2006年1月に書いた文章です。

 

やっと見れましたよぉ、Alfred Kinseyを題材にした映画。私が彼を最初に知ったのは、心理学部に入ってからでしたから、それほどに性的革命に興味を持っていなかったことになりますか。

日本語サイト;http://www.coda21.net/eiga3mai/text_review/KINSEY.htm
英語サイト;http://www.indiana.edu/~kinsey/

まずは、Social Psychology(社会心理学)で彼のことをちょろっと習ったのですが、特に詳しくはなく、さらっと流すくらいでした。が、夏にBostonで開業医をしている教授が、Human Sexualityというコースを毎年行っており、普段ないコースなのでいそいそ取りました。

そこでの性的知識は、トリビアの泉の「へぇへぇへぇ」とはとてもじゃないですが比になりません。週に3回の集中コース6週間だったのですが、終わったあとはとても充実した気持ちになりました。その中で、もっとも恩恵を感謝されていいのは、Dr. Alfred Kinseyです。世界はマッカーシー時代で、難しいことがたくさんあった頃です。もともと、動物学者だった彼が、なぜ性についての壮大なるリサーチをするのか、映画を見るとよくわかります。

が、Kinsey Instituteのコメントによると、一部フィクションがあるようです。さらに、映画の決められた枠のため、はしょりも多々あり、詳細を知る人々にとっては「おや?」と思うこともままあるようです。が、大筋としては、Dr. Kinseyの科学者としての基盤を揺るがすものではないと、私には思えます。

性というものが、なぜ語られなかったのか、なぜたくさんの伝説や神話に振り回されたままでいたのか、に真っ向から取り組み、その科学者としての態度と信念には心打たれます。インタビュー形式を取り、そのテクニックの開発や、統計学の基礎としてのデータ軸の設定、ランダムサンプリングの重要性、などなど、性の軸だけではない貢献度にも驚かされます。しかも、サンプル数が18000という数です。これは、超人的な数値です。

科学者というのは、真実ではないものをさもあるようには言えないのです。「あなたは私のことをまったくわかってくれない」と簡単には言わないのです。「あなたは私の<何を><どんなふうに理解しており><どこを理解しておらず><これしかわかっていない><わかろうとする態度がこれくらいある><わかる可能性はこれくらいある>」と詳しく事実を追求するものです。

フィーリングで胸の鼓動が高まって、お酒が入りセックスをして、順序も何もあまり憶えていないセックスでも、カウントに入ります。同性同士であってもセックスはセックスです。科学的根拠をくっつけて、セックスステージや、異性-同性性的嗜好についてを数値化したことやオーガズムを解析したことやマスターベーションの仕組みや数値を取ったことは、たくさんの人々を救ってきました。歴史的・宗教的に抑圧されてきた人口が多かったこともありますが、人の心理として、「普通でありたい」と望み、普通であることを確認したあとで「普通よりよくありたい」と思うのは常です。常軌を逸していることは社会動物であればなおさら許されないことです。そんな風潮の中、たくさんの人の足枷を解いたデータがたくさんあります。

現代の日本人には到底考えられないことかもしれません。あるいは、考えられるかもしれません。この性的分野は個人差がどんどん大きくなっているのでしょう。たとえば、マスターベーションのしすぎは身体にいいか悪いか、を根拠を以って話せる人が、お友だちの中にどれくらいいるでしょうか?オーガズムを得られない女性が多い理由を、根拠を以って話せ、さらにどうやればオーガズムを得られるか的確に話せる人は、お友だちの中にどれくらいいるでしょうか?

(ちなみに私は話せます・・・。そのためのHuman Sexuality コースでしたから・・・)

これらの知識は、うつ病などに代表される精神病などでも同じですし、細かいことを言えば世界経済や政治の成り立ちに関する知識でも同様です。希求すればそこにすでにある知識ですが、求めていく・いかない、で差が出る、というのが現代で、Kinseyの時代には、求めても知識がはっきりなかったことがあります。これ一点を考えても、やはり現代人は贅沢なのです。

映画にはありませんでしたが、Kinseyのリサーチに参加したい、何とかできないものか、とPlayboy誌に同じリサーチをやってくれ、と頼んだアメリカ人は山ほどいました。自分も話したい、ノーマルなのかどうか確かめたい、という願いの表れです。が、そもそもPlayboy誌を習慣化して購読する人たちだけを対象にリサーチをするのは、統計学としての価値がありません。ですから、Kinseyはこの話には乗りませんでした。自分の足で稼いだわけです。さらに、彼がすばらしかったのは、E-mailがない時代に、ファックスがない時代に、参加者の手書きの手紙をいちいち読み、それに返事を書いていたことです。

(私は、人様からいただいた年賀E-mailにまだ返事を出せていません。それは怠け心から、ではなく、年賀状(たとえE-mailでも)に少し猜疑心があるからです・・・)

その人々の声から、彼は、児童性的虐待や性犯罪服役者のデータについてもまとめていきます。これは、現代のこれらのリサーチや、ほかのあらゆる分野に役立つ礎となるものでした。当時すでに、CIA長官から「データ元を公開しろ」と圧迫を受けていましたが、倫理的にそのデータ元を公開しなかったことも、尊敬を受けています。

伝記映画はたくさんありますが、やはり人の人生を2時間でまとめるのはなかなか難しいです。大河ドラマなどでも同様で、あとは見ているものにどう映るか、ということになります。私には、このKinseyは、理解ある人々に製作され、理解ある人々に見てもらえたのだなぁ、とうれしい作品でした。USでは爆発的に売れなかったのですが、日本にも行ったのはなぜでしょう?アカデミー賞がらみだったから?日本でも興行成績はそれほどよくないようでした。もうDVDが出る頃でしょう。

個人的には、やはり私にしかできない何かをやってみたいなぁ、と思わされることになりました。US連邦政府と州のお金を使い、できることが私にもあることがつい最近わかり、ガーナ人の友だちといっしょにやろうかと思い始めています。これが成功すると、+はたくさんの人々を悲劇から救えることです。個人的+は、希望する大学に入れるようになるでしょう。有名大学に入りたいわけではなく、研ぎ澄まされた頭脳から教えてもらいたい、という強い希望があります。それには、その分野のエキスパート教授がいる大学に入りたいわけです。映画1本で、これだけいろいろ考えられるのはとてもオトクでした。他の人が何を得るかわかりませんが、たぶん、この映画はいろいろなことを考えさせてくれるでしょう。

特に、愛と性の融合や狭間について。

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