つい最近、「レディコミってすごいよねぇ」と、あたかも私が日本の文化にどっぷり慣れ親しんでいるかのように言われたのです。「うううう、それって何?」いろいろ話を聞いていくうちに、どうやらハーレクィーンロマンスのマンガ版であるのか?という想像にいきつきました。そのあと、親切なAさんが検索してくれて、レディコミという言葉の検索結果のリンクをくれて考えこんでしまいました。

うううう、この内容ってばすごい…。これがマンガだからってコンビニやキオスクで売ってるんだね?

まぁ、男性雑誌もすごいからねぇ、女性にも性解放ってぇのもわからない気がしないわけでもないけど、文字じゃなくてあくまで絵つきなんですな。

私だってまぁまぁマンガは読んだことがあります。小学校3年生のときには、どうしても別冊マーガレットとフレンドが読みたくてお友達になってしまったような社長令嬢がいます。その後ろめたかったこと☆おつきあいしてみるとそのモノにあふれた暮らしは彼女から何か大切なことを奪っているような気さえもした8歳でした>私。

いっしょに住んでいた叔父も週刊のマガジン・チャンピオン・ジャンプを3つ、あんなに貧乏だったのに毎週読んでしました。当時20代。私はそこにあるマンガが積まれた部屋でなぜか叔父には、ハーモニカを教えてもらうために遊びに行っていました。だってねぇ、2段になってるハーモニカなんてすごいと思ったもん。週刊誌の無駄だなと思ったところは、コミカルな絵や劇画チックシリアス絵などばらばらにあって、自分が好きなもの以外も苦痛を伴ってでも元を取るために読まなくちゃいけないじゃん?と思っていたところ(爆)。そんなの読者の自由だったのにねぇ。まじめだった私はどうしてかそんなふうに考えていたのです。

なぜか今でもその思考構築は変わっておらず、雑誌でも広告まで丹念に読んでしまうやつ…。

さらに叔父に追跡調査したところ、その物語のほとんどに「終わりはいつか来るけどいつ来るのかわからない」と言われて気が遠くなったことを憶えています。うーん、子どもは短気。

けれども検索結果を読み進めていくところによると、連載ものばかりではなく、単発が多い模様。そうなるとテレビで言う、2時間ドラマチックな重さのものがたくさんあるのか?一応解決は見れるのですな?けれども内容は色恋の色のほうに集中されている、というのでいいのだな?となっていきます。何やらマイルドなやつから激しいものまであり、絵でマスターベーションをしているうんぬん、という記事まであり(まぁ、これは想像できるけどねぇ)、想像力の訓練をしてしまいました。

そして今度帰国したらまず立ち読みしてみよう♪と思ったのですが、あれは本屋さんやコンビニで立ち読みしてもだいじょうぶなものなのでしょうか?←なぞがなぞを呼ぶ。

ええええ、私もセックスは嫌いじゃありませんよ。うーん、でもそんなに死ぬほど好きでもないですねぇ。好きなときと嫌いなときの差がやたら激しいです。これは女性にありがちであると思われます(理由はあとで追求します)。愛してる人だけとしかできない、などと言うつもりもないですし、性嗜好についてのバラエティいいんじゃないかと思います。けれどもそれって大衆からの情報で安心していくものであったのか?とちと不思議であったりします。

ご存知の通り、男性向けの性描写の多い記事やマンガはたくさんありますね。定期的に読まないといけない時期というのもあると思います。実際にセックスがしたい時間や時期にパートナーがいない人のために、あれはいいパートナー代わりになるしね。男性と女性の性欲の表われ方や周期の差はどうしても機能的に違うので、それに個人差まで入れるとぐちゃぐちゃなお話になります。風俗も女性向けのものよりは男性向けのものばかりが数百倍、数千倍くらいの比較差で存在していることでしょう。

私は風俗もまったく反対しません(きっぱり)。

私はハーレクィーンロマンスや雑誌の性描写にクリックされて性欲はわきません。アメリカに来て「うがぁ、じぇったい見てみないとぉ!」とはりきって見てみたPlay BoyやPent Houseの性器同士のからみを見てもまーったく欲情しません。それは昼間であるとか身体のリズムにもよるのでしょうが、たぶん直接的に私がセックスできる物体の存在感が希薄だからでしょう。たとえセックスしたいぃぃ!と思っている時期に見ても欲情しませんねぇ。親近感が湧かないというか、想像力をかき乱さない直接的な視覚に訴えられすぎているというか…。

さらにその性欲がわかない時期というのが長らく続くと、もっと鈍感になっています。ぎゃはははは、今がそうだよ。だって寝たきりだったんだもーん。もっと具体的な対象がちゃんとあって(私の場合は人だねぇ、ストレートに限りなく近いので男性ね♪)、さらに何か具体的な事象を想像しないとだめですね。ロマンスがないとだめです。

さらにさらに、自分に自信がないとき、自分で自分のことを健康できれいであると思えないときはさらにだめです。ぎゃははははは、またまた今がそうじゃん…。ぼろ雑きんのようにぐちゃぐちゃにもまれていても、メンタルに自分に自信がついていて何かやっているという実感があり、さらに身体の手入れが多少できていなくても新陳代謝がしっかり行われている、生きているという実感があるときはだいじょうぶです。反対に、自分のために何もしないでよどんでいるときには、いくら身体のケアをしていても成果が出ていないような気がしていてどうもだめです。身体を隠すようなお洋服を着ているので自分でふと気づいてしまいます…。誰かに「きれいだね」と言われても「うっそぉ」と思えてしまうのがこの時期で、それがなぜか性欲と比例してしまうわけですね。自分に自信があって、自分で自分のことを健康できれいであると思えるときには、「きれいだね」という褒め言葉に素直に「ありがとう♪」と答えられてしまうのも不思議です。さらにピカピカになれるような気になります。そして性欲も高まるわけですね。

あ、レディコミの話に戻ります。なので、たとえ私の生活のなかにレディコミが存在したとしても、自分に自信があり、忙しい生活のなかでの性欲を処理したいために読むのであればなーんも罪悪感がないのではないか?という推論が成り立ちます。「ふーむ、なるほどなるほど。今度時間ができたらこんなことも性生活に取り入れてみよ♪」なんてかなり太っ腹で冷静にもなれる瞬間が多かったりすると思うのです。で、たぶん、習慣化しないと思うのですね。「ぎゃぁ、これだったら絵で刺激されるよりも実物があったほうがいいやぁ」だとか、「ふむふむ、こういうロマンスの掬い取り方もあるのね。チャタレイ夫人の恋人でも読んでみるかいね」と思うかもしれないなぁと。

でも、今のような状態のときに手渡されてみぃ(爆)。健康に自信はないは、自分のためにいいことをしようと必死こいてるけど思うようにできないは、きれいのきの字にあてはまるようなことやっても成果が出ないはで、ぼろぼろです。性欲もそーんなにないしねぇ(爆)。癖になって入ってくる刺激に振り回されて、バリバリ読んで次を買い求めてため息ついてしまうような…。そのまま「あ、これやってみよう」ではなくて、「あ、これやってみたい」が蓄積されてできないまま時間が過ぎ、鬱積する気分も助長されてしまうんじゃないんだろうか?ハーレクィーンロマンスよりもたちが悪いのは、絵だから簡単で強烈な刺激であることで、想像という一段階が大きくすっこ抜けてしまいます。自然、字を読むよりも読み進む時間も短いです。お手軽にいつしか流されているんぢゃ?という自分に気づかないまま、「ああ、世の中にはこんな人もいるんだぁ。いいなぁ」などと思ってしまったらどうしようとびくびくしちゃいますぜ(汗)。

性解放の情報であっても、ひとつのリソースから取り入れるよりも、たくさんの環境のなかにある刺激ブツの多様さの利点を充分取り入れたいですね。大胆だと思われる性生活いいですね。けれどもその大胆さが生かされるのは、自分のなかのその極にある静的な何かとの落差のせいでしょう。毎回大胆なモノを見ていると刺激に対する反応は鈍くなってきます。そしてその大胆さは果てしない。その大胆な性生活をしている人たちがこの世のすべてであると思ってしまったり、大胆な性生活「も」いいではなくて、「が」いい、と思ってしまったら狭いですよねぇ。官能の幅も狭くなるでしょ?

たとえドラマチックなことがなくても、官能にめぐり逢えますように☆レディコミにあるようなことが日常だったら身体がいくつあっても足りないんじゃないか?と実物を見る前から心配していますが、今度帰国したら読むじょぉぉぉ!(爆)

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