アメリカに来るまではどんなジャンルの映画も滅多に見なかった働きアリの私でしたが、こちらに来てからは映画やテレビはどんな種類のモノでもとりあえずはチャレンジしてみたもんです。未だにダメなものも多少はありますが、誰かが見ているとその人が許せなくなるくらい嫌だとかいう嫌悪感はありません←昔、トマトジュースがそうだったんよねぇ。二日酔いで飛行機に乗って隣に座っていた人につられて“Tomato Juice,please”と頼んでしまってから飲めるようになりました。31歳のときです(爆)。それまでは同席している人が飲んでいるのを見ているのもけっこうダメで、気持ち悪くなっちゃうくらいでした。おかしいねぇ、トマトはごはんの代わりにお茶碗に入れて塩かけて食べたいくらい好きなのに♪

そして私が制覇したのは恋愛→ドラマ→コメディ→アクションの順番で、その次にサスペンスになりました。興味の幅というか、コワイ人間に囲まれているのにそんなに見なくてもいいかなぁと思っていた浅はかさがあって、何となくビデオやケーブルでお金をかけてまで見ることもないかなと思っていたのです。でも考えが変わったのが、Jack Nicholson(ジャック・ニコルソン)主演の“Shining”(邦題:シャイニング)で、これは西さんが昔見ていたのですがもう一度見たいと言ったので、苦手なヨットに乗ったときと同じくらいに「騙されてみようかな♪」と思って見たらすんごいおもしろかったのですね。

もちろんStephen King(スティーブン・キング)なんかも名前だけしか知らないし、どのくらい著名なのかも知らないし、なーんにも前情報・曇りなしで見させていただきました。で、しばらくしてMisery(邦題:ミザリー←この発音はけっこう納得できないじょ…汗)でJames Caan(ジェームス・カーン、Godfatherゴッドファーザー1&2)とKathy Bates(キャシー・ベイツ、Fried Green Tomatoes フライドグリーントマト)に魅せられてちょろっと広告を見てたのでテレビで遅れて見たのです。そしたらこれもStephen Kingだっていうじゃないですか。それからですかね、多々彼原作のスリラー・ホラーを見たのは。ちょっと迷っちゃいそうなくらいの設定のもありますが、かなりそれぞれ人間の弱さやあくどさや汚さと、それらと闘う強さやまっとうさや純真さが妙に浮き彫りになっていていいですね。

かのJohn Travolta(ジョン・トラボルタ)だってStephen King原作の映画に出てるんですもんねぇ>Carrie(邦題:キャリー)。Stand By Me(スタンドバイミー)もそうだし、Doroles Claiborne(邦題わからず)、Thinner(邦題わからず)、Pet Semetary(ペットセメタリー)、Sleepwalker(邦題わからず)、などなどどんどん見てしまうのでした。

この、サスペンス・スリラー・ホラーというジャンルの厳密な分け方は私には理解できていません。ビデオの箱に書いてあることと、TV Guide(テレビガイド)のジャンル紹介が違っていたりすることもあるし、新聞の広告でも映画館の紹介でも違っていたりしてやたら混乱します。でも統計的に私が「いいじょ♪」と思うのは、サスペンスとジャンル分けされているものが多いですね。その次がスリラーかな。ホラーは血みどろのシーンが出てるやつみたいな気がしてます…(汗)>Friday The 13th(13日の金曜日)とか?

女優がそれなりにBigで迫真の演技しているモノだと吸い込まれるように見てしまうサスペンスがいくつかあります。女の人だからこういう感性なのかな?と疑いつつも、毛布の下に隠れて見ている西さんに笑いつつ(西さんはいつも「これはカメラがこっちから撮っているんだから大丈夫♪」と言い聞かせつつ見ています・笑)、音響やカメラワークなんかにも感心してしまうものはいくつもあります。有り得そうな事柄をどう調理して見せてくれるのか、明日は我が身だよ、という感じがよかったりします>私の場合。

私がほとほとありそうだなぁと思ったのは、Goldie Hawn(ゴールディー・ホーン)主演のDeceived(邦題わからず)というやつで、しあわせに充ちた結婚生活をしていただんなさんが重婚魔だった、というお話です。バレないうちには大した摩擦もないのですが、バレ始めてからの坂道の転がり具合と言ったら…。さらに自分が誰と結婚していたのか?と疑問をそのままにしておかないでバンバン進んで調べていくヒロインの心理がすごかったですね。

Jodie Foster(ジョディー・フォスター)とAnthony Hopkins(アンソニー・ホプキンス)主演のSilence Of The Lambs(羊たちの沈黙)だってサスペンスですよねぇ。あれは本当に何度見ても怖いけれどもいいです。嫌いな人もいるのでしょうが私はかなりのめり込んで見てしまいました。City Hall(市役所)からの脱獄なんてどう考えたってフツーに暮らしている人々じゃあ考えつきませんよ。ああ、推理小説マニアとかならあるのかもしれないけど…。こうして心の交換をしていくとこうなるのかぁ、ふむふむ、と唸らされてしまいました。

さらにNicole Kidman(ニコール・キッドマン)主演のMalice(邦題わからず)というのも日本に行ったのかなぁ?これはアメリカならではなのですが、医者の愛人と組んで自分の子宮を損傷させる手術をして訴訟でお金をまきあげておいて、とんずらしてだんなさんを棄てようとするやつなんですね。そんなこと考えられるならまじめに働けばいいものを、とお嘆きのみなさまもいるとは思いますが、医療訴訟はものすごいお金になるっていう世情を見事に突いていました。

世の中のお母さんたちがみんなして怖がったのは、Rebecca De Mornay(レベッカ・デ・モネィ)主演のThe Hand That Rocks The Cradle(ゆりかごを揺らす手)だと思います。彼女とAntonio Banderas(アントニオ・バンデラス)主演のNever Talk To Strangers(邦題わからず)もかなり怖いし有り得るお話なのですが、赤ちゃんや子どもの住み込みNanny(乳母?ケアする人)に切られた日には…。あ、でもうちの留学生は大丈夫です(爆)。赤ちゃんもいないし、ネコは逃げ足速いし気ままだし♪

このサスペンス・スリラー・ホラーが私たちに伝えようとしているものは何なのかといつも私は考えるのですが、「精神に異常をきたすのは特別な人に限られたもんじゃないよ」ってことなんじゃないかと思えるのですね。「このコワサも日常と背中あわせなんだよ」ってこと。特に「ゆりかごを揺らす手」には精神病と鑑定された人もその家にNannyであるRebecca De Mornayといっしょに雇われていてそのコントラストは絶妙です。喘息もちの母親の心理をかき回して精神病である庭師をどんどん悪者にしていく算段。けれどもその彼女のほうがずっと精神に異常をきたしているわけです。

主人公が巻き込まれていく段になって廻りの人が信じてくれないとか、主人公がおかしくなっているのに廻りの人がまったく気づかないということへの警告の意味も大きく含まれているんじゃないか?という気がしています。ただのエンターティメントで精神病者をここまでこきおろすような根がある人々ばかりが映画界に巣食っているとは到底思えないですもんね。

「私だけはだいじょうぶ」という自信がどこから来るのか聞いてみたいな、と思える場面にはこれまで何度も何度も出くわしました。私は心理学を専攻しているのでこの精神異常とされるものに敏感すぎるし厳密すぎるものがあるのかもしれません。けれども症例のすべてを把握しているわけではなく、社会現象のダイナミクス(力学)をすべて把握しているわけではなく、私がサスペンス・スリラー・ホラーから刺激されることはたくさんあります。もちろんガセっぽいもんもありますが、それはそれで世情を反映している象徴なのではないかと思われます。

そして哀しいことに、日本の精神をケアする態度はまだまだ座敷牢に閉じ込められている感覚です。Come Out(カムアウト:真実を世間にさらすために閉じこもった空間から出てくること)をしなければいけないことそのものが既にそういう世情だと私は思っています。ゲイはそれをしなくてもだんだんよくなってきました。ここSan Francisco近辺では「あの人ゲイかしら?」と疑う必要もなく、ゲイの人が自ら自己申告してくれるチャンスがある場合に本人の口から聞けます。私にも友達がいます。無論これは距離感の問題もあることでしょう。

そうしてサスペンスを見ながらみんなが臨場感を得て、共感をし、家に帰っても自分のものとしてそのまま持っていけたらなと願ったりします。人が人を殺してしまうのはなぜなのか、自分は絶対にしないと言い切れるのか、私にはそう言えてしまう人のほうがずっと怖い存在かもしれません。

そして私はB級かもしれないサスペンス・スリラー・ホラーをたくさん見てしまうのです。作る人たちの動機・情熱を考えながら、彼らのPsyche(心理)を考えながら。