お弁当を作ってくれるお母さんって、何も期待しないで、無償に近いほどで作ってくれていますよね>つい最近書いたBlog記事参照。

でも、料理に想いを託すことってないですか?でも、それがバレてしまったり、期待感が伝わってしまうと、やたらと重いのでしょうか?まぁ、作ることが少ない私が堂々と言うのもアレですけども (・・;)

 

You are what you eat あなたは食べるものでできている

というのは、当たり前のことなので、母や料理を作ってくれる家族や賄いさんや給食のおばちゃんやその他、作り手の方々の心は、食べるときに、「いただきます!」と言えるかどうか?さらに、食物や材料にも感謝できているかどうか?で決まるんですが・・・。

最近、作り手になる時間も多くなってきた私は、褒められていい気になってしまうことがあるんですね。味をどう感じたか追求してしまったり、次はこうしたほうがいいかも、などと思ってそれを言ってしまったり・・・。でも、不思議なことにそれを追求しても、食べている相手や食べ終わった相手はあまり不機嫌でもないのですね。他の事項と比べて重くもない(笑)。ただ、自分から言い出すのではなく、相手から聴けるとうれしいですけども♪とはいえ、待ってしまうのもねぇ・・・。

でも、作るという作業は結果を心待ちにしてしまうものなのかもしれません。

 

Anticipation:名詞不可算名詞

予想予期見越し 〔of〕.

先手を打つこと先制あらかじめ行なうこと先取り.

私はこのAnticipationという心持ちが大好きすぎて、計画をし過ぎる傾向にあるのかもしれません。それが当たると上機嫌で、当たらないとさらに創意工夫をする、というサイクルを続けてきている感じです。料理もその例外ではなく、こうするとああなる、こうしないとまずくなる、等々、いろいろ考えながらやるプロセスが好きなのかもしれない・・・。そうなると、想いが膨らんでしまい、目の前に結果ブツがあることにより、想いが露呈してしまう、という状態が出来上がってしまうということですよね。だからこそ、それに関して、その場にいる人々に、ちょいと無理強い風に反応を期待してしまうことになるんでしょうね。

重くならぬように気をつけねば (・・;

母が退院して、かなり動けるようになってきているので、彼女の作る料理には、必ず「ありがとう」「いただきます」の他に、一言以上をくっつけることにしています。意識していたら、自然に出るようになってしまい、もしも文句に聞こえてしまったらどうしよう状態です(笑)。彼女の気持ちは重くないですね・・・。ただ、退院してきて味は落ちているのです。どうしちゃったか・・・。食べに連れて行きたいのだけれども、やはり長い時間座位を保てないので、疲れさせることはしたくなく・・・。

小説や論文の行間と同じように、料理に埋め込まれている想いを拾えて、自分は期待をしないようになりたいものです。