Jan 24, 2007 に書いた文章です。

バックグラウンドとしては、会社を立ち上げてみて、まだUSに住んでいたのです。行ったり来たりを1年ほど続けて、2008年に全面的に日本に引っ越ししています。

助ける:(1)力を添えて人や動物を、死の危険や苦痛・災難から逃れさせる。(2)(「援ける」「輔ける」「左ける」などとも書く)他人を補佐して、事がうまく運ぶようにする。助力する。手伝う。(3)ある作用を促進させる。悪いことにはいわない。(4)(神などが人間を)庇護(ひご)する。(5)倒れそうになるのを支える。

ひぇぇ、辞書を引いてみたらこんなにたくさんでした。何だかこれを見ていると、みんな気軽に「助ける」という言葉を使っているなぁ、とますます思えてきました。

私は冷徹な人間なので(笑)、基本的には人を助けることはありません。我が家のネコたちでも同様です。実際に助けたことになっていたのか?と過去、いろいろ考えた挙句、ただの干渉だという結論が多かったからです。人にはそれぞれのやり方があり、それについてとやかく言うのは私の信念に反するので、一切やめました。

が、会社を始めてみて、他人を「補佐する」ことの大切さはわかってきたように思います。これまで書いてきたエッセイにあるように、私は事務系の仕事は1つしかしたことがありません。NHKの番組制作の通訳・翻訳とあまりの時間での事務補佐です。ウェイトレスも分業が多く、自分の担当が決まっており、それほど他人とのコーディネートが必要なわけではありません。私はそういう意味で、いつも「一匹狼テキ仕事」ばかりしてきました。

今回、社員Sちゃんも正業に就いたのが初めてです。が、彼女にとても気の毒だと思うのは、日本の会社には彼女しかいないことです。たまにパートナー・ビジネスパートナー・私が出入りするだけで、「いっしょに仕事をしている」という実感がないまま、すでに立ち上げからほぼ1年(登記は3月ですが、準備は2月から)です。彼女の得手不得手もわかってきて、2月から事務経理の人に来てもらうことになりました。彼女も5年アメリカにいたので、英語は複雑なものでなければ大丈夫です。こういうところは、私が「助けないやつ」だから、遅れた部分・Sちゃんに負担を掛けた部分なのだと、年末ちょい前からとても反省していました。

が、基本姿勢は変えません。彼女には彼女のプロジェクトをメインにしてもらい、1月いっぱいは事務を引き継ぎがきれいにできる状態でしてもらいます。肩の荷が降りて、彼女には自分の得意な分野で、仕事の段取りや効率のいいプロジェクトの進め方を身につけてもらいたいと思っています。それに対して私は目を通すけれども、とやかく言うつもりはありません。アドバイスとしての意見は言いますが、最終的に決めるのは彼女です。そして、経営側の私がその案を採用するかどうかは、「営利団体としての究極の目的=利益があがるかどうか」に左右されます。

助けるという名の下に、実際は彼女のプロジェクトを、私物化することがあっては台無しです。彼女の頭から始まり、彼女がリサーチをし、彼女が比較検討し、彼女が方法論を見出し、彼女が手をつけ、身体を動かすことなのに、その骨子に私の匂いが染み付いてしまうことは、彼女の赤ちゃんであるプロジェクトがうまく育たない、育っていくうちに責任の所在を追及してしまう「犯人探し」になると思うのです。うまく行ったときに、彼女だけにCredit(評価;評判)があるとし、売り上げの歩合がそのまま彼女の給料に足されるようにしなければ、働いているほうも楽しくないでしょう。

私が小学生の頃、父は近所のぼやを消し止める救助活動をしたことで、感謝状をもらったことがあります。助けるの本質というのは、たぶん、こういうことなのでしょう。契約社員だった頃のウェイターの男の子の父親が高波に飲まれた姪っ子と甥っ子を助けに海に入り、そのまま全員亡くなったこともありました。大学に通っていた頃、車に当てられた女の子をみんなでこぞって助けているところも見ました(これは少しCrowded;混み過ぎで救助を混乱させた要素もありかな)。私自身がもらい交通事故に遭ったときも、何人かの人に本当によくしてもらいました。

29時間の入院をしたとき(手術時間含む)、私にウォーカーだけを与え、「どれくらい痛い?トイレにひとりで行けそう?」とだけ尋ねて、看護士さんは手助けしてくれませんでした。私にはコレは望むところだったのです。ウォーカーを使いこなせるようにならねば、家に戻ってから苦労するのは私でしたから。

10年前の私だったら、たぶん、家庭教師をしていても、答えを簡単に教えていたと思うのですね。助けるということと勘違いをして。問題を解くのに時間がかかって、生徒の緊張感を高め、恥ずかしい思いで混乱し、さらに問題が解けなくなるから教えていたと思うのです。生徒が「どこの何がどうわからないか」を聞くゆとりもなく、闇雲に答えをさらっと教えて、答えから説明を逆戻りして説明しただけのセッションになっていたと思うのです。でも、それは本当に助けたことにはならない。自助のためのちょっとした後押しだけで充分で、生徒がどうしても根本的にわからないことに関してそこに居るのが教師ですよね。

仕事をしていても、「(今の状態で)話し相手が思いつかないであろうこと」は、惜しみなくバンバン話します。それで話し相手の視界が広がることはとてもいいことです。が、それは相手のためにやっているわけではまったくありません。私自身のためにやっていることです。私が費やす時間を短くするため、仕事の第一目的である、互いの共通目的である、「営利を達成するため」です。が、時として私の話が見えないことを言い出してもらえず、余計な混乱を招くこともあり、ビジネスパートナーたちには迷惑を掛けています。

目下、1月10日からフル回転になる日本の暦の仕事開始に向けて、いろいろな書類を作成しているのですが、まずはアウトラインでの作成要の書類の数々を上げ、その説明を書いて、パートナーに渡したのですが、まだクリアではないところもありました。特に、時間軸との兼ね合いの理解が難しく、どのプロジェクトとどのプロジェクトとどの場所が繋がり、どこを誰がどう担当するのか、など、とても複雑なことは確かなのです。私は頭の中でどんどん組み立てて理解して納得していますが、言葉を並べただけではわからず、それを文書化・図式化するのに、せめてパートナーだけにでも最初に伝えたいと、今奮闘しているところです。コレも助けるなどということではなく、必要なことをこなしているに過ぎず、助けてもらっているのは私のほうです。

私はかなりな人にとって「脅威」「畏怖」の存在になりやすく、目下のところ、台湾スタッフはみな私を恐れています(爆)。彼らの理解を助けたいとは心から思いますが、北京語を話さないから無理、だと思っているうちはダメですし、「彼女は特別」だと何かにつけてみなされているようではダメなのです。なので、一切タッチせず、パートナーに任せてあります。本当に助けることができないのであれば、私はその機会も見送れるのです。彼らには彼らの成長のスピードとタイミングがあります。いつか理解してもらえれば、こっちのほうが御の字です。

こう考えてくると、私は誰も助けていないのだなぁ、と激・反省モードになってきました・・・(汗)。私には、彼らがあそこでアレをしてくれたから生きてこられた、と感謝の気持ちがたくさんあるのですが、この恩返しがまったくできていないようです・・・(汗)。もう少し考えて見ます。うひー。