1999年に書いた文章です

今度の水曜日、実に3月18日以来、7ヶ月ぶりにまきこさんという私が9年通っている美容師さんのところに行けることになりました。実は2週間ほど前から行けるかな?と思っていたのですが、まきこさんがあいにく日本に帰って休暇中だったのです。帰ってきてからもきっと予約がいっぱいだろうな、と1週間ちょい遠慮をしてみてそれから電話をかけたら、やっぱりまだ混んでいて5日後になりました。

肩より短い髪型にしたことは中学校過ぎてから2回ほどしかないのですが、その理由はふたつ。ひとつは母が「髪は女の命よ」と呪いのように私に言い聞かせていたこと。ふたつめは物理的に長くないとうまくまとまらないことです。遺伝なんでしょうね。髪が多いのです。まっくろだし、太いし、硬かったと思います。髪からして健康を訴えていたというか…(爆)。小さい頃、母のその想いとは別に田舎に預けられるたびに叔母に騙されて床屋に連れて行かれて短く切られていたのですが、やっぱりそのあと9月からの母の奮闘には理由があったようです。

哀愁だけではなく、くせっ毛で、さらにつむじの退化したものが額の真ん中のところにあるので髪がてんでんばらばらになっちゃって、髪がある程度の長さに伸びるまでは「怪傑ライオン丸」になってしまい、野良猫たちや近所のわんちゃんが敵だとみなすほどのたてがみ状態になってしまっていたのです。見ていて母はとっても悲しかっただろうし、さらに自分の髪をきっちりまとめられない私を見て、朝の忙しい時間にいらいらも募ったことでしょう。

今思えば長くしていたのにはきちんと理由があったなぁと思えます。額のつむじ退化ブツのいらだちをなだめるために、横分けにしてその前髪部分を目に入らないように横にぐくっと引っ張って結んでいました。いわゆるワンレングスはこの頃にはできていたわけです。すばらしい♪やきそば状態ではないにしろ、私の髪は普通にしていても少しWavy(波状)が入っていて決してまっすぐではないのですね。だからある程度の重みがないと、30m離れてみない限りまっすぐには見えなかったのでしょう。肩以上伸びていれば、重力がかかりストレートストレート♪ではないにしろ、かなりまっすぐになっていました。うーん、ハハさん、苦労をかけました(ぺこり)。

小学校も低学年を過ぎると自分で髪型を決めたいと言い出したのですが、マッシュルームカットというビートルズがやっていたやつにも敗退…。マッシュルームというよりは、ビキニ環礁のきのこ雲という感じだった…(汗)。オオカミカットというのが流行ったときは少しやってました。かみそりでじょりじょりと段をつけるので多さが損なわれてイケるわけです。母も襟足があったので髪の長さに関しても妥協していたようです。セシールカットというのがあったのですが、あれも敗退だった…。サーファーカットはなかなかイケたですね。段が激しかったから。聖子ちゃんカットというのも敗退でしょ。何か敗退髪型ばっかだじょ(爆)。

悩みは前髪でしたね。つむじ退化ブツがあるので、横分けのままでいるとどうもでこぼこしてしまって不自然でありました。で、真ん中分けが自然でいちばんよかったのです。だって前から後ろに向かってブラシするとちゃんと真ん中に自然に分かれるんだもん。ただ髪がきゅっと少し畝ってから下向きに流れるって感じ?わからないかな…。けれども母と戦争まで及ぶか?というくらいの険悪なケンカをして、「真ん中分けをするとただでさえキツイ顔がさらにきつく見える」と怒っていました。食卓で顔を突き合わせると「ああ、やだやだ。キツイ顔がもっときつく見えるわっ!」と怒ってご飯食べていた母。ごめんね、ハハさん。私はその頃から七難隠すよりもどばどば利用する傾向があったんだよ…(汗)。

そしてヘア&メイクのモデルのバイトをして、六本木や青山のヒップな場所にある美容院でアタマと顔と作ってもらってお金がもらえるようになり、今の髪型の原形みたいなやつに到達していったのです。「真ん中で分けて、長さは肩以上、パーマは緩めよりもきつめ、段をさらにつけても段がついていないように見える」って感じ。

面倒だったのは高校生の頃には校則っていうのがあって、ひどいことに「癖毛届」というのを出していたのです。入学のときのままの髪ならOKよ、って感じなのですが、流行に左右されてパーマをかける子がたくさんいたからその防止のつもりだったんでしょうねぇ。ちなみにくせっ毛の場合は水に濡らすとまっすぐになります。パーマの場合はウェーブが残ります。そんなわけで、私は一度「きついパーマを掛け直した」と疑われて、生活指導室の湯沸かし器で髪を濡らされたことがあります。そのときは潔白だったので、怒りまくって学校を早引けしてしまいました(爆)。

でもねぇ、やっぱりヘア&メイクで伊藤五郎本人とか萩原宗美容室のいちばんの売れっ子アシスタントでもうすぐ独立♪って人にやってもらうと、そうそう誘惑に勝てないわけです。だってきれいなんだもーん、髪。ちゃんとストレートパーマをかけて戻してくれる、っていう契約になっていたのですが、ついついそのまま放置していたことも何度かあります。なので、完全なる潔白じゃないんよ…。時期の綱渡りをやっていたことあり(爆)。

そしてそのうっとうしい学校を卒業してからは、なぜかストレートパーマブームになり、私のようなくせっ毛の人はそういうお仕事が毎シーズンごとにあったりして、何だかうれしかったです。バイト代プラスあとまで残る余剰な利益。22歳くらいまで続けました。

バイクに乗っていたので枝毛との闘いには壮絶なものがあり、髪をなびかせて乗るだなんてそんなぜいたくなことは1ヶ月に1回ほどしか自分に許していませんでした。ストレートパーマを繰り返しかけていたこともあって髪は傷んでいたし、毎日バイトをたくさんしていて60kmの移動をバイクでやっていたりして、ものすごい過酷な風力を髪にかけていたわけです。だから編み込みにしてきっちりまとめて先っちょをなるべく少なくして、冬ならばジャケットのなかにしまいこんでました。バイクに乗っていて不特定多数にかっこいい☆と思われるよりも、バイクを下りたときに特定少数の人に「髪がきれいだね」と言われるほうが私には大切なことであった…。

そして徐々に行かなくなる授業中やバイトの休憩時間や寝る間際のささやかな自分の時間に、枝毛切りをしゃかしゃかするわけです(爆)。もうシュミでしたね、これ。いつしかやっちゃってるっていうか。

アメリカに来てからも理由の根底は変わっていません。母からの呪いの言葉の「髪は女の命よ」と、物理的にどうまとめるか、という二点だけ。

まきこさんに出逢うまでは3・4白人やら中国人の床屋&美容院に行ってもみたのですが、何せお金に制限があったので冒険もできず、「何でこんな年になって小さい頃母親が代わりに悩んでくれていたライオン丸防止について考えないとあかんのやぁぁぁぁ!」といらいらしたことがあります。髪の質はここでは、多くて太くて硬いというのはもうお宝みたいなもんなのです♪みんな少なくて細くてネコ毛なのね。だからその髪質の人たちに適合するように扱われると、私の髪はどんどんでかくなってしまうわけです(爆)。そんな…もういいって。充分多いんだよ、髪。

まきこさんはうまくやってくれました。少しだけ「切りたがる」傾向があるのですが、私は40歳を過ぎるまではどうしても髪は伸ばし続けていたいなと思っているのです。なぜかというと、白髪ができると染めるのが面倒になるので、みんなショートにして頻繁に美容院に行くのが必至になるわけです。だってやっぱりショートって髪が私ほど多くなくても、手入れが頻繁に必要だよね?私の白髪が何歳で始まるかわからないのですが、とにかくそれまでは物理的にたくさん行かなくてもいいわけだから、ロングのままでいたいなぁと。ちなみにデータとしては母の白髪が始まったのが48歳とかなり遅かったのです。彼女が染めるようになったのは54歳からのこと。父が死んでからです。ちょっと希望の光なのか?(爆)

そして7ヶ月も放置して前髪がもうすこし我慢すればワンレングスになるんぢゃ?というところで、私はまた前髪を切ってしまいます。勉強するのにうっとうしいんだよな…。きれいでいるよりも、物理的に面倒な手間暇がかかることのほうをどうしても優先してしまっている私は、これから寄る年波を克服していけるのでしょうか?けっこう心配です。いじることよりも、身体を健康にして、内側から寄る年波と闘っていこうと思います♪

ああ、まきこさんに髪いじってもらうの楽しみ♪わーい!