私は調布市深大寺というところで育ちました。生まれは、駅前にそびえたつ飯野産婦人科病院というところ。多くの友人が、そもそも東京生まれの東京育ちでもないのが、大人になってきた証拠みたいなもので、Mobilityが広がっていくと、俄然、自分のMobilityの中に入ってくるコンテンツやメンバーも多様的になります。

この生まれ育った場所について、「東京で生まれた人には地方で生まれ育った人の気持ちはわからない」と1ダースくらい言われたことがありますね。とはいえ、私の生まれ育ったところは、多摩地区で、東京都下、多摩と言われるところですから、そんなに都会じゃーないんだけど、うんと地方の方々から見れば、十分都会だったのかもしれないです。

前川清が所属していたクールファイブの名曲に『東京砂漠』がありますが、私はあの歌いっぷりにしびれることがあっても、東京を砂漠だと思ったことがないのですね。

砂漠:降水量が少なく,植生が見られないか少なく,人間の活動も制約されている地域。乾燥地域と同じ意味に使用されることもあるが,一般的には乾燥地域のうち,より乾燥した部分に使用されている。英語desertはラテン語のdesero(見捨てる)に由来するもので〈見捨てられた土地〉という意。その範囲は現在,最も広く引用されているメグズP.Meigsの乾燥地域分布図のうち,極乾燥地域と乾燥地域(狭義の)に相当する。南極などの高緯度地域や高山地域にも乾燥した地域が見られ,寒冷地砂漠と呼ばれているが,この地域は乾燥地域の特性より寒冷地域の特性の方が著しいために〈砂漠〉に含められないことが多い。

これらの事実と東京が砂漠ちっくだということがあまり繋がらないんでしょう。昭和育ちだからなのか?では、お聴きください:

私にとっては、育った中で、東京都下であっても、10代や20代前半で都内に出ても、ヒトは充分にやさしかったし、恋もしたし、つらいことも楽しいこともやたらと混濁していて、「もうこれ以上生きていけない」と思うほどのさみしさは、「場所ではなく、自分の中にあるもの」としてきたからなのでしょうね。

アメリカに渡りCaliforniaに19年ほど住んでいた間、ただの一度もホームシックにかかったことがないのですが、そうした心持が強かったからなのでしょう。場所ではないこと。ただ、自分の世界を広げた中には、さみしいこともつらいことも、楽しいこともうれしいことも、すべてごちゃごちゃに混在しており、今自分が何を拾っているのか?をそれなりにわかっていたがゆえに、母や父がいた場所に戻ってもさしたる違いはないことが、すでにわかってしまっていたがゆえに、特に場所の移動をしなくてもいいな・・・とひとりごちることができてしまっていたのでしょうね。

そうした意味でも、奇跡的にもう6年ほどバケーションらしいバケーションに出かけていないのですが、それでもやっていけるわけです。もちろん、行きたいところはありますけど、それよりも今目の前にあるやりたいことを、自分が始めたわけですから、キリやケリをつけたい気持ちのほうがずっとずっと強く、年中無休状態はかなり好きなのでしょう。今年2016年は、まだ完全休日は2日しかないですが、特に文句はございません(笑)。

生まれ育った場所が提供してくれるものが基準になることは、イヤというほどわかっていますが、それにいつまでもClingしないようにやはり前に進みたいワタクシなのでした・・・。

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