Jan 30, 2006に書いた文章です。

裏切る:(1)味方にそむいて敵側につく。(2)人の信頼にそむく行為をする。(3)期待や予想に反する。

私には自分で決めてきた規範がありますが、そのすべては、自分のなりたい自分像を決して裏切らないというのが軸になっています。自分以外に自分に対して本気になってくれる人など、「めったにいない」ことがよくわかっているせいです。

パートナーや母でも、自分の問題や仕事にかかりっきりになったときには、私のことなど考えるゆとりなどありません。しかも、私は自分の面倒がちゃんと見られるはずの大人ですから、たいていのことは自分で解決せねばならぬのです。

それには、「どんな自分になりたいのか」を持っていなければなりません。それがないことには、進みようがありません。「目標を見つけるのが難しい」「夢を抱くのはできても実現なんかしやしない」などという愚痴に溢れている気もしますが、それは古今東西、どんな時代でもどこの国でも同じで、嘆いてきた人は嘆いてきて、変化を求めず、目標や夢を持ってきた人たちはそれに向かって邁進していたのです。世間のせいだけ、と済ませない人たちは、いつの世にもどこの国にも溢れています。いつ気づいても遅くないので、生きているうちに、もう少し自分について楽観してあげてほしいものです。ましてや、世間で自分に対して本気になってくれる人がいなければいないほど、自分が本気になってあげなければ、悲しいではないですか。

自分に対しての「べき」「ねばならぬ」は、道徳やモラルの基礎です。しつこいようですが、コレは他人に通用することではありません。本人の心の底から湧いて出てきたものでなければ、誰が「刷り込み」しようとも、本人が自分のモノにするまでは時間がかかりますし、ヒネリが必要です。

その押し付けや刷り込みの希望的観測としては; 1.本人があたかも自分が考え付いたと思い込んでくれること。2.同胞意識がそもそも強く、自分の考えがたまたま母集団のそれとたまたま一致していると思い込んでくれること。です。

が、たいていの場合は、悲しいことに純粋培養でない世界では、その必死の刷り込み・押し付け側の努力は報われず、真反対の意見たちにも曝されることになります。そのときになって、自分の裡側から湧いたものでなければ、論理も通らず、納得もできず、長い時間をかけて信じてきたものを教え込んできたモノが、自己尊敬心を揺さぶる犯人となります。「果たして自分は自分のために、納得するように物事を考えてきたのだろうか?」という壁にぶち当たり、親や社会や教師、友だちやマスコミ、風潮・流行などに流されてきたのだ、とわかってしまうと、気づいてしまうと、かなり大掛かりな再構築を必要とします。

-いったいどのくらいの長いあいだ、自分は他人に従い、他人に振り回され、他人の思惑のレールの上を歩いてきたのだろう?と。

幸いなことに、私個人は、このような体験は、「日本という国家や体制」「日本の文化が醸し出す集団心理」などに限られてきました。父や母や親戚や目上、教師の言う通りなどに従ってきた覚えはカケラもなく、「何につけても一度で『はい』の言えない子」でした。「手のかかる子」ではありましたが、「相手にして飽きない子」だと、大評判でした(笑)。

が、その私ですら、自分の意志以外で決めつけてきて、疑ってこなかった規範をたまに見つけてぞっとするのです。

私のパートナーは、活火山ではあったものの、18歳で大学入学のために実家から離れるまでは、ずっと裡側に抑え込んできたものを、表現するチャンスが少ないままで生きてきました。直接的な疑問には対峙できず、剣道や他のスポーツで昇華したり、勉強をしてごまかすなどで生き抜いてきたようです。何の不思議もなく、彼は国立一流大に入りますが、そこで奇妙な行動に出ます。家に居た頃と比べて、だらしなく・みっともなく・まとまりのない・奇抜なことをしようとするわけです。ほぼ30年前の大学生だった彼が、最新式のラマーズ法の講演会に出席したり、両親が見たら叫び出しそうなほどに部屋を汚したり、浪費や貧乏をとことんまで体験して質屋通いをする羽目になるまで飲んだり、本当に「反抗」したのでしょうね。

その5年間(留年しました)のおかげで、今の彼があるのだと思います。「昔はきれい好きで規則正しくて常識を絵に描いたような子だった」というのに、私はかねがねダウトしていたのですが、お義母様も太鼓判を押していたので、この5年は大切な5年だったのでしょう。就職してからも、父の影は重くのしかかってはいましたが、無断欠勤をして山に篭ってみたり、営業車の中で日がな1日寝ていたりと、まともではない反抗は続いたようです。

自分は積み重ねの存在ではあるが、途中、自分の意志により、行動を変え、考えを固め、必要があれば考えそのものも根底から構築しなおし、どんどん進んできたいい例だと思います。

彼は、私といっしょに暮らしたことを戦いだったと思う部分もあるようですが(笑)、全般的に楽しかったと思っており、別居生活6年になっても、離れたままの状態で、ふたりの資産を使っての会社設立に納得し、すんなりと23年勤めた会社を辞め、今に至っています。苦しい9ヶ月でしたが、いい話が年明け早々舞い込み、どうやら本格的に黒字経営に突入していけそうです。そうなれば、ますます、彼の規範は固まっていくことでしょう。

パートナーが偉いのは、もう身体が「運動をきちんとしないと気持ち悪く、うまく反応していけない」ところまで、鍛えたところにあります。どんなに忙しくても、どんなに心にゆとりがなかろうとも、どうしても運動をしないと気分が優れなくなります。運動を続けている限り、彼はきっとまた元気にすぐになれるので、見ている側の私はとても安心です。わかりやすい規範です。

18年ほど前にUSに来たときからずっと私の規範たちは、その根底をいつも試されてきました。また去年から台湾で、本格的に仕事を開始して、さらに試され続けています。さらに、日本で仕事をするに当たっても、逆カルチャーショックで、自分の規範が通用しないことにも日々試されてきています。規範はどんどん増えてくるようです。質も同時に向上してきたと信じたいところです。どうしても自分だけは裏切れません。弊社が儲からなくても、有言実行することや他人の倖せも組み込んだ儲けを追求することや、製造業者の努力に報うことなどは、どうしても譲れないことです。会社概要での、企業理念を書いたのは私ですし、そうできなくなったら会社などおしまいにしてしまうしかありません。

私は、自分を裏切ることは、たとえ誰かのために一時的にそのときにはなってもしないことにしています。たとえば、嘘。本人のためを思えば、真実を言わないほうがいいよ、との意見もあることでしょう。ガンや他のTerminal ill問題がそうです。 がゆえに、いつも冷たい・厳しいとのご批判も受けますが、それは全部引き受けることにしています。ちなみに、私は近親者や愛する人には、「ガン告知されたいかどうかアンケート」はもう済ませてあります。父のときに、大騒動をして学びましたので。

他にも、酒を飲むならごはんは食べない、とか(笑)。人を責めるときには、自分も同じだけ責めるとか。いろいろありますが、自分を裏切らないための規範であり、他人の信頼を裏切らないためではありません。結果的に、他人の信頼も裏切らないでいければ、それが理想です。

最近、自分を裏切りましたか?