放置:かまわずにそのままにしておくこと。
かまう:[1] 1.気にする。かかわる。関与する。2.つかえる。さしつかえる。3.気をつかって相手をする。世話をやく。[2] 1.強く干渉して、一定の場所での居住などを禁止する。追放する。2.相手にしてふざける。からかう。
共感:他人の体験する感情や心的状態、あるいは人の主張などを、自分もまったく同じように感じたり理解したりすること。同感。→感情移入。

毎日のささやかなことではありますが、My WorldとTheir World(自分の世界と彼らの世界)が重なるときに、どんな按配で踏み込んでいけばいいのか、なかなか難しいことです。

西さんとは11年の長いようで短いような歴史のなかで積み重ねられたTrial&Error(試みと失敗)が山ほどあるので、信頼感やら距離感というのはかなり絶対的なものに徐々に近づいていると、肌で感じることができるまでになりつつあるのですが、すべてのふれあう人々とこういうわけにはまいりません。しかし、ここまで来るには長かった…(汗)。

留学生が合計で7人、我が家で寝起きしていたわけですがなぜそんな面倒でよけいなことをするのかというと、やはりこの「放置しておけるか?」という訓練に行き着いてしまいます。限りなく自分のためなので、いくらボランティアが多少入っていようとも言われるに及びませんし、他人に褒めてもらうためにやっているわけでもありません。毎日まいにち留学生とふれあう時間があるたびに、自分のなかで「放置しておけるか?」という闘いをしているようなジレンマと遭遇します。

ステレオティピカルなことを並べ上げると、年齢も出身地も親の子育て傾向も食生活も生活そのもののリズムも目的やそこまでの辿り方も違い、「ん?なぜこの人はこのような行動を今、しているのか?」とかなりなぞめいたことも多いわけです。時間的感覚も個人差があり、学習にも個人差があるので、知り合い情報収集をする期間はさまざまです。それを踏まえても、アタマで充分理解していても、「ああ、代わってあげたい」「ああ、これはこうやったほうが能率がいい」「ああ、これはこう考えたほうがラクだろうに」というこみあげる気持ちと闘うっていうのは、我慢強さを試されてしまいます。

(ここで、自分のだんなさんを思い浮かべた人が多数いるであろう…汗)

嫌味や自慢ではなく、私はかなりスピードの速いやつです。ほぼすべての行動が光りのように速い♪自分としては段階をこなしているのですが、他人から見れば端折りばっかりしているように見えてしまいます。コマ送りもできるんだよ、といつも思ってしまいます(いやいや、なかなかコマ送りは難しい…汗)。自分としてのメリハリはあるつもりですが、どうして食事と浸かるお風呂とネコ遊びだけはゆっくりで他がやたら速いのか、理由はきっと見つけずらいことでしょう。

自己を失わないために自分なりの価値基準があるのですが、それを他人に押し付ける気持は毛頭なく、すべての「あなたしかできない体験を満喫してね♪」という大きな心はあるつもりです。けれどもにんじんを切るのに時間かけすぎていたのでは、カレーはいつまで経ってもできない…というジレンマもあります。そのへんの按配っていうのはものすごく難しい。

なぜだか我が家ではかに玉が好まれるのですが、分業しつつ台所に立つとどうもこれだけでいらいらはつのる…。卵の数・溶き加減・中身に入れるもの・フライパンの熱し方・油の入れ方・卵の焼き方、この6段階だけでもどうも「手出ししたくなること」がたくさんあるわけです。留学生Oくんに、「あと何回やればきれいなかに玉ができるようになると思う?」と笑って聞くと、「4回やったでしょ。あと16回かな」などと笑い話になっています。その裏側で「うーん、あと16回かい…」と悶絶しているのも事実ですし、同じくらいに「よっしゃよっしゃ。あと16回で納得いくかに玉が作れるね♪」と安堵しているのも事実です。このMixed Feeling(混ざった感情)が毎日何度あることか…。

現在は留学生がひとりになったので多少軽減されてきましたが、西さん・留学生Oくんとふたりいるとなかなかストレスはたまります(爆)。もうひとり留学生がいたときは死にそうでした…(汗)。しかも私は身体が不自由で口だけは動くけれども(まぁ、痛くて動かせないときもままあった)、身体は自由にならないわけです。ま、かに玉のように歴然と目に見えるものに関してはまだストレスは少ないのですが、見えないことや時間のスパンを長くして取り組んでいかねば埒があかないことに関しては、ことさらストレスになります>運転はやっぱり長い時間かかるのかな…??

かに玉などは、気に掛けて見ていて(私は横であんかけを作っているのであるがすぐに終わってしまう…)、口を出すこともできるし、口出ししないで黙っていることもできるし、手出しだってできちゃいます。そのうまい按配というのがどうもねぇ…。

こういう毎日を過ごしていると、どうも教習所の教官や母親にはなれないのか?などと自信喪失してしまいます。たくさんのTrial&Errorはどうしたって自分自身でやってみないといけないものなので、やってもらうために放置しておくのですが、効果があがるようにちょっとだけ背中を押せる言葉を捜すだけでもなかなかたいへんです。言い過ぎてはいけないし、言わなすぎても無関心になってしまうし、このへんの本気度っていうのは、その相手とその相手のこれまでの過去と未来をすべて見据えて♪というスペクタクルなでっかい規模の作業だったりします。

(たかがかに玉一個で、じゃなくっていろいろ他にもね♪笑)

西さんが今度単身赴任で海外に行くわけです。(どこを基準点にしたらいいんだか…)、日本でのビザ待ち暮らしの最中であっても、台湾に行ったとしても、私(@アメリカ西海岸)にとってはどちらも海外です。大きな気持ちで見送るときに「ああ、この人ってばまたたくさんのTrial&Errorしまくるんだろうなぁ」と放置できる気持ちが働きます。でもそれだけじゃぁあんまり冷たすぎるしねぇ。「スーツを新しく作ること考えてる?」「車って台湾はいくらくらいなのかねぇ」「接待でのお酒はどれくらい飲むんだろうねぇ」などと、でっかいErrorがないように気づけるところはいっしょに考えられるようにチェックしてみます。

あーんまり細かいことを言うと、「きくみは私を信頼してないね?」になるわけです>ただの口うるさいやつに聞こえちゃうんだよね…。

昨日の温泉にはものすごい極端な人がいました。西さんと私が別居して単身赴任をする、という事実から想像力をたくましく膨らませてくださり、離婚することになっていたのです>彼女のアタマのなか。生活のことを尋ねられ、「あ、送金はしてもらわないとやっていけない」と答えると、「ほらね。あなたには何の生活力もないのよ。ここでどんな仕事が得られると思ってるの?」などと私の親友みたいな話し方をされ(汗)、「お子さんたちはどうなると思ってるの?」と架空のお子さんが…。

うーん、おかしい。よく出会うみなさんには「そうね。学校は大切だし、物事は自分で決めて納得しないとねぇ。身体がまだ万全じゃないのに水の違うところに飛び込むのもたいへんだろうしね。却ってだんなさんの足手まといになって自分で自分がいやになったら困るものねぇ」などと言われ、「それでも気を抜いちゃだめよ。浮気するかもよ(笑)」「学校がだいじょうぶならいっしょに住むためにあとから行ってもいいんだし」などと世間話になっていたのです>私の別居。

で、「これが放置しすぎないで、冷淡でもない反応だよな、うーん、うまいっ!」とやたら感心していたのですが、かまいすぎるってぇのもまじめに困るよなぁ、と実感していたところでした。ほんと、質問してから意見を言えって…。情報ないだろ…(汗)。

で、ふと思ったのです。私だって留学生Oくんに、頭ごなしに聞こえるような言い方しているに違いない、と…(汗)。彼の価値基準がどんなものなのか、いろいろリサーチをしてから物事を言っているつもりですが、そうでない「決め付け」もあるに違いないです。さらに自分としては放置しようしよう、と身を砕いているつもりでも、やはりこの価値基準の違いというのはでかいぞ、と。

無関心とも取れた私の母の放置は今になって考えるとやたらと私にとってはよかったことです。ただそれがすべての人にあてはまるわけではなく、これもまた難しいところです。多少(この程度が問題だしさ…)はかまってもらわないとダメなこともあります。油入れる前にフライパンは熱したほうがいいよ、てぇのも自分だけで発見できる人ばかりではないし…。これだけはかまわないとダメな部分・エリアっていうのもあります。だってねぇ、大枚はたいて車買うっていうのになーんの情報も披露しないってぇのもねぇ。ただのいじわるだよな。

そんなわけで、たくさんの人やたくさんの機会で、私は自分が他人に干渉したりされたり自分がしすぎない度合い・按配というのを今でも学習しています。これが死ぬまで続くのは充分理解してるんで、その長さとTrial&Errorの回数ってもんにため息が出ます(爆)。でも知り合って熟知している人たちだけとつきあうなんて狭い世界だけに身を置くこともできそうになく、やっぱりこれは続いていくわけです…。がんばろ♪

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