2006年くらいに書いた文章です。

 

留学生でもあった私なのですが、途中からなぜか駐在員の妻にもなってしまいました。こういう社会的役割には目もくれない私は、やはりその社会的役割同士の集まりではとんがることが多いです。西さんの会社にお勤めしているだんなさんを持つ奥さんたちに聞いていただいても、たぶん「ああ、きくみさんはね、ちょっと違う」というインタビュー成果が得られてしまうのじゃないかと思います。私はマメにおつきあいをしないのです。たまにしか逢えないのでそのおつきあいの環のなかから少し外れたところに居るわけです。なので、自然とみんなと違う行動をしていて、それを「違う」ということになるのかもしれません。

別段、駐在員の妻でなくてもいいのですがかなりわかりやすい例なので、社会的役割のひとつであるこれを何となく書いてみようかと思います。基本的にはどんな妻でも同じなんだけどさ…。

まずは駐在先に行く前のステップの軽さがダントツに違いました。西さんはもう既にここに居て、私ももう既にアメリカ生活を何年も経験していて、それからいきなり「あなたは駐在員の妻ね♪」といろいろな人から言われる羽目になってしまったので、それが一体どんなモノなのかわからないまま、「ああ、そういう分類をすれば確かにそうです…汗」としか答えられなかったわけです。身体の移動を大きくしないままに、新しい役割・立場を与えられてとまどいました。「昨日の私と今日の私はかたつむりくらい歩みの差しかないはずだよ」と。

確かに他の駐在員の妻は、赴任先への移動という大きなイベントを経ていて気持ちもその経験もさまざまであり、それを違う立場でとっくのとうに終わってしまっていた私には不可解な行動というのが多くても別段不思議なことではなかったように思います。~物理的移動に伴う心的体験は個人的なモノが基盤になる・

留学するために来たわけではなく、「やはり家族いっしょに過ごすため」が第一目的なので、彼女たちのいちばんの優先は「毎日をつつがなく問題なく過ごす」に焦点が当てられます。ゆえに赴任先の文化を多少端折ってしまっても、おつきあいする人々を自分の生活圏で限定してしまっても、それは第一優先を大切にするためにはいたしかたのないことで、私はこれには納得できてしまいます。

びっくらしてしまったのは、JALをはじめとする大きな企業が開く、「駐在生活のためのセミナー」みたいなもんが有料であるらしいこと。そこで事前に日本で近所に住む駐在員の妻たちの紹介ができ、ネットワークを得てから赴任先に移動することも可能であること、でした←昨日仕入れたネタ☆その料金を聞くのを忘れてしまったのですが、これが「情報料」ってもんなんですね。これに該当するのが、留学生では「留学手続き代行業」がやっているネットワーキングです。先輩留学生を紹介してくれるというサービスがついている会社、たくさんありますね。商売になるんですなぁ♪

そこにあるものは何でも使え!というのは私も賛成です。けれども私はそれを使わない選択をして留学に臨みました。Start From The Scratch(最初からはじめる)のに、自力だけでやりたい、と願ったためです。これも個人差です。私の場合は効率は悪いことも多々ありましたが、自分で潜り抜けることによって「決して忘れなかった」り、「喜怒哀楽を伴う体験が増え」たり、最初から自分ではじめたことなので「他人のせいにできない」状況だらけだったり、「慎重と大胆の振幅が増えた」りといいことがたくさんありました。

友達を作ることに対してもそうです。失敗も多かったですけれども、Bonding(繋がり)・距離感というものに対しての感謝やヨロコビは深く、うっかり見落としてしまうような馴れ合いも当たり前もなくて、綱渡りな毎日でした。Courtship(求愛行動)の手順をきちんと踏まえないと、たとえ友情であってもボタンの掛け違いは出るもんだな、と痛感したのは、ネットで知り合った人々にも反映されていきました。でもこのトライアルは無意味なことではなく、次に持ち越せる課題になってよかったことです。

駐在員妻の行動範囲がどうしてこんなにもこのシリコンバレーでは決まってしまっているのか、というのはやはり解せぬことではありません。その様子を見ている現地の人々の分析というのもかなりおもしろく、駐在員の妻という世界を見れたことだけでも、私は歓んでいます。

日常生活圏で困る第一の壁である、言語が違うということを、徐々に乗り越える人と、まったくその気がない人と、それに焦点を絞る人と、大きく3つに分かれているような気がします。お子さんがいるとか、赴任期間とか、車の運転ができる・できないとか、経済的なゆとりがあるか・ないか、などの要因がありますが、これもすべて個人的な体験であり、私がどうこう言うことでも世間が批判することでもないです。ただ、ご自分たちはご自分自身に忠実であるのかないのか、だけは多少気にかかりますね。「やりたいけどやれない」状況に打ちのめされているのか、それとも「まったくやる気がないのか」では出発点がまったく違います。なので、ここのところは聞くことにしています。

駐在員の妻であろうがなかろうが、この「やる気の有り無し」というのがどこに住もうと何をしようと、キーになる要素でしょう。「やる気だけはあったのに何年経っても英語さえ話せなかった」と帰国する奥さんたちの後ろ姿を見て、私はさみしくなります。それよりも、「英語なんかいいの。どうせ赴任は2年だから、日本にはまだ入っていないクラフトを身につけて帰るの♪」とうれしそうに言っていると安心できてしまいます。どんな体験でもEmbrace(抱擁)できる考え方ができるといいですね。

その期間が長くなればなるほど、「ここに居たのに何も達成できなかった」という罪悪感が深まるのはなぜなんでしょう?余力があったのに何もできなかった事実を知っている自分からは逃げることはできません。神様やだんなさんや駐在員の妻友達が見ているわけではなく、自分が自分を見つめきていて、その事実の素顔や根本を知っているからです。自分のペースや自分の体調や自分の言い訳や自分の興味や自分の能力を、どうしても把握できてしまっている部分があり、それに対して怠慢をしていた自分からはどうしても逃げ出せないわけです。

英語ができるようになりたい♪と日本人ばかりが行く日本人が教えている英語学校に通って失敗した、と語る人からの言葉には、その後悔の質が違うように感じられるのは私だけでしょうか?無料のアダルトスクールに行って日本人ではない、だんなさんからの紹介でもない、駐在員の妻友達からの紹介でもない、お友達が得られたことに歓ぶ人を見て、「ああ、よかったな」と思える私はナイーブすぎるでしょうか?

寝たきりになる前までの10年間強、私には毎日まいにち「新しい発見」が必ずひとつはありました。時としてはてんこもりすぎて狂喜して混乱するくらいに楽しい日々でした。寝たきりだったときはさ、テレビと電話とPCくらいしかないんだよね、外界と私を繋ぐモノって…。それが失われた期間、1年弱の鬱積には大きな衝撃がありました。これも前後の慣れという話です。

現地のアメリカ人のことを「外人」と呼び続けている限り、その物理的移動(日本からここシリコンバレーに)をしたという意識さえも薄く、「おめぇが外人なんだよ(爆)」と指摘されるまでは気づかないような、それでいて、それに対しての劣等感や制限や行動範囲にどこかでいつも悩んでいるような、そういう状況をストレスにしている奥さんをかなりの数見かけました。たとえ駐在慣れをしていて、アジアやアメリカ国内での赴任移動をしていても、またもや日本人だけのサークルでおつきあいを展開している奥さんたちもたくさん見ました。

「自分の取っている行動に自信を持ってどんどん突き進んでくれたらすっきりおもしろいのにな♪」と思います。「失敗してもいいのにな」と。赴任期間が終わってしまい、「あとからどこかで後悔するくらいならば、今やれることはバンバンしようよ♪」「ここでしかできない体験をしてみようよ♪」と背中を押したい気持ちでいっぱいになってしまうのですが、これも私からの視点です。すべての個人的な体験にはそれなりのたくさんの要因やスピードがあり、ひとつの社会的役割の顕著なトレンドがあったにせよ、すべてに当てはまるものではありません。ひとりひとりに対して言えることがたくさんあっても、その集団に向かって言えることはあまり多くはありません。

ひとりひとりが、個人的な体験をいつでも大切にできるような気持ちで毎日に臨めますように♪

なので、私のほうも、「駐在員の妻」としてくくられなくなる日がもうすぐ来るのを、たいへんたいへんたいへん楽しみにしています♪とりあえず、「西さんの奥さん」と呼ばれなくなるだけでも儲けもんだよ(爆)