質す:不明な点などを聞いて、明らかにする。問い確かめる

子どもの頃はみな、この質問をする行為を日常としていたはずなのですが、大人になると理解に到達する事項が増え、質問することが減っていきます。さらに、質問をする雰囲気ではない、という社会性もついてきたり、他者の感情を読み取ることができるようになることも伴い、疑問に思ったことも自分で何とか解決しようとする自立心が手伝うこともあり、質問はやはりぐんと減るのですね。

とはいえ、私は疑問の多い子どもからまったく成長しきれていないほど、質問の数が多いんですよね (・・;)

ひとつには商売柄というのがあります。誰かにどうしても理解していただきたいことをレッスンする側になっているため、相手が理解してくれたかどうか?を、さまざまな方法を採る中、質問という形に直接的に使うことも多用します。

他にもたくさんあるに違いない・・・。

迷子にならなかった私は、子ども特有のRepetition(反復)を飽きもせずにできたヤツではあったのですが、さらに、たくさんの疑問に心の中、頭の中でグルグルしていたに違いないのです。なぜそう思うか?は、今でもさして変わりがないから(笑)。不明点を残すのがどうしても気持ちが悪く、据わった感じにはならず、どうしても何等かの中途であってもいいので、結論まで到達したい、と希(こいねが)う気持ちが強すぎるようです。逆上がりにせよ、二重跳びにせよ、雲梯にせよ、とにかく目標とした形に近くなければ、やり続けてしまうし、その際、考えることを止めるということはなかった記憶があります。そうした意味では、今もまったく変わらず、Blogを書いていても、レッスンをしていても、嫌いな買い物をしていても(笑)、ターゲットもしくはその近い許せる範囲くらいまで到達しないと、どうしても止めない子状態は、今も続いているわけです。

そうした意味では、神経質な子どもだったんだろうか?(・・;) そして、私は今でもかなり神経質なのだろうか? (・・;)だく

でも、多くの人たちが、「適当」「大雑把」「ダイナミック」などと言ってくれるのだから、きっとそうは見えていないだろう← なぜかここで安堵する。いや、それもかなりよろしくもないんじゃないか???

さっそく、本日も朝っぱらから、「こんなに短い距離でも、自転車に乗っているということは、冬になったら手袋は必要なのだろうか?」という疑問がもたげたのです。実際、小学生の頃は、手袋はミトンを2つ買ってもらった記憶があって、それをずっとしていて、中学生で自転車通学になったときに1つ。あとは、バイク用・スキー用のものしか所有したことがなく、手袋になじみがないため、どうしたものか、と思ったとたん、誰かに訊いてみたくなったのでした(笑)。

冬になってからみんなが手袋をしているかどうか見るのもいいんですけど、商売柄紙をたくさん扱うので、荒れた手になったらまずいかな、などとも先に思ったのですね。しかも!今、家事を再開して、ちょっとした油汚れをお湯で洗うようになったら、荒れたことのない手が突っ張るのです。これが悪化するとあかぎれとかになるんですよねぇ?母、ありがとうの日々は続きます。

母が持っているたくさんのキッチンのブツに関しては、「これは本当に必要なのだろうか?」と思いながらキッチンに立っていて、雑念だらけです(笑)。トイレに入っていても、これまで気にしなかった掃除にフィットしたレイアウトに変えたくなってたまりませぬ(笑)。最近では、考えながら洗濯物を干すようになったので、早く乾くようになりました♪わーい!(USでは乾燥機オンリーだったので)

こうしてなぜなぜを連発する傾向は、きっと生涯続いていくんでしょうね。たまに若い人を見て、「まだコレも知らないのか。質問することがたくさんあっていいなー」と思う脇で、「これも知りたい、あれも知りたい」と、まだまだ探訪が続く予感に、ドキドキする日々なのです。みなさんの疑問を支える好奇心、健在ですか?

questions5 questions4 questions3 questions2 questions1これはどういう意味なんだろう?