2006年に書いた文章です。

 

ここ2年弱でものすごく好きになりつつある女優に、Angelina Jolie(アンジェリーナ・ジョリー)という人がいて、つい2ヶ月前ほどにもRoling Stone誌の表紙になっていてインタビューを詳しく読んでしまい、ハマってしまっていました。まだものすごく若いんですが、どう表わしていいのかわからないくらいの不思議な物体Xみたいで「可能性のカタマリ」「生命力がみなぎる、それでいてやたら脆そう」って感じです。http://mrshowbiz.go.com/interviews/512_2html ごめん、英語です。ねね、24歳♪くちびるがいいんだ♪

で、この彼女のお父さんがMidnight Cowboy(邦題:真夜中のカウボーイ)でアカデミー賞を取ったことのあるJon Voightなのですね。アナコンダのおじさん、と言ったほうが早いんだろうか?(爆)最近では The Enemy Of State(邦題わからず)で、Will Smith(ウィル・スミス)を抹殺しようとする悪役で出ています。

彼女に初めて出遭ったのは、HBO(Home Box Office)というケーブルチャンネルがオリジナルで作成した映画 です。Giaその人はHIVですでに他界し、悲劇のモデルの伝記を映画化したのがこれです。そのストーリーもよかったのですが、これを演じたAnegelina Jolieにはまりました…。何回見ただろ(爆)。ちなみに見たことのある人、見る機会のある人にはわかると思うのですが、女性のヌードで私が好きなのはAngelina Jolieみたいな身体(爆)。

売れないわけがないよなぁ、こんなにきれいで奔放で、かしこくて自由でさ、なんて思っていたら、最新作があったのです。写真がないので見にくいかもしれないけど雰囲気だけでもどうじょ♪いい映画でした。Bone Collector

おっと、リンクをたくさん貼っていたら時間がどんどん過ぎていく(爆)。

本題はですね、「自分の親がやっている職業や生き方がなぜか自分に組み込まれてしまっているか」でした>カエルの子はカエル。

彼女を見ていると天性のもの、というのはあると思えます。自然に醸し出されるカメラへのMaking Love(カメラとセックスしてどうする?と直接的に取られるとかないませんが、雰囲気わかるかな?)いつしか撮られていることが彼方へと行ってしまっているのを彼女が感じていることが、見ている私にもわかるくらいののめり込み度。「ああ、なりきるってこういうことなんだな…」というのを現実視します。が、ゆえに、たいへん疲れてしまうこともあるんでしょうね。“GIA”がクランクアップしたあと半年間は映画に出演することそのものを止めてしまおうかと考えていたようです。

売れれば売れるほど、父親から逃げられなくなるという重圧感もあり(けれども、マネージャーである母親も女優でした♪)、かと言って自分のなかにあるものには逆らえない、という感じなのでしょうか?

彼女のことについて考えていたときに、Jamie Lee Curtis(ジェミー・リー・カーティス)他、二世俳優のことをいろいろ考えました。成功している人もたくさんいるけれども、実際に演技力がプロとして身についていて、生き延びている人がどのくらいいるのかな?と。

日本でも商売の家柄というのがあり、世襲制も伴って自分の親の稼業を否応無しに継ぐというのが当たり前であった時代がありました。当たり前でなくなった今でも、迷ってぐるぐるした挙げ句にやはり稼業を継いでいる人はたくさん見掛けます。皇太子殿下が「もうこの稼業やーめた♪」なんておおっぴらに発言することはないだろうし、何代も続いた造り酒屋や伝統工芸などにはまだまだそういうことが有り得るでしょうし、地域を支えるような商売をやっているお家ではその人個人の意志ではなく、環境からのプレッシャーにより、当然でなくともからめとられてしまうケースが多々あると思われます。

さいわい?私の家にはそんなものはカケラもなく、守るべき伝統も、守らねばならぬ血筋も、守ったほうがいい習慣も大してないので、自由に思った通りに自分の人生を開拓して、間違ったらどんどん修正して、とんちんかんに新しいこともはじめてしまったりできます。場所に縛り付けられることもなく、移動を強制されることもなく、「守備範囲が狭いっていいよなぁ、がははははは」というお気楽なところに位置できてしあわせであると思えます。もちろん育つ過程で、父親が「女の子らしく料理くらいお母さんに習えよ」などと、超保守的なことも押し付けようとしました。そんなもん、私が受け入れるわけもなく、「あ、とりあえずパパの意見は聞いておいたからね。でも私はそれは望まない♪」と過ぎ去ってしまった過去の遺物にしてしまいました。たくさんありましたよ。父が考える「正しい日本の家庭像」は。それをこんなにもことごとくぶっちぎってしまった私は、相当な親不孝モノか、ただの狂人なのでしょう。

けれども、この狂人にもそれなりの理由はあり、なぜそれらを受け入れられず、取り込めなかったのかという悶絶はありました。ささやかなことではあるけれども、もしも無理矢理Angelina Jolieや人間国宝の家に生まれた人と比較すれば屁でもないことではあるけれども、カエルの子はカエルに大きく抵抗した甲斐というのはありました。もちろんカエルの子がカエルになった場合でも、その裏にある、たぶん万人には見えないモノにも抵抗があり、選んだ結果がどうであれそのプロセスには大切なものがあるだろうことくらいは、このあんぽんたんなアタマでもわかります。それが何なのか、というヒントも私はわかっていたいと願えます。

個人が集団に巻き込まれるつらさ・矛盾はその利点や容易さと必ずしも比例するわけではないでしょう。どちらかが極端に多い場合もあり、その不平等さに対して個人がどんなふうに選択をしていくのか、私にはおもしろい事柄です。日本人でなくとも、(想像できる)末代までうまくいけば利子だけで養えるくらいの財産を持てる、と約束された家から遁走して自由を選んだ魂も世界中に存在します。ブッダだってそうだった。王子さまだったんだもんねぇ。損得や伝統や文化だけでなく、敢えて自分の魂に常に忠実であろうとする人は確実に存在します。その出発点での違いをそうでない人が想像し得ないこともわかります。自分の魂に常に忠実でいたい人たちが狂人であったり、あまのじゃくであったり、社会の叛乱分子であったりする側面も、反対の視点から言えば真理になるのでしょう。

けれども、「同じような視点」があったとしても、厳密に言えば「まったく同じ視点」はないわけです←物理学に詳しい人に聞いてけろ(爆)。ならば「同じ・違う」にこだわることに何の意義があるのか?混沌とした世の中を便宜上整理するのには役立ちます。分類統計し、性質検討をするのにはたいへん役立ちます。けれども常に、そこに無理矢理当てはめる必要もないことがわかるし、答えが出ないことのほうが世の中にはたくさんあるんだと、心から思えるためのツールでしかないような気がします。

そしてカエルの子はカエルになれるかどうかを心配し、とんびは鷹を生めるのか心配し、血の繋がらない親は「なさぬ仲だからねぇ…」という心無い言葉を吐く世間に脅かされていきます。

Angelina Jolieはカエルになれなくてもかまわないと思っています。もちろんそのままこの言葉をインタビューで言ったわけじゃないですよ。英語にはカエルっていうIdiomはない(爆)。父親の偉大さについて気にしているけれども気にしていない、と素直に率直にインタビューに答えています。両親が離婚してから、彼と離れ離れに暮らしていても彼をとても愛しているということも、それがよかったのか悪かったのかなんて今は考えていないことも語っています。彼女はGIAになりたいわけではなく、彼女にしかできないことを生きているあいだにやりたいと思っているだけで、他人が「カエルの子はカエルねぇ」なんて言おうとまったく気にしてないってことですね。

そういう彼女が私は大好きです。私もまだまだ時々、揺らぐんだよなぁ。誰がなんと言おうと聞く耳を持ちつつ、それに屋台骨を影響されないよう、まだまだ慎重なステップを踏まないといけないだなんて…。まだまだ自分の知らない自分に遭遇してもびっくりしてしまうことがあり、そんな自分をおもしろく思えているうちはだいじょうぶ♪と考えます。不安や恐怖が少なくなり、だんだんと生きやすくなってきました。運転はカエルの子はカエルって言われてもいいけど、あとは一切拒否させていただきます(爆)。

Angelina Jolie
with her brother James Haven and father Jon Voight
Featuring: Angelina Jolie
When: 17 Aug 2005