Jan 25, 2006に書いた文章です

 

パートナーはすでにコレを決めてあり、「納豆ごはん」なのだそうです。でもなぁ、もし、すんごい病気で末期ガンだったりしたら、コレは食べられるのだろうか?とも思うのですが、ま、希望なので聴いて憶えておきます。とは言え、私のほうが先に死ぬのではないかと予測しています。が、母の遺伝子を半分もらっているわけで彼女は相当元気で100歳くらいまで生きられるだろうと感心してしまうほどなので、私もそれくらいまで大丈夫な経済力はつけておかねばならぬ、とも同時に覚悟しています。

父の最期の食べ物は、原発が胃ガンだったために、粗末なものでした。冬みかん。しかも、缶詰のように袋もすべて剥いてあげたものでした。

私は何がいいだろう?と考えたときに、きっと「コレ!」と決めたものを食べて死ねないと思っています。私も納豆ごはんは大好きですが、病気で死ぬならばチューブに繋がれている確率は高く、あごさえ動くのかどうかも疑問です。事故であれば、偶然直前数時間に食べたものが、意識しない最後の晩餐なのでしょう。

母は、お鮨と言います。彼女は、「何が食べたい?」と訊くと必ずお鮨と答えるので、とても簡単です。彼女が好きなネタもしっかり憶えているので大丈夫です。

ネコたちの好きなものは、人間ごはんの中ではナマのささみとナマの牛肉とまぐろとかつおと生サーモンです。お誕生会を1年にまとめて6匹分やるのですが、それはいつも8月30日です。アルファオスネコのうどちゃんの誕生日しか、私には判明していません。彼だけが手元で生まれており、あとはすべてSPCA(日本でいうところの保健所、が、半官営半私営)でもらったネコか、野良出身を頼まれてもらっています。

ビジネスパートナーの最後の晩餐は、第一位がレバ刺しで、コレはなかなか入手が難しいです。アメリカの牛肉は解禁になりましたが、いつもおいしくて新鮮なものが手に入るとは限りません。が、コレも健康なときのリクエストで、今後、アル中が緩和されたらどうなるのでしょうか?

うーん、気づくと、パートナーもビジネスパートナーも私も、みんなそろってアル中だ・・・(汗)。

が、私だけが大いに違うのは、いわゆる「酒の肴」「贅沢つまみ」を私は好きではないのです。あれらは、獲得した味覚なのでしょう。私は、塩辛もアン肝もいくらもウニもナマコもダメです。フォアグラもダメですし、トリュフも特においしいとは思っていません。なので、最後の晩餐候補品は、ごくごく身近なものになります。

こうして挙げてきて思うのは、da Vinchのあの絵画だと言ったら、私の頭はおかしいでしょうか?(笑)

10年前ほどになりますが、私が真剣に大学に戻ったあと、気づくと私の「退学」は「除籍」であったことが判明します。郵便で母に託したはずの退学届は受理されておらず、期限切れの授業料未納で、見事に除籍(クビっ!)となっていたわけです。簡単にリカバリーできた私は、教養課程も含め、ゼロ地点からまた教育を受けることを開始し、高校の成績表を日本から取り寄せました。その後、悶絶したのは、苦手だったはずの理数系を取らねばならぬことや、さらに苦手な美術を取らねばならなかったこと。選択肢があったので音楽にしようかとも思ったのですが、どうせなら、苦手なところを押さえてやれ!と開き直った私は、美術を2教科、5単位取ることにしました。そのひとつが美術史でした。18年前、USに来る前に、足長おじさんのおかげで、ヨーロッパ、特にフランスに2ヶ月滞在したこともあり、美術鑑賞の熱の温度が上がっていたこともあります。

多くの映画でこのシーンは再現されてきました。最近のものでは、Mel Gibson 監督のPassion of the Christでもありました。この絵画があらゆる人の頭に残り、映像化の手助けをしていることは動かされない事実です。聖書の解釈は人それぞれにしろ、時代の検証や洞察力をda Vinciを是とし、私たちは積み上げられた英知を見ているわけです。それが正しくなかったら、現実からかけ離れていたら、私たちは真実からどんどん離れて行っているということですが・・・。そもそも、キリストが実在したかどうかも確証はないですが、少なくともこの長いあいだキリスト教が続き、宗派がたくさんでき、人々に多大なる影響を与えてきている、という見地からは、大切なトピックです。

da Vinciには未完成の作品が多い中、この『最後の晩餐』はかなり短い時間で仕上げられたことや、この当時では最新の遠近法を用いたものであることを習って、それ以前に、パリで、オルセーやルーヴルに時間が許す限り足繁く通っていた私は、なんとガラスの目玉、感性のみで見ていたのか、といろいろな反省を込めることになるのです。この一点透視図法とは画期的なもので、「芸術家の感性」だけではなく、da Vinciの科学者の豊潤さを取り容れており、キリストを中心に、緻密な架空の等角線が引かれてバランスが取れているものです。さらに画期的なのは、それまで主流だったフレスコ画を採用せず、テンペラと油絵を融合させたものを発明しており、乾くまでの待ち時間が節約できたり、重ね塗りができるという、この作品全体の作成時間の謎も解けています(が、損傷がひどかったのはこの画法のせいだと、修復士泣かせだったことも教えてもらいました)。さらに、時代背景を拭う「聖人につける後光」が削られ、12人の弟子の位置や表情、わざと?未完成にしたキリストの手の一部など、美術の先生は本当に細かいことを教えてくれました。彼女は、ちなみに無宗教だと言っていました。

この絵と無宗教な先生がこれだけの知識を持っていることがきっかけで、私は次の学期に、「宗教学」を取ることになります。宗教学は卒業まで2つ取ったのですが、この宗教学のエッセイには泣かされ、同じテーマのエッセイを合計で11回書き直し、最終的に笑顔でA+ をくれたDr. Hoittsmanを思い出します。あの3ヵ月半がなければ今の私は居なかったほど、私の考え方の甘かった点をダメだししてもらえました。毎週通ったオフィスアワーに、いつしか彼は飲み物を出してくれるようになりました。彼の造詣は深く、「飴と鞭」をユダヤ系米人に習うことになるとは想像もしていなかったことです・・・。そして、小さい頃からいろいろな宗教に触れてきた私は、Dr. Hoittsmanをモデルとして、どこの宗教・どこの宗派の姿はきちんと知る、が、自分はひとつだけに絞らず敢えて自分の宗教は選ばない、という態度を貫くことを決めます。が、『最後の晩餐』他、宗教画に触れて心の核が震えることは間違いのないことですし、賛美歌を歌って聴いて心が洗わることも曇り一点のない真実です。

どのカーブをどう曲がり、どの道を選ぶかで、人の人生は大いに変わっていきます。自分の最後の晩餐が何になるのかも、誰とどこで食べるのかも、いつ食べることになるのかも、これからの私の道によることになっていきます。

 

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ちなみに、このあとに、Dan Brownの ”da Vinci Code” に出遭います。宗教学をやったことは、本当に視野を広げ、あらゆる角度をつけてくれたと感謝です。