2006年に書いた文章です

私は西さんと離婚したら二度と結婚はしないつもりです。物事には100%完全である保証はないですが、それに限りなく近く非婚を宣言してしまいたいと思います。

社会的なモノ以外に不自由を感じないでやっていけるのならば、私は一夫一婦制にこだわる必要も、政府への届け出も、節税も、認知でない嫡子も、私にはメリットがあることだとはあまり思えないでいます。もちろんこれらにメリットがある人がたくさんいるのは尊重します。Exclusive(独占的・限定的)な関係を届け出という紙で保証することにより、経済的・法的に身を守るというのはとても大きなメリットです。精神的にもふたりのあいだでの相互理解に達していればこれほどいいことはないと思われます。

ただ人間というのはあぐらを掻いてしまう傾向がとても強いと想うのです。私は社会的役割や制約からとことん解放される作業に徹しているほうがたいへんにラクなので、私には結婚制度というのはあまりメリットの多いものではなく、余分についてくる大前提や常識やイメージやあいまいなゆるみというほうが弊害になってしまうことのほうが多かったです。

たとえばIMをもらっても「結婚しているから」という理由でナンパIMやバーでの誘いを断ったりするのはラクですね。それでざるにかけられて止めてしまう人は多いのかもしれません。けれども逆に考えると結婚している女性のほうが毎日に飽いていて刺激を求めているだの、こっちも結婚しているから後腐れがないと考える人もたくさんいるかもしれず、それは最大の防御になるという幻想はまた違うぞ、と思います。

指輪をはめていれば「他人のモノ」と考える人もいれば、他人のモノだからこそ欲しがる人もいて、精神的には紙での契約をしていてもちょっとしたゆるみというのはどこにでもあります。意思表示をはっきりしてもわからないような言葉が通じないような人とは、たとえ恋愛しても障害が多々あるでしょうから、そんなもんはぶっちぎりにすればいいわけで、指輪という暗黙のシンボルなんか要らないでしょ、というのが私の考えです。だんなさんが指輪を外すようになったと嘆いている女性を見かけますが、してたって危ない場合は危ないし、してなくたって危なくない場合はまったく危なくないわけです。指輪よりも、誘いそのものにどういう対応をするか、のほうが天下分け目でしょう。余分なコミュニケーションを省けるということもあるかもしれませんが、それはすべてではないですしね。

いつか私はAOLのメッセージボードに「家は浮気も本気も公認です」と書いて散々非難を浴びました。ショッキングであったのでしょうか?だってねぇ、結婚してるからって心が動くことに制限つけたって、つけたほうがやる確率が多いこともあるって。自由であるからこそそのなかで自分で選択している西さんはとても強い人です。これから別居したとして、もしも現地妻とか浮気や本気をしても、私はそれでいいのではないかと思っています。モテないほうがつまらないし、どうしても私がその状況の何かを嫌であると言えばどうにかして選択を迫られるであろうし、もしも私がOKであると言い続ければそれでシラけてしまうかもしれないし、そのまま子どもまで作ってしまい子どものいない私とはおしまいかもしれないし、それはそのときになってみないと保証のないことでしょう。婚姻届という紙切れがあることで、慰謝料他の経済的なことや法律に守られるので、安心している、というわけではなく、私は西さん今までと現在と将来の言葉を信じることにしています。いざとなったら人間の心などわからないので、別居になったら詳細を書いてサインしてもらう予定です。けれどもそれが足かせになるような脅し要素のあるものではなく、お互いが納得できる内容にしておきたいと思います。

私は戸籍を入れる前に西さんと4年半いっしょに住み、日本に1年3ヶ月帰り、そのあと結婚せぬままアメリカに帰って来てから結婚したのですが、関係は変わりませんでした。もちろん時間の流れに伴い、努力に伴い、深く理解しあえた部分というのはありますが、対西さん、という部分においては結婚していようがしていまいが、まったく関係の基礎は変わらなかったということだけは断言できます。

生前の父は私の結婚にはこだわっていました。「結婚してほしい」と言えないままに、カラオケで芦屋雁之助の「娘よ」なんかを嫌みったらしく唄ってみたり(爆)、「おまえには子育てや家庭に時間は費やせないな。好きなことを死ぬまでやっていけばいいよ」と物分かりのいいふりをしていました。そういうやせ我慢が私にとってもつらくはありましたが、私はそれに甘えて自分の好きなことをやらせてもらおうと決めていました。

母の心配は父ほどではなく、「どっちでもいいんじゃない?子どもができたときに考えれば?」程度のもんでした。「あんたなんかと結婚したら損するのは西さんの方」というのが母の言い草で、私はそれにやたら納得してしまっていました。うーん…(汗)。

父方の親戚一同は「あきらめ」でしたね。今でも何をしていてもポジティブなことは歓んでくれて、ネガティブなことはなるべく聞きたくない、というのが理解できるので、わざわざいちいち連絡しません。リクエストがあれば応える程度です。母の妹で唯一の母の濃い血縁の生き残りである叔母は、「結婚もしてみたらそれなりに体験としては楽しいけど、好きにすればいいわよ」な意見だったので、この成り行き結婚が終わって再婚しなくても理解してもらえる確信はあります。

なぜこんなことをつらつら書いているかというと、やはり別居になりそうな…。今まで啖呵を切っていたことが現実として可能なことなのかどうかということが試されるときが来たという感じでしょうか?もちろん、結婚する前に一度別居は経験しているのですが、それはいい期間であったと今は思っています。また同様に、お互いがやりたいことをしながらも共生していける密度の多い空間を築けるかどうか、何だか楽しみで仕方がありません♪←跳ねてる気持ち。

私はつくづく逆境が好きなのですね。そうでないと締まらないという感があります。それに慣れてしまっているので、そうでないとどうもおかしいというのか。やっと身体が動くようになったところなので、あんまりな無理は禁物なのですが、私はつくづくひとりでもやっていけるけれども西さんを選んだと思います。情けないところもたくさんある未熟な人ではありますが、どうしてこんなにも信頼できるのかはわかりません。私の感性のどこかにひっかかるおもしろさに満ち溢れている人です。まだまだ詳細が決まらないので(駐在員にありがちですな…)はっきりとした身の振り方は決まっていないのですが、別居だけは決まりであると思います。もちろんネコたちは私といっしょ♪

西さんも私がひとりでなんでもばりばりとやっていた頃の私が好きであると言います。別居していたときにアメリカに二度遊びに訪ねたのですが、そのときは楽しかったです。じゃ、どうして結婚してしまったんだろう?というのがあって、少しばかり結婚について考えてみましたが、世間体というものにまだ縛られている状態であった私は成り行きで結婚をしたので、今回一度離婚してみてもいいかなとも思っているところです。でも離婚したほうがいいとも言い切れないのは、一度始めてしまったことを解消するほうが始めることよりも時間がかかるものなので、いろいろなことで歪みが出て来てしまう方面が多く、その変化にどの程度順応できるのか、今のところまた予測がつかないので支障がないから結婚している状態である、というのが本当のところなのかもしれません。

こう言うと冷たい言い方に聞こえるかもしれませんが、私は人としての西さんをとてもとても愛しています。男の人としては、愛している時期とむらがある時期があって、いつも燃えるほどの情熱が抱けていないのが問題です。それは私のほうに大きく問題があります。具合も悪かったりしますしね。なので、結婚していてもいなくてもあまり大差はない、というのが結論で、その形式はやはりあくまで社会性のみであるな、とまたもや考えたところです。

でも別居したときの西さんのお金の使い方と運転は全面的に信頼できません…(汗)。