2006-04-19にアップした文章です。

私が特別に冷たい人間なのか・・・←「やーやー、そうだよ」という声があちこちから聞こえるのはなぜ?(笑)他人の悩み事をわざわざ聞くということは、私はしません。テーブルの上にすでに出てしまったものを、無理やり下げさせ引っ込めることはないにしろ、Welcomeモード光線をキラキラさせていないのは、やはり私の厳しさや冷たさにあるのかもしれません。

なのに、どうして一時期、セラピストになろうとしてたのかって?(爆)これには理由がありますね。セラピーに来る人は、もういくつかのハードルをきちんと超えているのです;

1.とにかくよくなりたい、という切実さ;ある程度の楽観を備えている。

2.あらゆる助けのオプションの中で、「自助」することを選んだからこそセラピーを訪ねている;タダの素人の友人の助言では足りないのだ、という意識がある。他人に覆いかぶさって負担にならない傾向を示す。セラピストは、現実的には個人の生活を肩代わりするものではなく、自助をするための道を示すものですから。

3.今の経済状態がどうであれ、現在いくばくか保険が使えたり、保険が使えなくて自腹でセラピー代を使っても、いつかきっと「よかった」と思える準備ができている。

このハードルを超えているかどうかには、大きな違いがあります。そのへんで、愚痴や文句や不満をたくさん言ったり、悩み事を他人にすべて預けてしまっている人々とは、やはり違う。それぞれの問題の深刻さは、その個人によって受け止め方が違うので、問題のマグニチュードはあまり関係ありません。セックスレスであれ、不安神経症であれ、NEETであれ、薬物依存症であれ、将来のガイダンスであれ、悩み事の質に対する態度の問題です。根本解決をしたいと心から願える準備ができているかどうかの違いも、この3つのハードルでかなり差が出ます。

お金のかからない公的機関を使って問題解決ができない人々は、他人のせいにする確率がものすごく高いです。自己責任が取れず、経済的な自立ができなかったことも社会のせいにしてしまうことが多いです。学歴や能力主義など、資本主義国に生まれ育った現実を直視せず、しっかり対峙してこなかったツケなのですが、その累積は、特に弱っちくなっている時期、とてもつらいはずです。少なくとも自分で自分の口を養う程度の経済的自立は、大人ならば誰にでも必要です。ホームレスの考察で書きましたが、先天的な疾患やその他のモザイクになったいろいろな理由がある人に対して、私は冷たくないです。つらくてしょうがない、もうこの先の道が見えない、という状態ならば、ここで、根本的問題解決をするために、大きく時間とお金とエネルギーを使ってもいいのでは?と思うのです。ケチっている場合ではありません。そのための情報を得るには、イマドキはネットがあります。

友人や恋人や配偶者に相談して、大きく寄りかかって、友情や愛という名の下に、自分で解決するのではなく、誰か他の人に解決しようとしてもらう依存傾向が高いです。自助という意味があまりわかっていないのです。あくまで問題を抱えているのは本人で、本人がタックルしなければ何も根本的には変わらないのですが・・・。私はとても冷たいので、誰かのために何かをしてあげることはほぼありません。母にもつい先ごろ言われたのですが、「足が弱ってきたんだから、もう少しゆっくり歩いてよ」と。私が彼女のペースに全面的に合わせるのは、彼女のためにはなりませんから、自分のいつものペースより数十%落として、彼女の今のペースより数十%上げたスピードで歩くことにしています。現在、朝晩、彼女にはサプリメントを飲んでもらうことを習慣づけようとしており、関節に塗る薬もいいものを買いました。自分でやらねば意味がない。私の身体ではないのですから・・・。今日、母は映画で、Julie Andrews(Sound of Music, Mary Poppinsなど)が71歳だということを知り、とてもやる気になっています♪

ネットでただ愚痴をぶちまけている人々は、証拠もないのでなんとも言い切れませんが、もうそれが「生活スタイル」な場合が大半だというのが、私の推論です。自分を向上していけるためのいい癖ではありません。自己正当化ばかりしている場合には、特に「関わり合いたくない」と思えます。同じ悩みを持っている人々を見つけ、そこで安堵し、悪口を増長させていくのがオチです。

チャットでの経験では、同じ場所に同じ時間に来て、同じことをずっと言い続ける人がいるわけです。どんな話題をしていても、強引にどうしても自分の愚痴や不満に持っていく人々は、想像していたよりもずっと多かったです。彼らの9割は、自分のせいではないことを強調し、言ってどう変化するわけでもないことを理解しながら、「言えばラクになる」という幻想に甘んじていました。いやいや、同じことを何度も繰り返して言っていたら、聞いている相手から疎まれて、自分の耳から脳にリピート効果により記憶の変化をもたらし、脳内ケミカルの分泌もネガティブになり、いいことないから(笑)。ずっと溜め込んでいたつらいことを吐き出すことと、習慣化することは違うからね・・・(汗)。

Blogや掲示板でもそうです。Blogでは最初から、愚痴ることが目的、吐き出すことが目的、というひどいものが多くあります。掲示板でも書き手にちゃんと注意力を払うと、「なんだよ、またこの人か」というのは、相当多いです。その個人の生活スタイルで、「愚痴や不満や悪口は込みコミ;パッケージなのよ」というのが圧倒的なのには、驚きます。「飽きないんだなぁ」というのが、率直な私の感想です・・・。上記のように、ネガティブな思考の悪循環に自分で自分を突き落とし、螺旋階段をクルクルヒラヒラ落ちているようなものですから。そのネガティブさの中のせめてもの救いが、「食べ物」「薬物」「簡単でラクなこと」「買い物」「通りすがりのヨロコビ;その場だけの刹那」などへに集中し、自分を好きでいる材料がどんどん減っていくことになるでしょう。Self-esteem(自己尊敬心)にとても悪いですよ・・・。

ヒトでいて、社会生活を強いられている私たちは、誰でも条件こそ多様なれど、根本的苦痛や悩みは、似たようなものです。ネガティブさをドラマ化していいことなどは、映画化やドラマ化、脚本化、小説出版、ネット出版など、いくつかあるとは思いますが、本当に私小説で自分を世間にさらけ出して、削られていく代償は小さいのか?もしも、ドラマ化しても得るものがないのならば、やはりあまり有効ではないです。

私は、このドラマ化に加担したくもないので、チャットルームで遭遇してしまったら聞きますし、ごはんを食べていたり、日常暮らしているときに相談されれば、話はきちんと聞きますが、答えは同じです;「最終的にはあなたが決めることよ」と。方法論はいくらでも披露しますが、自分が聞きたいことを求めて相談している人に、聞きたい答えをあげることはできません。あくまでセラピスト的態度なのです>自助が目的。

私には悩みがないのか?根本解決できない悩みはありませんし、大きな命題はヒトである限り、女性である限り、老いていく限り、いつも抱えて真摯に対峙しています。お金がない→稼げばいい。健康がすぐれない→予防医学と対症療法と予後医学を徹底。頭が悪い→勉強すればいい。時間がない→使い方の検討。自分の言うことが相手に通じない→わかるコミュニケーションを選ぶ、これでもかと挑む。

というわけで、悩みはないです・・・。裸足の季節になると、足のかかとが堅くなるなぁ、と思えば、ユーカリとアロエのオイルがたっぷり入っているクリームだし、長風呂でかかとこすってますしね・・・←こんなの悩みじゃないよな(笑)。

やっぱり私は冷たいのね・・・(爆)。