2006年に書いた文章です

作家とは特に小説家を指す言葉ではありますが、その人に宿るさまざまなエッセンスがどのように顕れるか、という不思議さのあやとりを踏まえると、その描写や記述や言葉の語感をどのように受け止めるか、やはり読み手の心に反映される、に尽きます。

『火宅の人』を20年弱ぶりに読みました。ブームだったから読んだわけではなく、太宰や坂口安吾を読むとなぜか無頼派の作家としての彼に辿りついてしまった、というような読み方でした。檀ふみが彼の娘だと知ったのも本よりあとです。「珍しい苗字だけど関係者かいね?」と思ったくらいで、父に教わりました。父は壇ふみのファンでした(爆)。

生きるというむずかしさをまたもや痛感したり、そのなかにある愛や性や優しさや残酷さやもろもろのメッセージを丸ごと受け止めたあとに、事実を知りたいと思っていた私は、すぐさま沢木耕太郎が4年前に挑んだフィクションとノンフィクションの境界線を探るような伝記文学に挑んでいる 『壇』を続けて読みました。事実を知りたいと思う気持が膨らみすぎると、想像が勝りどうしてもゴシップな興味本位に偏ってしまうものだし、文学のみを追うと作家の感性から掬った自分の想像力と創造力ばかりに頼ることになるので、何だかいいコンビネーションであるな、と思いつつ読み進めました。が、しかし、257ページの単行本を2時間かからずに読んでしまったのです。『火宅の人』には丸3日かかりました。ま、元気になったのでイベントもかなりあったのですが。

檀ヨソ子、壇一雄の妻にインタビューした事実と彼女の想いや考えをなるべく彼女の言に忠実に再現した作品でした。そこで彼女の言い分である、「虚構」や「事実の膨らませ」な部分を知り、私はさらにその点について考えさせられてしまいました。社会の背景や女性としての生き方、その心の動き、それらをさらに理解できたことに深く感謝しています。

10代の半ばをやっと過ぎた私に男女の色恋の何がわかっていたのか、今となってはそれもはっきりと形にすることはできません。ただ、妻以外の女性に心を奪われ、家を出ていっしょに暮らし、肉欲に溺れることを悪い、汚いと結論づけたことは決してない、というのは確かです。そしてそれを他人事とは思わずに、自分のなかにもその芽のようなものがあるに違いないと感じ考えたことも確かです。

その摩訶不思議さに魅かれ、自分の恋へと慎重になったり、あやしさに引きずられまいと抵抗したような防衛本能はさらに高まったかもしれません。事実、私は妻子ある人と恋をしたことはこれまで一度しかないし、それも深入りする前の早いうちに終わってしまいました。泥沼になるまでできなかった、風のように早く過ぎてしまった、ので、心が爛れてしまったり後悔にうめくような事後の余波もありませんでした。それ以外にあらゆる震度の恋心を抱きながらも、恋を表面化しなかった男の人たちとは今でも親交がありほとんどの人は結婚をしています。その恋心のマグニチュードは休火山みたいなもので、私は未だに飛び込まないで済んでいます。いや、飛び込む必然がないようにマグマが煮立たないようにしている、というのが正しいのでしょう。もちろん私が結婚したという事実もそれをさらにむずかしくしているのでしょうが、私はこの一連の無頼派と呼ばれる作家たちの「道ならぬ恋」の深さには、自分には太刀打ちできないものをずっとずっと感じていたことになります。

そして一夫一婦制の社会で倫理的に許される範囲の男女の恋のなかでさえも、私は自分の性愛について解放しきれてこなかった部分に想いをめぐらせました。そればかりではいけないにしても、抱かれたら終わってなしくずしになってしまい折れてしまうケンカが、ただの一度もできなかった自分のかたくなさに対しても考えました。ついて行きたいのについて行けなかったことや、自分のバイトを休んで一日中ベッドにいることさえもできずにいたこと。最初からプランを組んで、大袈裟に休んでからベッドにいっしょに遭難しても、相手にとっては押し付けがましかったことであろうなと考えていました。即興性のないつまらない性愛を繰り返してきていたのではないかと。

単行本・文庫本になっている『火宅の人』は長い交情をなぞっているように見えますが、その恋は5年ほどのものであったことが、事実関係を質してみるとわかります。その期間の最中に原形になる原稿を起し、『火宅の人』として連載をはじめてからは断続的に14年もの歳月をかけて完成したものなので、新潮などで途切れ途切れで読むと違和感がある部分もありますが、続けて読むと時間感覚がある程度まとまってきます。ですから、恋が終わってから10年以上の歳月を経て完結を見たことになります。その事情にも檀一雄本人の死期があり、まさしく『火宅の人』が絶筆となりました。厳密に言えば、もう筆を執ることができなかったので口頭記述であったことも『壇』でわかります。

5年のあいだにも主人公は妻ともうひとりの女性だけではなく、何人かの女性とも恋にもならない恋めいたものをしています。その人物がどんな面を持っていたのかを分析していくと、「それはこうするしかなかったでしょうね」と私はため息をつきます。『火宅の人』は壇一雄自身のことに虚構を混ぜることを意識して書いているのか、それとも自分としては限りなく感じ考えたことに忠実に書いていて丸ごと事実だと思いこみつつ書いているのか、今となってはそれもわかりません。事実、壇一雄はこの小説の内容に書いてある時期に似たようなことをし、登場人物も酷似していて関連させることがたやすい名前を選び、世間に自己についてさらしまくることをやってのけました。

が、ゆえに、私が冒頭に書いた「作家とは特に小説家を指す言葉ではありますが、その人に宿るさまざまなエッセンスがどのように顕れるか、という不思議さのあやとりを踏まえると、その描写や記述や言葉の語感をどのように受け止めるか、やはり読み手の心に反映される、に尽きます。」へと繋がってしまうのです。私は書くことが好きで、心模様にどのくらい忠実に書けるか、という命題に毎回まいかい挑戦しているような気持ちになっています。それは楽しい作業であるのですが、読み手に対する責任を考えるとどうもアタマが痛くなってしまい、ずきずき心まで痛んできます。

ましてや壇一雄やその他、私小説と大きくくくられる文体に挑んでいた人々はどんな気持ちでいたのかと思うと、まだまだ私は煮詰め方が甘いなぁと思えます。私には知名度がありませんし、知名度のある友人もそうたくさんいるわけではありません。けれども、事実に忠実であろうとし、表現に制限を加えないようにしていこうと真摯に立ち向かえば、必ず息詰まりがあります。許可を取っていくことが今21世紀に変わろうとしている社会では当然なことになりつつありますが、昭和30年代にこの作家の家族たち、友人たちはどのように感じ考えていたのでしょうか?が、ゆえに沢木耕太郎の『壇』に読み進めていくことにしたわけです。

「蒲柳の質」という言葉が『火宅の人』の後半部分に多々出てきます。前半では泳ぐことと食べることとそれを作ることが好きであることが事細かに書いてありますが、この言葉が出て来てやっと私のなかでの考えが大きな図柄へと繋がっていきます。体質についての考え方なのですが、蒲柳とは体質が弱い、との意味が漢詩にあります。自分の生命力が強いと思い込んでいた彼の心持ちを想うと泣けてきてしまいました。『火宅の人』になった昭和31年、彼はまだ35歳です。そこに男性としての魅力やら、人間としての常識やら、家庭人としてのしがらみやら、仕事人としての名声や行く末やらに揉まれていた焦りや微妙なバランス取りへの感覚のずれがあったはずです。社会の背景を考えても、たとえ先端を走りつづけてもよかろうとみなされていた作家であろうとも、その苦悩は太宰治や坂口安吾のような斜陽的・神経衰弱的・世間隔絶的な印象が、世間に対してあまり表面に出されない檀一雄にもあったことでしょう。

彼のほかの著作に対しての評価はフェアではないのかもしれません。母親に棄てられた傷心を描いた処女作と、先妻の闘病と愛を綴った『リツ子・その愛』『リツ子・その死』、そしてこの『火宅の人』に代表されてしまい、歴史小説やエッセイが希薄に受け止められてしまう、というのも残念です。

人間が失敗をしてもいいことを改めて感じて、さらに、その失敗があったからこその人生というのもあるのだということをまたもや教えてもらい、恋情や交情の大切さを胸に染ませ、肉体のある肉欲についても想いをめぐらせ、社会の枠のなかでの決まりごとと私個人についての繋がり方を見据え、てんこもりでときどき息が苦しくなるほどつらくなりましたが、『火宅の人』をそのつらいところも楽しんで読み終えました。

檀ふみがなぜあのようであるのか?まで考えてしまい、私の思考は果てしなく桶から溢れてしまっています。読書直後だからもっとも新鮮であるので書いておきますが、乱雑になるのは覚悟の上ですね。明日は『壇』を中心に感じ考えたことを書いてみたいと思います♪