2006年に書いた文章です

 

もう既にアメリカ全土で「民族大移動」が始まっているのが街場でひしひしと感じられます。病院に行って、薬を買うためにDrug Storeに行ったのですが、Biore(そうそう、日本のあのビオレです♪)の熱パック(顔につけると水と化学変化を起して熱が出て活性化する仕組み)・タンポン・ビタミンB-1をついでに買ってきました。街はもうHoliday Seasonまっさかりのディスプレイで、1988年の今頃を思い出してしまいました。

(ちなみに今日は皮膚科に行ったので、美容液やその他をギブアップしてまでも毛穴をきれいにしよう!という使命があったのです。ビタミンB-1を毎日飲みつづけるとのみや蚊が「うげ、この血や汗はまずそうだぞ」と認識する身体になるそうなので、騙されたと思ってやってみるつもりです。すごいんだ、のみに刺されたあとが>足。夏場にかに刺されやすい人は試してみてね♪)

Maryは私が最初に習った英語の先生でしたが、そのあと個人的になかよしになり、一軒家での学生同士のシェア生活が終わったあとに、彼女の家に居候させてもらいました。彼女が日本語で流暢に言い張れたセンテンスは『私はクリスマスが大嫌いです』だったのです(爆)。どうしてなのか、アメリカ最初のHoliday Season(Thanks Givingの前から始まります)を迎えていなかった私にはわかりませんでしたし、その後、どうしてこんなにきらびやかなのが「大」がつくほど嫌いなのか初体験にかまけて理解しようとするのに邪魔な興奮がありましたが、わかりました。

日本ほど宗教心がないのに、行事に対しての敬虔さがないのに、お祭り騒ぎをしているわけではないのですが、このときほどアメリカが一色になる時期はないんじゃないか?と、私は渡米して12年経っても思っています。

むろん、クリスマスのほうが「民族大移動」はすごいスケールと数になるのですが、Thanks Givingだってやっぱりものすごい数の人たちが移動します。ファミリーのための行事、どーん!という感じで最初はびっくりしました。

英語学校に行っていた最初の年から4回ほどはアメリカ家庭に招待されて、いつもThanks Givingは過ごしていました。最初の年はとても親切なアメリカ家庭に4軒も呼ばれてしまい、それこそ七面鳥のようになったおなかで丁寧に4軒全部を廻った気憶があります。毎年決まったメンツでThanks Givingを迎える人たちがかなりの割合でいて、日本のお正月よりももっとRigid(固定した)だなと鮮明に感じました。それこそ1年ぶりで逢ったり、このチャンスがなければ電話で連絡するだけの人たちも寄り集まっていたのですが、大振りのHugs&Kissesにてんこもりの食事にびっくりし、外国人の私たちに「いいかっこ」を見せているわけでもなく、なんだか暖かいものを分けてもらったことを憶えています。

2年目からはちゃんと1軒か2軒にしましたよ…(汗)。でも同じ人に逢えてしまえたことに驚いてみたり、またもや外国人留学生を歓待していることに感心したり、しばらくぶりに逢った西さんや私の英語について、心から上達したことを褒めてもらえたりと、「アメリカの魂たちが天国に近くなる日であるな♪」と感じていました。去年、おととしはおよばれはなく、勝手にしゃぶしゃぶやらすきやきやりをしたり、気ままにやっていますが、去年の理由はわかるとして、おととしはどうしてだったんだろう?うーん、ちょっと気憶喪失が進んでいます…(汗)。

Thanks Givingのいわれは、もうつくづく飽き飽きするくらいいろいろな人から聞いているモノ、として割愛しますが、北ヨーロッパから移民してきた人々の食物に感謝する気持は、日本の収穫祭と比べても遜色がないどころか、全土にこの行事がこれほどまでに浸透するほどの大きなパワーを持ったものであったのかと驚かされてしまいます。それほど食物に難儀した人々が、どうしてこのような飽食をする文化を持つようになったのかにも疑問をまだまだ持ちつつ、私もたまに「やべぇ!こんなところまでアメリカ化してるじょ♪」と言いつつ、食べ物への感謝が薄れている自分に気づくことがあります(汗)。けれども、全般的になんでも取っておくくせ、は冷蔵庫を開けばすぐにわかると思う…>見に来てね♪キャンプやスキーでもなぜかお弁当は忘れないで力が入るのに、どうしてかウェアの一部を忘れてしまったりするのはなぜなんだろう?とも思ふ…(汗)。

Holiday Seasonはアメリカ全土で“Thank You”の気持ちを合唱しているみたいなモノで、それに乗じる資本主義に彩られています。きらきらの電飾ライトは個人の家にもあり、七面鳥の飾りやろうそくなどのディスプレイが豪華絢爛に並んでいます。あれらを見ると私は少しげんなりします。形じゃないよな、心だよな、と。もちろんそうでない、質素な人々もたくさんいますから安心してください☆

日本人であるなとつくづくさみしく思うのはこのHoliday Seasonの「神様がそばにいて愛を与えてくれる」という心から言っているアメリカで生まれ育った人たちとの、神との距離感の違いです。私は宗教に帰依していないのですが、自分のなかにきちんとHigher Powerを畏怖・尊敬する気持はあり、日々感謝していますが、どうしても距離感が違うと思えています。神道、というひとつにこだわるつもりもなく(神社の家の孫娘ですけど♪)、自然崇拝をする気持もあり、私の世界観とキリスト教が相容れない部分も確かにあり(死んでしまったら肉体は終わりで、そのあと天国に行く。生まれ変わりはない一度だけの人生)、かと言ってヒンズー教をすべて信じるわけでもなく、イスラム教を間違っていると怒りたいわけでもなく、難しいものです。けれども、決定的に違うなと思うのは神との距離感です。神が上にいる、とみなす人々のなかで、私の神は自分のなかにいつもいるという感じで、見下ろされる必要もないし、許しを乞う必要もないし、運命があるとお手上げ万歳をする必要もないし、きちんと区別がついたりポジションがあるものではなく、私のなかでごちゃごちゃしているもの、という感じです。

だから日本に居たときからクリスマスなどはお祝いしたことがないし(ただの毎日行事のなかの一個という飲み会と化していた…汗)、どんな宗教行事であっても現場にたまたまいれば拝礼はしたけれども、その教会や神社仏閣の神と対話しているわけではなく、私のなかの神と対峙していた、という感じです←わかりずらいんだろうな。けれども、日本人だから宗教心が薄い、と言い棄てられてしまうのともまたちょっと違うような気がしますが、宗教を選べた人たちから見れば結局はこの微量な誤差も同じに見えることなんでしょうね。

Maryが『私はクリスマスが大嫌いです』だったのは、おそらく彼女がクリスチャンではなかったこと(生まれと育ちはそうでしたが、途中からカトリックを棄てたのですね)や、商業先行な部分に拒絶反応を示していたことや、家族という濃いコンセプトに対しての抵抗感があったからです。英語ができるようになってから、パリに居る彼女からの手紙でそれは説明してもらいました。

このThanks GivingはIllinoisイリノイに民族移動するのはクリスマス♪というTrevorをまた招待して、しゃぶしゃぶをやります。西さんは春菊の天ぷらを作ると言い張っています。そそ、クリーニングレディが来るまえに油モノは満喫しておいてね♪クリスマスはそれどころじゃないだろうな。行事ぶっとばし大作戦でしょう…。

Holiday Seasonは大嫌いなほどではないですが、不便なことが多々あります。車が混んだり、返品が多くてレジが遅かったり、バーゲンで人々が多く街に出ていたり、セールが多いので普通の値段で買って大損した気持ちにさせられたり、太ったり(食べ過ぎるでしょ?)。駆け足で去ってくれないかな、といつもは思っているのですが、今年は駆け足だとちと困ります。やることたくさんあるのでゆっくり足でいいです。うーん、何だかんだ言ってもやっぱり好きではないってことかもしれない…。団体イベントよりも、個人イベント(集まる人数が少ない)が好きなのかもしれないです。

「Holidayに家なんか売れるの?」という西さんの会社の日本人の批判を尻目に、私は今日もパッキングや事務処理にいそしみます♪