Jan 12, 2006  に書いた文章です

 

Just world; 公正な世界観;人々は生きていくために楽観に頼り、全般的に世界は正しいほうにより傾いているとみなす価値観。

心理学部で習うまでは、私はこの心理は私ひとりの勝手な経験則なのかと思っていましたが、それをしっかり文献にしている人々がいたことに感動したものです。世の中には悪いことは「あまり」起こらない。世の中で悪いことは「たまに起きる、が、私にはたぶん起こらない」と考えていきたい心理のことです。

このことについて最初に書いておいてから、道徳心やら人を殺したあとの人生について書けばさらによかったのかな、と少し考えてきましたが、いつも私の常識においては、「悪いことはランダム(無作為抽出)に誰にでも起こる」というもので、「ランダム性を避けたければ自衛すること」「悪いことが起きる状況要因の重なりを見つめる目を持つ」というのは、意識したことのない人にはわからないままなのかもしれませんでした。

この考え方を理解したほうがいいのは、自分が被害者になってしまったとしても、自分を何度も何度も繰り返して責めることが減ることにあります。さらに、知り合いや友だち、家族などが被害者になったときにも、無神経で鈍感な言葉で、彼らを傷つけることが格段に減ります。加害者は、ほんのりかまったく、このJust worldをハナから信じていないがゆえに、犯罪を起せる能動側に回ることができるのかもしれません。彼らがランダムに被害者を選ぶことは少なく、自分がなるべく捕まらないように選ぶことが多いからです。社会のVulnerability(脆さ)を見つめており、そこを突いてくるのかもしれません。

たとえば、シリアルキラーには、被害者の対象人口を狭める傾向があります。
売春婦;知らない人とふたりきりになることに、そもそも恐れを持たない職業。さらに、ドラッグ中毒者であると、家族などとも絶縁しており、行方不明になってから時間が稼げる。
旅行者;まわりに知り合いがおらず連絡が取れなくても平常な状態で、行方不明になってからの時間稼ぎが可能。金銭や金目のものをたくさん所持している。
学生寮;すでに年齢層などが決まっており、特に女子寮は警備の不備を見抜くのは容易な作業。
大学の駐車場や最寄り駅;ターゲットにできる人々で、不注意な人をピックアップしやすい。
アパート・住宅;近所同士が無関心で、訪問者が誰であってもドアを容易に開ける傾向のあり、ひとりの状態が多い家庭(観察していればわかる)。
などなど、日常でも穴はたくさんあります。

誰かが100%、絶対に、自分に害を与えないという確信はどこから来るのだ?と私のほうが訊いてみたいところです。人ごみでも、無関心な人々が多ければ、暗い路地や人気のない公園に連れて行かれることもあり、方法はいくらでもあるのでしょう。特に、日本における文化では、性犯罪などは刑事事件扱いに至るまでの件数は少ないです。殺人は昔に比べて格段と増えましたが、さらに失踪者の中に、殺されたがゆえに見つからない人々が潜在的にどれだけいるのか?と考えると身の毛がよだちます。

防犯グッズが最近になりどんどん売り上げを上げているので、少しずつ人々は覚醒してきたのかもしれません。それでも、「私(うち)だけは大丈夫」「うちの子に限って」をあちこちでいつも聞いています。他人事のように事件を扱い、自分には起きないこととして、外側から見ただけでモノを平然と言う人々は、いまだに減らない気がしているのは私だけなのでしょうか?

加害者に辛らつなことを投げかけるだけではなく、力が尽きて何も考えられず、混乱している被害者やその関係者に対して、「あんな場所にいたから」「あんな服を着ていたから」などと、さらなる追い討ちをかける人たちがいますが、そんなことを彼らはイチバン最初に聞くことを必要としていません。そもそも、当事者や関係者でもない人々が、無責任にマスメディアだけの情報で何かを言ったり、又聞きでいろいろなことを言うのは、簡単すぎます。自分には(まだ)起きないから言えているだけなのだ、となぜ思えないのでしょうか?特にレイプや監禁事件については、この二次被害が多すぎます。被害者をまた社会的にレイプし続けていくことで、誰がいったい得をするのでしょう?ストックホルムシンドロームを知らない人が、なぜ自分の無知により他人を攻め立てられるのか、わからないところです。

ストックホルムシンドローム:好きと嫌いを勘違いする現象。人質にされた人が犯人を好きになってしまう現象のこと。人質にされると、人は、自分の命を握っている人(犯人)を嫌いになるよりも好きになるほうが生き残れる確率が高くなることを直感的に悟る。たとえ犯人のことが嫌いでも、自分の心にウソをついて好きになろうとする。自己欺瞞の結果、本当に犯人が好きになったように感じる。

が、これもこれほど竹を割ったように簡単ではなく、長くいっしょにいれば、当然のごとくヒトの中には美徳もあるわけで、勘違いだとは言い切れないのかもしれないです。特に、家庭内暴力や幼児虐待などでも、この心理メカニズムが作用しますが(弱者と強者の関係)、その中で加害者は、害が及ぶことばかりをしているわけではないのだと思います。だからなおさらサイクルから抜けにくいというのもありますが・・・。

Just worldに考えが傾いている人たちは、自分たちが善良でモラルの高い人間であると自認しています。彼らが過ごしやすい犯罪のない、規範の高い、事故や事件が起こらないことを、当然だと思っています。事故がよその人々に起きてしまうと、モラルが高いので同情を示しますが、二言目が必ずあります。「こうしておけばよかったのに」と覆水盆に返らずなことを頓珍漢に言い出すのです。なぜ、起きる前に不備に気づいていたのに言わなかったんだろう、私がバカだった、などという反省はまったくないわけです。あくまで悪いのは加害者と被害者で、自分ではないのです。善良な人々には悪いことが起きる、などと認めづらいのです。何か過失があったから起きたのだ、と、自分の不安をここでかき消さないと、居ても立ってもいられなくなるのです。

そういう人たちは、簡単に「べき」「ねばならぬ」を他人に押し付けてきます。でなければ、自分の安定した平和な世界が崩れてしまうからです。

911があったときに、このJust Worldはたくさんの人の中で崩壊しました。日本は平和ボケと言う人々がよくいますが、日本が戦々恐々とした緊張感がないから、というのがイチバンの理由ではなく、まずこの心理的な法則である、Just Worldが起因していることを押さえておいてもらいたいです。そうすればいろいろなことが「あああああ!」とわかってくると思います。所詮他人事にしてしまうのも、自己中心的な人がますます増えているのも、これが原因です。

自分の世界だけは守って生きたい。が、他人の荷物は背負いたくない。それでも、他人にはこちらの思惑通りに従ってほしい。

こんなのズルイですよ(笑)。

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