2006年1月に書いた文章です

生活のなかに刃物がわりと多いな、と気づきながらパッキング作業を進めている最中です。包丁やはさみ、ナイフをはじめとして、ひげそりやカッターやいろいろ切るものがあってびっくりしました。よくもまぁ、大怪我をしないでここまで生き延びてきたもんです(爆)。

ネコたちの肉球は外でぴょこぴょこ歩いて鍛えてありますが、やはり刃物にかかったらきれいに切れてしまうことでしょう。

はさみを使えるようになったのは幼稚園に入る前だったことは憶えています。おおだいら家はおおらか伸び伸び家庭だったので、刃物も火も「誤って使ったら正す」というのが主流でした。もちろん見極めをするまでの母の心配というのはあったのでしょうが、石油ストーブの前で着替えていた日々を思い出します。よくやけどしなかったよなぁ…。手をかざしてまだまだ寒くて、パジャマのままストーブの上でおしりや背中を暖めて、その日に着るお洋服を順番に火にかざして暖めていた、という馬鹿な小学生でした。幼稚園の頃は着替えが遅くて智恵が足りなかったのか、まだそれはやっていなかったように思います。あんまり着替えが遅いと母がお弁当をそっちのけにしてすっ飛んで来て、乱暴にバンバン私からパジャマを剥いて、アタマからがしがしといろいろ着させてたような…。

私は跡に残りそうなやけどというのはしたことがないのです。厳密に言えば、小学校3年のときの宿題で押し花というのがあったのですが、夏休み遊び呆けすぎていて花の採集もしなかったのでおお慌てして、ぺったんこにして百科事典を乗せて重しにして、それでもだめだったのでどうしたらいいかと母に相談をしたあとに、アイロンを使ったのです。こんなことって有効だったのかどうか今はなぞです。そのときに自分でじゅっと膝から下5cmくらいのところにアイロンを間違って押し付けてしまったのですが(どうしてそんなことになったのか…汗)、すぐに氷を押し当てていたら1ヶ月ほどで跡形もなくなりました。ただ、最初で最後くらいの直径4cmほどの水脹れができてちょっと痛かったのを憶えています。しかし、跡形もないですね。

もしかするとアイロン掛けが嫌いなのはこの一度だけのやけど体験のせいにできるかな、と思ったのですが、無理があるな(爆)。じぇんじぇん怖くないですもん。ただ面倒くさいだけだ…(汗)。

火遊びにはおもしろい想い出が多々あるのですが、いっちばんおもしろいのは「おねしょをする」と信じ込みすぎていて、さらにものすごく怒られたあとなので心理的に拍車がかかり、本当におねしょをしたことが数回あります(爆)。当時のことなので100円ライターの登場を待たずに、私はマッチを使っていました。家の前がちょっとした公園になっていたのですが、私たちはみんなで「ひろば」と呼んでいました。かなり広かったように思えたのですが、うーん、今見ると狭いです。ドッヂボールコートがひとつ取れるくらいの場所と、砂場と、ブランコだけがあった遊び場です。その前には柵も区画もない、草でぼうぼうになっていてもおかしくない空間があって、そこではドラム缶を利用した「たき火」というのをみんなでやっていたのですね。今思うと、その草を燃やしていたり、ちょっとした紙は燃やしていたように思います。中には生ごみを燃やす人がいたことも憶えていて、よくみかんの皮が焼け残っているのを目撃したぞ、とだんだん思い出してきました。

そこでなぜかある人が燃やそうと思って出しておいた「物干し竿」があったのです。昔はもちろん鉄パイプでもビニール貼りでもない、れっきとした竹竿なんですね。子どもで無知だから、竹竿のなかには仕切りがあって燃やすと危ないなんて思っていないわけです。それに火をつけてドラム缶の中に突っ込んでいたのですが、もちろん全部入らない…。時間が経ってパチンパチン☆!とすごい音を立ててはじけてしまうわけです。みんなで「きゃーーーー!」と叫びながら逃げるから、大人に捕まってしまって物置か押し入れに閉じ込められる、という顛末です。しかし、あんなオープンスペースで火遊びしていたとは、ふてぇ子どもだったのか、本当に単純に馬鹿だったのか…。怒られるに決まってるやん…(爆)。

竹の次にエキサイティングなのは脂分の多い樹木の葉っぱでした。パチパチくらいだったので比較的安全でしたが、景気のいい音がして炎も勢いよくてあったかで♪たき火をする前にはあの長くて重い箒で近所を掃くのも苦になりませんでしたね。あとがうーんと楽しかったからでしょう。普段は大人が火をつけに来てくれて、いっしょにやるか、責任を持たされて火が消えたら呼ぶ、という決まりになっていたのですが、どうしても子どもだけでやりたいときだってあったのだ…←正当化してない、だってお仕置きされるの承知でやってたもんね。

私は鉛筆削りが苦手だったので、あの四角い刃のかみそりで家でも鉛筆をしばらく削っていました。どうして鉛筆削りが苦手だったかというと、分解してみてあのネジのようなぐるぐるになっているものがどうしてあのような結果になるのか理解できなかったせいです。電動鉛筆削りができてからも最初だけは歓んでいましたが、どうもずっと夢中にはなっていられなかったです。手でやるのがいちばん♪と思っていたところがあります。今でも、シンプルに刃がついていて、手でくるくるっと廻すやつか、かみそり刃で自分で削るのが好きです。小学校1年のときにはもう学校でもあの刃がむきだしになっていた刃だけで削っていたので(なぜかティッシュに包んで持っていっていた…)、幼稚園のときにこたつで父が一生懸命教えてくれていたんだろうなぁ。母が内職で使っていたので抵抗なかったし、誰も怪我をしていなかったです。あ、さびた切れ味の悪いやつで手を切ったことがありました。なので、今でも包丁を研ぐのはけっこう好きです。上手ではありませんけど♪

そして30歳を過ぎて大学で生物を習うようになって、実験セットにあの四角い取っ手もない柄もないナイフに久々に再会したときには感動しました。最初の時間には頬の裏側(口のなかに楊枝を入れて口のなかの粘膜をこそぐ)の細胞と、玉ねぎのスライスでカルチャーを作って顕微鏡を見たのですけれども、なぜかあのかみそりには感動をしたのです。で、さらに映画“Good Fellas”で、刑務所に入ったマフィアのボスがあのかみそりの刃でにんにくをスライスしているシーンを見て、同様に感動してしまったのでした。

うん、やっぱり取っ手がないと細かい作業には向くよね…。

私の身体にはこの前の手術で一箇所大きな傷があり(腰の下部)、右上腕部にもでかい傷があります。それは針金に腕を指してしまったのですが、29歳のときです。あとは右の膝に小学校5年のときにタイヤで作ったジャングルジムで落ちたときにチェーンのあいだに挟まって切れた傷がひとつ。あとは本当にきれいなもんです。

たくさんの刃物とたくさんのマッチとたくさんの可燃物と遊んできましたが、不思議と小さい頃にした怪我は残っていません。大きな怪我にはなる要素がないように、母が見ていてくれつつ、学習をきちんと済ませることができたのだなぁと思います。

今でも急いでいるときや疲れてぼーっとしているときに包丁なんかで指を切りますが、大した怪我にはなりません。その場だけ「おお!やっちゃったぁ!」と思うのですが、あとはシャワーに入るまで忘れているくらいの怪我です。

料理のための包丁を本格的・自主的に握ったのは24歳半でしたが、基礎はきっとできていたのでしょうか?心配しすぎる大人が廻りに多すぎることで、子どもたちが失っている物事もあるのではないか?と考えながら自分の危険ブツとの奮闘に想いを馳せていました。ちなみに私が果物ナイフでりんごの皮を剥けるようになったのは小学校3年の夏休みです。起こった場所は父の実家、神主のほかにりんご園までやってたからなんだ♪叔母や祖母が剥くりんごを待っていられなかったからというのと、近所に住んでいたるりこちゃんという5年年上の女の子がきれいに梨を剥いてくれたことに感動しつづけていた熱が醒めていなかったせいでしょう。

そして、西さんは日曜大工の工具もばりばり使いますが、怪我はめったにしません。怪我プルーフな身体なのか?←そんなナマミはいないはず。

だったらやっぱりバンバン使って少しくらいは怪我して自分の手足の延長にしてしまったほうがいいのかもしれません。他人が「危険ブツ」とシールを貼りつけるようなモノたちでも、自分にとっては「おともだち♪」になるように←ただし、細菌とか核とかは意味が違うからね…(汗)。knife1 knife2 knife3 knife4 knife5