Jan 23, 2006に書いた文章です。

 

世界中でこの法則を上手に使っているのは、いったい誰なんだろう?と少し考え込んでいました。

モノを開発し、広告をプランし、売り出すときには、最初のうちは希少価値を強く前に出しておきます。そのあと、たくさんの人がその広告を鵜呑みにし、みんなが持つようになって「騙された」と思うよりは、やはり、消費者は「ああ、やっぱりみんながいいって賛同する品物なんだわ」と納得するんでしょうね・・・。でも、そこで希少価値に魅せられたことは、すっかり忘れてしまうんですなぁ。

希少価値:ごく少ししか存在しないことから生ずるねうち。

モノはいいのです。ダイヤモンドは希少ではなく、かなりたくさんある石です。がゆえに、たくさんの会社が採掘しており、場所によってはでかくていい質のものもけっこう見つかります。砕石の技術もありますし、あんなに硬いものはない。ダイヤはでかさで希少価値を競えるのでしょうね・・・。それよりもエメラルドの極上品のほうがずっと価値があったりします。結晶系の石なので、採掘技術はこちらのほうが必要でしょう。私はあまり化学が得意ではないので、詳細には立証できませんが・・・。

コレが恋人やパートナー探しだったらどうなのだろうか?自分の特性や気質だったらどうなのだろうか?などと考えていくうちに、やはり最終的には、「多数決の法則」にぶち当たりました。北野武がまだツービートのタケシだった頃、「赤信号みんなで渡れば怖くない」を流行らせましたが、まさにコレなんだろうな、と思うのです。

見出すヨロコビや、その着眼点のすばらしさ、センスのよさなどで、希少価値というのは「結果論としては誰もが認めなければならないもの」であり、長いこと「希少」だったら、人の場合はなかなか難しいのだろうな、と。

たとえば、奴隷です。アフリカ大陸からアメリカ大陸へのひどい奴隷買いは、たくさんの映画にもなりました。でも、発祥は、アフリカ人が自ら進んでヨーロッパ、特にイギリスに 年季で働く出稼ぎをしたのが始まりです。ずいぶんと遡る15世紀あたりのお話です。イギリス帝国が巨大になる前は、アフリカ大陸はとても栄えていました。Timbuktu、今のマリ(西アフリカ)あたりには、世界で最初の総合学校もあったほどです。

よく働き頭の回転が速いアフリカ人は、ヨーロッパでしばらく重宝されますが、アフリカ側で、「そんなにいいならばよし働きに行ってみよう」という人口が増えていくことが問題です。日本の海外への留学生と同じだ・・・。言語の違いや文化の違いなども手伝い、ヨーロッパ文化の台頭もあり、どんどんと扱いがひどくなっていきます。そして、アメリカ大陸を発見したあとは、奴隷となってしまうわけです。これは産業革命が大きな転機でした。18世紀後半にイギリスでの「機械化」は、労働市場に大きな変化をもたらします。ヒトは富を求め、手段を選ばず、貧富の差はここからどんどん広がる呈を見せます。ただで人間を捕獲し、ただで売り買いし、所有物としていくわけです。最初のうちは、「ひどい」という声があったり、家族同様に黒人を扱う家庭もありましたが、増えるにつれ、扱いはまたもやひどくなっていきます。その長年の奴隷制度を廃止するための運動も、奴隷解放宣言のあとの長い道のりでの黒人解放運動も、やはり数のマジックが使われています。

発祥地、ヨーロッパでは100年かからず1846年には奴隷制度は廃止されました。が、アメリカ大陸では継続され、南北戦争をきっかけに1865年に完全なる奴隷解放宣言がされました。これも北と南の政策や国家規律観の違いが元に起きたことで、奴隷問題は大きな焦点でした。戦争はほぼ5年に渡り行われ、映画ではGone with the Windなどに描かれています。その戦争のさなか、リンカーンは奴隷解放宣言を早期(1862年)に行いますが、当然、南はそれを無視します。中央集権体制ではなく、地方自治制を取っていたので致し方ありません。敗北を完全に認めなかった南は、独自に「黒人取締法」を施行します。それが長らく続き、KKKが発足したり、あらゆる法令を使い、黒人たちは圧迫され続けます。Spike Lee(映画監督)の会社の名前は、“40 Acres & A Mule Filmworks” 解放のときに黒人が政府から許された耕していい土地の広さと、もらえた家畜です。

北部に位置するKansas州で初めての「白人学校に入れない黒人生徒」の父親が裁判を起し、最高裁で、教育のSegregation(分離)は違憲であるという判決が下されたのが、1954年。ここまでの道のりは長いものでした。数というパワーによって作為的回避がずっとなされてきた、と私は解釈しています。その後、黒人解放運動が各地で勃発し、1963年には歴史に残るワシントンマーチが行われ、Martin Luther King Jr.の “I Have a Dream”演説が行われました。私はあの演説を英語でしっかり聴けるようになれて、本当に倖せものだと感謝しています。彼の暗殺や、Malcolm Xの暗殺、映画 Mississippi Burningは、私のAll timeのお気に入りのうちのひとつです(Speed2、Spiderman前には、Willem Defoeも仕事を選んでいたのです・・・)。

そもそも、圧政のせいで、読み書きも不自由だった黒人たちが、信念や権利を広げていく方法を模索するのはとても困難でした。貧困のせいでできることが限られてもいました。そういった大きな数の人々でも、実際は数としてカウントできないことをいいことに、数字のマジックを使って、人々の世論を調整したきたわけです。その中で、読み書きができて教育を受けた黒人たちは「希少価値」でした。世の中に必要とされた彼らの価値が、業績が、いつまで経っても「希少価値」であることは祈りたいと思います。

うひ、なんか話がでかくなって、消化しなければならないことが多い文章になってしまいましたが、要するに「数は社会を征する」のです。

たとえば、Who(World Health Organization;世界保健機関)の定義の改定を図っているのです。改定案は、「健康とは何事に対しても前向きの姿勢で取り組めるような、精神および肉体、さらに社会的にも適応している状態をいう」。障害者にチャンスがあるように解釈を変えたようとしているところは立派です。が、受け入れない国があり、まだ現在は、「健康とは単に病気あるいは虚弱でないというだけでなく、肉体的、精神的、社会的に完全に良好な状態を指す」なんですよ。この定義では、障害者にはチャンスがありません。多数決の勝ちになってしまうわけです。フェアではないと思いませんか?

「希少価値」のもっとわかりやすいのは、男(女)への「どこがいいか?」と尋ねられたときの答えでしょう。「彼(彼女)は、いいときはとても優しくてステキで私のことだけを見てくれるの。でもたまにそれがあるからいいのよ。だから普段は我慢できるの」というもの。関係における「希少価値」が美徳で、それが理由で魅かれることは悲しいことです。他の人にはそれが「希少価値」ではなかったら?と疑ってみましょう。

あああ、また情報のてんこもりになってしまった。でも言いたいことはわかっていただけたのでは?と望みを繋ぎます。本当の意味での希少価値は、時代が求めていないときであっても、潔く凛としていつまで経っても変わらない、変わる必要がないからそのときには希少なのです。誰もがすぐなびいて流行モノに変わってしまうものは、「未発見状態」「既存の発想の乏しさ」が作り出した産物です。それくらいの区別はつけられるようになりたいものです。

私はほぼすべての流行モノには惑わされません。そのとき最新技術だったものでいまだに使っているものは家電がほとんどです。それなりに学習しましたので、じっと進化を数ヶ月から数年ほど待ち、飛びつかないようにしています(笑)。人であればなおさらのことです。