2006-04-21にアップした文章です。

暴露: (1)他人の秘密・悪事などをあばいて明るみに出すこと。 (2)直接風雨にさらされること。また、さらすこと。

父が生前、森昌子が、3人娘(山口百恵・桜田淳子・森昌子)の中でイチバン好きだったこともあるし、そもそも森昌子は悪口が言える対象でもなく(ニュアンスなのですが・・・)、私は今まで特に意見を持たないで来ましたが、今回の暴露本の特質を持った手記、とても不愉快です。慰謝料をもらわなかったのも自分なのだし(養育費だけ)、なぜ、この時期に?再デビュー前に?と、売名行為の悪い様相が見えています。

古今東西、さまざまな暴露本が出版されましたが、現在では、「暴露本」というジャンルで、検索できる販売サイトもあるようです。

暴露本の定義というのは、本人の了解を得ずにその人の隠れたエピソード や 経歴を書いたもの。法律ギリギリのところで、かなり悪質なことを書いてあるものもあり、辟易です。さらに気になるのが、ある個人が、自分の体験記として、登場人物になった他人のことを暴露することもあり、本人に了解もらっとけや、と思うことがものすごくたくさんあります。ネット、特にBlogが流行してから、その傾向には拍車がかかるばかり・・・。掲示板でもそうでしたし、リアルの生活でも同じなのでしょうね。

他人の了解を取らぬまま、他人のことについて書く・書ける、というのがどうも私にはわからない。一般的に、私は西さん・社員のみなさまには漠然とした了解を取ってあり、もしも「グレイライン」であれば、その都度聞いてみることにしています。そこでダメだと言われたら題材として使わないです。

あるいは、私の話の例を、実際に起きたことではあるが、漠然とした誰にも個人特定できない他人のこと、にするために、特定できない努力に走ります。年代をぼかしたり、年齢をあえて書かなかったり、職業やその他、関係のないことを余計に書かないようにしたり、住んでいるところや専門などを省きます。本人が読んで気づかないこともあるので、けっこううまく行っているかもしれません。

細かいことを記述してある場合には、必ず本人の許可を取ってあります。ご安心を。

ただ、時折、私に起きたことで、相手の許可を取れない状況に陥っていることがあり、特に、私のPTSDの加害者については書けません。私はその人との接点をすべて滅却したので、許可は取れないです。誰なのか、特定できないようにすることもできず、この点についてはずっと思い悩んでいます。いつか書きたいと思う日が来るに違いないと思っているからです。が、探偵を使って本人を探し出しても、許可をもらえるとは思えず、どうすればいいのか、と考えあぐねているところです。被害者なのだから、と簡単に言えないでしょう。相手にも権利があります。刑事事件にはできない問題で、民事にすることも難しく、私は法律に頼ることを一切やめ、自分が治ることに専念しました。それに、復讐というのは、私の辞書にはないので、そういうトーンの書き物になる予定ではないのですが、人の受け止め方はさまざまです。ですから、遠慮して数年が過ぎました。

この私の性格を踏まえて・・・。やはり暴露本や、私小説の中での登場人物の詳細の描写というのは、私には、「許可制度」「マナー」だと思えるのです。日々、掲示板やBlogで「本人が読んだら・・・」を想定しないで書いてしまったことを、本人が読んで傷ついたり立腹したりすることは多々あるのだと思います。私は、もしも、登場人物だけにわかってしまい(特定できるという意味ではなく、「俺のこと書いたでしょ」「私のことでしょ」の次元)、傷ついたり立腹したとしても、「事実」」を論拠でバックアップする自負がある事柄だけを書くようにしており、本人にとがめられても、論理で説明することができます。

まだ、苦情は一件しか来ていません>ビジネスパートナーについて、「この文章のくだり、特定できるかも」と苦情があったので、削除・編集しました。他には、まだ一件も苦情はないのですが、諦められているのかもしれません。

そういう品位の人間なのだ、と毎日試されているような気分ですが、それはいい訓練なのでいいことなのです。使わない手はありません。呼称やボキャブラリーや全体的な態度やこだわりなど、文章を書くに当たって、いろいろな側面があり、私という人間が構築されているので、いい機会だらけなわけです。

逆に、私は掲示板で、私が参加していない板で、しょっちゅう例として出されていましたが、それについては、「イメージ先行するので、あくまであなたの解釈なので、やめていただきたい」と苦情を申し上げました。もう6・7年以上前のことです。印象は、本人が書く言葉以外で、どんどん育って変形してしまいます。事実を曲げることに長けている書き手もたくさんいるわけです。そんなこともあり、掲示板で討論になると、勝手な印象をつらつら重ねる人々と接する結果になることになるので、掲示板の討論は避けるようになってしまいました。

一度曲がってしまったものを直すのが、どれだけ難しいものかを、多数決のマジックを、量のアピールを、私は知っているつもりです。引きこもっており、リアルライフが希薄な人に狙われたら最後、留まることを知らず、どんどんやりあうしかないことになります。実際に、そんな板があちこちで見られます・・・。すごい時間とエネルギーだなぁ、よそに使えば?というのが私の率直な感想です。

森昌子の私生活がどうであったのか、私にはまったくわかりませんが、どうして「現場・その場・そのとき」に処理してこず、後になってから文句垂れ垂れなのでしょう・・・。自己正当化に思えるのです。病気だったことが事実だったにせよ、病気だったことを事実として語ることと、元夫の悪口を並べることは、2つの違う事です。自分が愛し選んで、子どもをもうけた相手のことを、別れたあとに悪く言う。やはり私には大抵抗があります。

そういう意味で、高倉健などはすごいっしょ。江利チエミのことを、彼女と別れてから、褒めたりなかったとしても、悪口など、一度も言ったことはないはずです。すごいです・・・。えへへ、私は健さん、好きだ♪

暴露をしたいことがあるような人生、つまんないですよ、本当に。後から振り返るのではなく、その場で対処しましょ。そうすれば、あとから暴露なんてする必要がない。お願いします。聞いてても読んでいても、気分のいいものではないことは確かです・・・。