二度コンサートを行い、その前には日本の横浜アリーナでチケットを完売した、という知識を持ってFilmore Auditoriumというイベント会場に行きましたが、並んでいた98%が日本人あるいは日系人で、数も開演1時間前で200人ほどだったでしょうか。「これでもやってくれるの?」と少し不安に思いながら(だって、Bette Midler行ったばっかじゃん、私…)開場を待ったのです。

入場のときには「アルコールを飲むつもりの人」にOver 21(21歳以上)というスタンプを証明書(生年月日入り)を見せると捺してくれました。絨毯敷きの階段を昇り会場に入ると、そこはライブハウスでした…。どんなにマンパンに詰まったって500人しか入らないんぢゃ?というキャパ。ステージが近い…。ドリンクを片手にステージににじり寄ってみたらアタマを数えて前から8列め(ライブハウスの立ち見ですから正確にはうねうねしてたけど)くらいです。このAuditoriumは昔むかし、Tina Turner(ティナ・ターナー)がまだだんなさんと離婚していない頃に歌ったり、Ray Charles(レイ・チャールズ)やLittle Richard(リトルリチャード)などなどの、今は大御所と呼ばれる人も演奏していたことを廊下のポスターや写真で知ります。うーん、伝統を感じる♪

「げっ!私ってこんなに日本人の知り合い多かったんだっけ?」と思いつめてしまうほどにいろいろな人に逢いました。しかも到底YAZAWAファンであるとはふだんのおつきあいのなかでは思えない人ばかり♪意外なところを見た感じでおまけに得をしてしまった気がしました。でもやっぱ誰もタオルは買ってなかった…(汗)。私もCDは買いましたがタオルは買えなかった…。

夜8時になってバンドが演奏をはじめ、永ちゃんが登場したときはびっくらしたぁ。「リーゼントじゃないんだ、くっそぉ!」が最初に浮かんだ言葉(爆)。髪が退化している部分に注目すると、ちゃんと「昔からリーゼント気合入れてました♪」というのが窺える髪型ではあった…。黒い3ボタンのスーツに白いYシャツでした。このあとものすごい汗で、ジャケットを脱ぎ、黒いTシャツ→肌の上から皮ジャン→サスペンダーつきの白いスーツと衣裳替えするのですが、あああああ、定番でかっこよかったよぉ。いでたちはやっぱ私好みだぁ♪

バンド構成もギターのひとり・シンセサイザー・キーボードのみが日本人で、ドラム・ベース・パーカッション・サックス(曲によっては他にも別の楽器での参加者あり)もアメリカ人で、バックコーラス3人も女性ふたり男性1人のアメリカ人でした←日本語もコーラスしてたよ♪白人の女性がやたらNicole Kidmanに似ているなぁと感心していたのである>私(爆)。

何といっても私のなかで日本の文化の直接感というのはあらゆる部分で12年止まっているのでありました。永ちゃんごめん、私はあなたの音楽を渡米してまでも輸入して追っかけることはありませんでした…(汗)。なのでどれくらいの曲がわかるのか?と不安であったのですが、これもけっこうクリア。14・5曲歌ったなかの3分の2以上はわかった♪そういうプログラムにしてくれてあったんだろうな>「あの子はルイジアナ」とか「Without You」とか「I Love You,OK」とかさ☆

昔、「好きです」と言ってくれた男の子のうち、かなりの割合の人口が永ちゃんが大好きでした。そしておそらく、今でもずっと好きでい続けているのだろうな、ということは推し量れます。シャコタンやホッドロッドに乗っていたヤンキーな兄ちゃんたちが主流でしたが、私といっしょに若い時代を駆け抜けた男の子たちのほとんどは「YAZAWAは大嫌い」と拒否することがなかったと実感していました。

彼の著書、『成り上がり』をリアルタイムで知らない年代のファンが増えつつあるなか、彼はどうして50歳になってもRockをやり続けるのでしょうか?もちろんCMもやりました、映画も出ました。オーストラリアで土地売買の詐欺にも遭いました。けれども曲を作り、歌うことだけはやめない。

私が50歳になったとき、を仮想しても希望が持てるような永ちゃんの生き方は充分すぎるくらいに見せてもらいました。ギター1本で億というお金持ちになったわけでもないし、独特なカリスマだけでアリーナや武道館を満場にできるようになったわけでもないし、昔からの習慣の惰性で買うお客さんのおかげでCDがコンスタントに売れ続けているわけでもないです。

たった400人ほどの私たち異国に住む日本人にも、そのなかに混じるアメリカ人にも、エンターティナーとして全力投球ができることは、私が常日ごろ「明日からだってトイレ掃除の仕事に従事できる」と言っていることのエッセンスを、実際体現できる人であることが伝わります。お金がなくても、すごいバンドがバックについていなくても、愛する人を失っても、きっと永ちゃんは永ちゃんで居られるでしょう。この推測は間違っていないと思います。Bette Midlerのコンサートのときにもそう思った。プロとしてきっちりお仕事をしているということは、やはり切り替えて私生活はだらだら、ではできないことでしょう。

いくつになっても学習や鍛練や自己向上は必要であること。それさえきちんとステップを踏めば、私のような素人で取り得が一見なさそうな人間の未来も希望にあふれているということを強く感じながら、私はライブハウスのようなAuditoriumを跡にしました。もう汗だくだくだった(爆)。

こうした臨場感をまた観客たちは生活に戻ったときの元気の素にして、がんばって暮らしていくんだな、と、またまた思った次第です。直接出かけていったほうがわかりやすいけれども、行かなくても実際に経験しなくても、「内的経験」というのはできます。永ちゃんのようにうなるほどお金を持っていても、同じようことができるか?と考えることからはじめてみればいいわけです。50歳になっても全力投球しつづけられるか?と。

私は「やるぞぉ!」と思いました☆

熱気も冷めぬまま、12月のSan Franciscoの街をタンクトップのまま歩き、留学生Oくんとじゃんけんをして私が飲んでいいことになりました←ねね、公平でしょ?(爆)11時がラストオーダーというお店に入り、ひとしきり話して帰路につきました(ちなみに沖縄のオリオンビールっておいしいね♪)。

「明日筋肉痛だったらどうしよう」「腰が悪くなっていたらどうしよう」ともちらっと思いましたが、そんなリスクを引き受けても、このコンサートと呼ばれるライブは楽しかったです♪今度帰国したら、免税で永ちゃんのCD買おう♪と思いました(爆)。

ちなみに午前中から新車を買いに出かけて疲れて、午後3時から無理矢理おひるねをしたのですが、なかなか効果があった模様です。今日から工事の人も来るし、片づけが終わらないとクリスマスも年末もお正月も来ません…。何とか永ちゃんパワーでやっつけたいもんです♪

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