ここのところ悟りを開けたらいいのになーと思うことが間々あります。

解脱:仏教,インド哲学の用語。人間生活に伴うあらゆる苦悩や迷妄の束縛から開放されて,完全に自由になることをいう。もともとはウパニシャッドで説かれ,インド哲学一般に継承されている観念であるが,仏教では涅槃 (ねはん) とともに究極の目標と考えられている。

悟り:仏教の歴史を通じて,出家であれ在家であれ仏教者たちは,禅定もしくは三昧に入るように修行し,禅定や三昧において仏教的真理を知る知恵を得,悟りを悟っていたと考えられる。禅定や三昧によって表層意識を消滅させつつ深層意識を自覚化していき,最深層意識をも消滅させると同時に,彼自身の実存においてあらゆる衆生にゆきわたる根本真理を知る知恵を得,悟りを悟ったのである。したがって悟りとは,そのようなしかたで自我的な人格から解脱して自由になり,衆生に対して無礙(むげ)自在にはたらく新しい仏菩薩的人格へと生まれ変わることであるといってよい。

ところが、スクール始めちゃったし、DVD制作始めちゃったし、Kindle本執筆開始しちゃったし、あらゆることを中途半端にして自由になることは全然違う次元だし、生きていることそのものがかなりの確率で、苦悩や迷妄の束縛を伴うもので、どうしたものか・・・と途方に暮れるけふこのごろです。

とはいえ、私個人の最も大切にしているNo.1価値観は、『自由』なので、ズレたやつではないなぁと、30代くらいからずっと考えていて、その点においてだけは満悦していたのでした。

15歳の折、まともに就職はしない!と決めつけてしまっていたワタクシですが、どうしても自由にこだわっていきたかったのだと、アメリカに行ったり、人生を模索したり、またもや大学に戻ったり、パイロットになって空を飛んだりしてようやくわかったりして、ずいぶんと回り道をしました。が!確固たる自由というのは、追求するのにたいへんに難しい。

離婚をすることになり、やはりこれが自由なのか?と突っ込みが入ると思うのですが、私個人は自由になった解放感があります。根本真理にどの程度到達してきているのかはわからぬままですが、悪くはない、けっこういい、かなりいい、相当いい、くらいまでは来ているんじゃないか?と思えているのです。もうちょい、もうひと押しが何とかならぬのか?と、まだまだ悶絶しているところです。これがアップされる頃にはきっと離婚は成立しているのではないかと思われるので、届を提出するときの気持ちは刻んでおくこと!を肝に銘じてみます。

母が入院して、この悲しい気持ちと未来へ希望を持てる気持ちの混在に、どのように立ち向かえるか?というと、やはりたまに仕事に埋没して忘れよう、逃げようとしている自分に気づきます。本当の意味での自由ではないですよね (・・;) とことんこの状態に浸かれることにより、すべてを引き受ける大きさ・寛大さ・自在さを持てるといいのに、などと思いつつ、雑巾を絞るのでありました(笑)。

それでも、DVD撮影で、生徒さんたちの笑顔や苦悩、理解へのもう1歩の顔を見ていると、自由に近くなる気がします。支えです。

今後もこのような瞬間が多く多く訪れますように。解脱への道険し・・・。

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