少し忘れていたことなのですが、私はどうも知らない人に話し掛けられる率がやたらと高い、ということ。家にこもっていた時期があまりに長かったので、買い物や病院に行くと他人とふれあうことが新鮮だった、ということもあり、ここのところ西さんの送別会で「よく知っている」とは言えない人々に逢うことが多く、どうしたもんだろう?とまたもや不思議になりました。彼らは私を既知の人であるかのように扱うわけです。もちろん距離感というのが不愉快という意味ではなく、垣根やバリアをすぐ超えられる何かというのがそこにある、という意味です。

私はアジア人の30代半ば女性にしてはかなり背が高いのですが、私より背の低い西さんに同伴されても平気でヒールのある靴を履きます。それが奇異に見える人々が少なくなったのもうれしく、ユーミンの歌っていた『5cmの向こう岸』はもう愛でる必要もないのだなぁとうれしくなります。ここのところ、タンゴやコンサートなどを含め、久方ぶりに「うわぁ!お化粧してるぅ!」「ドレスを着てるぞぉ!」という日が増えています。けれどもどうも容姿だけではないらしい…。

トロピカルな顔と自分で思ったことはなかったのですが、私は日本に居る頃から「ね、どこかの血が混ざってるの?」と恐る恐る尋ねられたことが多かったです。で、いつも冗談で、「んん、長野と静岡のハーフね♪(^○^)」と切り返していたもんです。うーん、両親を見ても、両親の両親たちを見ても日本人の顔ですね。長い淘汰のなかで、韓国や中国の面影が薄れてしまっている日本人の顔です。遥か昔にはシルクロードが交差する中央アジアの血でも入ってたのでしょうか?

渡米してすぐ気づいたことなのですが、私はスーパーや映画館でやたらと声をかけられる。”Is this any good?”(これっていいの?)と日本では店員さんに尋ねるような質問とかね。あとは時間や道順をよく聞かれたりしたもんです。集中英語学校に通っていた頃の英語というのはひどいもんで、そういった単純なカンバセーションさえもまともにできなかったわけです。文化がついてこないし、ボキャブラリーがやたら貧弱で、笑顔はこわばるし汗はかいてしまうし。英語学校の先生たちがよく言っていたことは、「ここでは最初からあなたたちの話す英語を理解しようという誠意がつまったNatives(土地の人:ここではアメリカで生まれ育った人たち)ばかりだけれど、社会に出たら You are on your own(自力でやる立場にある)なのだから、社会で通用する英語を話せないとね」ということでした。まさかねぇ、背中にMy native language is not English. Please bear with my English. I am improving.(私の母国語は英語ではありません。辛抱してください。がんばっています)とかいう看板をつけて歩くわけにもいきませんしねぇ。で、英語学校のキャンパス以外ではいつもこわばりつつも、チャンス到来!と思いつつ、知らない人と話すことを楽しみにもしていたわけです。

日本人同士で歩いていても、なぜかアプローチされるのは私であることが多く、それはやはり混血に見えるせいなのか?と思っていました。今でもそれはぬぐえないファクターではありますが、どうもそれだけではないようです。

社会にやっと出ることができ、英語で飛行機学校に通ってもやはりこの「知らない人に話し掛けられる」は続いていくわけです。「どうして私がこのスーパーにあるアスパラガスについて意見を持たないといけないのよぉ…(-_-;)」などと思いつつも、なぜだか知らない他人と話すことが楽しくなっていくわけです。教科書ではまったく見ないスラング(俗語)や、映画のなかでのフレーズが使われている♪と自分も映画のなかでのラインを頻用したりとかね。あまりつまらない切り返しだと対話はそこで終わってしまうわけです。何かを即座にぱぱぱっと答えないといけない。これはいい英語の訓練でありました。

一度帰国し、父を看取ってから働きはじめたときも、どうも渋谷あたりで地下鉄に乗れない外人が気になってしまうわけです。まぁ、東京の地下鉄って東京生まれで東京育ちじゃない人にはたとえ日本人でも学習が必要かもしれない…。あまり規則性がないですからねぇ。それを英語の地図なんかで眺めてどうしよう、どれだろう?なんて言っているわけです。私はどうも知らん顔というのができない質のようで、いっしょに地図を覗いてしまうくらいに身体を傾斜させたり、地図を見ている人と目を合わせてしまうのですね。←これが原因であったのだ!ヒューマンウォッチング積極的態度!(・o・)

たくさんいる日本人にまみれているなかで、どうして彼らが私に話し掛けてくるか、というと、やはり私の態度に原因があったことがわかるのです。両手を広げて待っているってぇんでしょうか?顔に「聞いてみてぇ!」と彫ってあるんでしょうか?それは日本語の本を読んでいても、ウォークマンで耳をふさいでいてもあまり関係のないことで、彼らはそれをどうも察知しているらしい…。

帰国するたびに「迷子の外人」を助けるのは日常チャメシゴトになりました。お手伝いできて光栄ですな♪私が海外に出ることで得たものはこんなことじゃぁ返せやしない…。

なぜかスーパーでもおばあちゃんに、”Honey, would you pick the Cambell’s tomato cans? Just a couple?”(「ハニー、キャンベルのトマトソース缶を取ってくれる?2・3個お願い」)などと声をかけられます。そのとき、廻りにいる人々を観察してみるわけです。うーん、確かに私以外の人は一心不乱に買い物をしている確率が高い。冷凍食品の冷蔵庫の前でもそうです。”Why are they much more expensive than those? Are they any good?”(「どうしてあれよりこっちのほうがずっと高いんでしょ?これおいしいの?」)と尋ねられるとき、私は確かにそのブランドを確固とした自信を持ってつかみとっていたりするわけですね。うーん、なるほどなるほど。

そう言えば、こんなことはアメリカに来たから始まったってぇわけではなく、御徒町であろうが、新宿であろうが、地元付近の調布であろうが吉祥寺であろうが、果てはふらっと旅に出た見知らぬ土地であろうが同じことであったよ…。どうも私は誰かに声をかけられやすいのです。どうして八百屋さんで「おねえさん、今日は大根が安いよ」と言われてしまうのか?とは思ったことがなかっただけでした。八百屋さんがそう言うのはお仕事だからだと思っていました。でも確かに全員にまんべんなく言っているわけじゃぁないもんな…。

そして夕べ、西さんが発掘してプログラミングを依頼したというコンサルティング会社の経営者夫妻とその息子さんと話していてわかったのです。私はどうしても「人の目をいちばん最初に見る」という癖があることを。目を合わせるという行為はやはりWelcome(歓迎)しているというサインだからでしょう、とのことだったわけですね。彼らいわく、「ほら、今だってウェイトレスと目を合わせたじゃん?」でした。うーん、指摘されたらそのとおり♪その人の体格とか容姿全般よりも、まず目を見るというのは事実。防衛本能がないのか?>私…。(-_-;)

せっかく話し掛けてもらった他人なんだから、となぜかEntertain(もてなす)ということを忘れないので話しが続いてしまうこともあり、飲みやさんで知らない人と知り合うのはこういう理由もあるのでしょう♪よくお友達には、「ん?今の人知り合いなの?」と言われてしまうことあり。(・o・)「ん?いや、今日初めて逢ったの」というとびっくりされてしまいます。

ああ、何だか私ってば狩猟民族でなくてよかった。(>_<) もしも部族同士の闘いがあったら、最初に殺されてしまうところだったでしょう。知らない人に話し掛けられてオープンなことはいいこともあるけれども、それなりに悪いこともあります。今のところ、私にはそれによるいいことばかりが多いですが、いつか大きなしっぺ返しが来るのかもしれません。実際、無防備すぎるということで起こる犯罪もあります。こういう自分を知っているのでへんな場所にへんな時間にひとりで行くことは自戒しています。

あなたが見知らぬ他人といちばん最後に話したのはいつですか?自分の醸し出す雰囲気というのを意識したことはありますか?全般的な自分の態度に気づいたことはありますか?長年のなぞがやっと解けた私は、今日、かなり気分がいいのでした♪(^○^)