2006-04-11

1999年のエッセイで書いたかもしれない・・・と思いながらも、起業をしたあとの自分の考えをまとめてみるためにもまた書いてみよう・・・。

『職業に貴賎はない』
私は心底これを信じています。選民主義にどっぷりなみなさまにはなかなか信じてもらえないのですが、私は食べるために仕事をしている人々に対して、なんらジャッジメントを下す気にはなりません。今の段階では、悠々と食べていけておらずとも、前のめりにやっていれば特に言うこともないかな、と。いつかその努力が報われ、ゆとりが少しずつ生まれ、自分の成長を楽しめる日が来るのを願っています。すべての人の将来が、その人たちにとって、よりよくなっていることを祈ることは、それほど悪いことではないと思うので、職業に対しても続けさせてもらっています。

USでは、「ハンバーガーをひっくり返す」職業、いわゆるファーストフードなどの技術がなくても大丈夫な調理をする人々を、最低時給の仕事としてよく扱いますが、どんな仕事だって、何もしないで他人に養ってもらっている状態よりは、私のような性格の人間には、ずっといいことに思えます。もちろん、職業を持ち生きていこうと思えない人たちにとっては、私のこの考えは通用せず、「いかにラクをして生きていくか」のレースでは、私はおそらくビリに近いほうを走ることになるのでしょう。ちなみに私の座右の銘のひとつには、『苦労は買ってでもしろ』というのがあるので、本当にたくさん授業料は払ってきました。「生きていさえすれば、また働けばいいのよ」と、やはりあくまで楽観的なのです。

ただ、社会科学をかじったので、なぜイマドキになっても、職業に貴賎があるように考える人がいるのか、そういう現象があちこちで起きるのか、は理解できます。自分が日々の努力を重ねて成長し、技術や知識を身につけてこつこつやるよりは、すでに出来上がっているヒエラルキーをまんまと利用し、他の人々を蹴落としたほうがずっとスピードが増します。悪口と同じですね。悪口を言う相手を超えるよりは、相手が今位置している場所から引きずり下ろすほうがずっと早くて簡単なのです。そして、自分がいい方向で非凡ではないことがわかると、平凡にまみれながら、何とか平凡ではないところを探したいと願い、こつこつと努力するよりは、他者を蹴落としたほうが自分の非凡さを周囲に少しだけ認めさせるテクニックのほうがラクだと、ラクを選んでしまうのですね。

正直にしっかり言えば、今、母がキチガイのように夢中になっているパッキングの整理整頓や細かい作業など、私にはできませんよ・・・。「彼女には頭脳がないから、ブルーカラーの仕事が好きなのだ」という揶揄よりは、できないことを認めてしまうことが、明らかな真実なのです。風俗に勤めている方々も同じで、私にはあんなテクニックもなければ、精神的マイナス(職業に伴う負担)を背負える耐性がないわけです。認めちゃうしかないですよね。政治家にしろ、芸術家にしろ、電気工事やさんにしろ、死体解剖後の遺体洗いにしろ、私には悪口を言って、貴賎をうんぬん言える立場にないと思うのですね。パイロットは運転手だと思っていたし、スチュワーデスは空飛ぶウェイトレスだと思っていたし、特に職業の貴賎など考えたことはありません。

が、しかし、職業に伴う+と-が、その人の人格や品位、暮らしぶりなどを左右するものがある、それはどんなものか、という解析はあります。かと言って、それにどっぷり溺れて勘違いし、他人をないがしろにする人に会わない限りは、特に日常的に考えているわけではありません。たとえば、他人のお金を右から左に動かしてお金を稼ぐ人は、そのお金が自分のものだと勘違いしやすいマイナス要素に曝されます。ビジネス上で扱った金額が、自分の価値の大きさのように錯覚するひどい例などは、Livedoor事件などで垣間見ることができました。解析はありますが、感情的に好き嫌いでもなければ、決定的職業的貴賎の根拠には乏しいと思います。

『職業には向き不向きがある』
職業で続けていけるか、楽しんでいけるかは、あくまで向き不向きが基礎になっていると思われます。動機の質や強さも大きな要因です。が、動機がお金であれば、お金が貯まり次第辞めてしまうかもしれません。強制されたものであれば、強制者が見なくなれば辞めてしまってもいいのです。続けていくための日々の実感は、自分が選び、自分がやっていることに対しての、Competence/Incompetence(能力のあるなし)が、続けていけて、しかも楽しみながら続けていけるかを大きく左右します。それに対してのイライラを自分で募らせながら生きていくことのほうが、作業内容がつらい仕事よりはずっとずっと心に圧し掛かってくるでしょう。

母のパッキングは本当に向いていることのようで、私がエージェントになって仕事にしてあげたいくらいです。が、問題は、人々はまったく知らない他人を家に招きいれ、プライベートな物事を曝すことなどできないことにあります。私は他人に見せてヤバイものを一切持っていないので、私が払える範囲でのお金で解決するならば、自分に向いていない仕事で期日があるものは、お金払います。母の航空券は10万もしませんでしたが、引越しサービスのパッキングを遥かに凌ぐ働きをしています。しかも、食事の面倒まで見てもらい、掃除もしてもらい(笑)。

私はそういう意味でも、自分の向き不向きをよくわかっており、生涯学生でいることを人生の目標にしました。そのためにはお金が必要で、それがかなうために、食べていくお金を将来的にも確保するために、起業をしたわけです。これまで学生を続けているあいだ、外見上は西さんだけに働かせていたのですが、14年で稼いだ不動産のお金は大きく、扶養家族者でい続けるために働ける金額よりはずっと多いものでしたし、海外在住者の家族手当は多いので、それに甘んじていました。今回の家の売却も、予定では+2千万ほどです。職業は、ネコ使いか、不動産転がしか、自己申請するときは迷うほどでした。今後、アメリカに支社を作るときは、当然、この間培った知識と経験則をフルに使う予定です。不動産は私には向いています。学校も向いているので教師になったほうがいいのか?と思うこともありますが、たぶんそれは向いていません(笑)。教えられることに向いているだけなので・・・。ウェイトレスは本当に向いており、天職だと思いたかったです。今でもチャンスがあれば、うんと繁盛しているお店のウェイトレスはもう一度だけやってみたいです。

『仕事はメシの種であり、あなたがナニモノなのかを語っているとは限らない』
私の知り合いで、ものすごいお金持ちで賢者であるのに、ポロシャツやスウェット、カーキパンツや作業服を着て暮らしている男性がいます。人が見ていないところで新聞を4誌も読み、蔵本はお客様を通さない部屋に隠してあり(笑)、仕事はしていないのです(私はその部屋に通してもらったことあり)。働きすぎたので、もう暮らせていけばどうでもいい、という感じ。人のお財布を計算することほどバカらしいことはないのですが、たぶん、利子だけで食べていけるほどのたくわえがあるのでしょう。車も古いベンツだし、すごい贅沢もしておらず・・・。逆に、クレジットカードを10枚も持っていながら、支払いのときに「落ちません」を連発させている人もよく見ます。ある会計士は、ツイードのダブルジャケットを着て、イタリアンシューズを履いており、ポルシェのサングラスや最新式の携帯電話にアタッシュケースといういでたちなのですが、内情は火の車なのかもしれません。車もBMWなんだけど、支払いが終わってないんだろうな・・・。私の古い友人で、タクシーの運ちゃんをしている読書家の作家志望の料理家のウィットに富んだ人がいます。お金はそれほどゆとりがなく、山あり谷ありでした。数年前、40になり、やっとマンションを購入する頭金ができたのですが、周囲は「タクシーの運ちゃん」と思っているだけなのでしょう。専業主婦になったお友だちも数人いますが、ものすごい油絵を描くことも周囲にはわかってもらえないし、弊社の社員すまいるでさえ、アメリカ帰りの+は弊社にしか帰依してもらえていません。だんなさまは理解してくれているにしろ、職業で物事を判断する人には、理解されていない人は、この世に溢れていることでしょう。

私は、主婦業などはてんでやらない、さすらいの引越し癖のあるいい歳こいた学生だったのですが、会社を興して生まれて初めて名刺を持ち、それで人々の態度が変化したことに気づきました。が、私がナニモノなのかをそろそろ理解してくださる外注さんが数人いるだけで、ビジネスの概念の中だけでは、私という人間は語れません。会社を経営するのも、私にはただのメシの種(将来分も含む)であり、それによって「すごい」などと言われることは、かなり迷惑ではあります。まだすごくなってないから?いや、すごくなっても、でしょうね・・・。