05/03/2006 にアップした文章です

コメント欄でご指摘があったので、追記めいたエッセイを・・・。浮気をする心理・動機についてから書いてみたいと思います。

西さんと私が知り合ったのは、私が25歳のときで、30代に突入するまでは、よその男に目が行くことはほぼなく、意識することもありませんでした。が、30代に突入するとある種の焦りが出てきます。『もう女としての盛りを過ぎたのではないか?シンドローム」です。離婚が結婚して5年以内のものがイチバン多いのも、この年代で初婚をし、まだまだ市場で通用する年齢な人たちが、このカテゴリーに入るせいなのでしょう。

渡辺淳一の不倫作品がバカ売れして以来、年齢はそれほど限定した範囲ではなくなりました。が、ヒトが誰でもいつかは通るのが、『老い』に対する不安です。恐怖まで行くかどうかは人それぞれですが、女性のほうが老いを受け止める年齢が早く、男性のほうが遅いとされています。が、実際の性に関するパフォーマンスでは、男性のほうが下り坂にかかるのは早く、早い人で20代真ん中からなので、その時期と重なることが、不倫人口が増える大きな要因だと思われます。この生殖能力ではない、が、セクシュアリティ(性的存在、性性)に対する不安は、身体的老いのサインを最初に感じてから起きます。

私個人の場合は大悲惨で、オーガズムを得られるようになったのが26歳を過ぎてからですから、わずか5年ほどで、老いについて考える羽目になったわけです(笑)。そこが女性の性的ピークの皮肉なところで、実際は、女性は30代真ん中から40代真ん中くらいが平均的性的ピークなのですが・・・。そんなこと習うまで知らなかったし(爆)。

そしてヤバかったのがネットです。ネットでの出会いはお手軽で、セックスや性的刺激、そこまでは行かずとも出会いを意識したものが多く、グループでチャットしていたり、投稿をしていたところから、オフ会へと繋がり、不倫はかなり手軽になりました。不倫の準備がない人々にも不倫は簡単に起こってしまうわけです。今だから笑って言えることですが、数人と電話もしましたし、会うこともありました。が、アメリカに住んでいたおかげで、後戻りできないようなドキドキ感を求めることもなく、不発や未遂、行きずりで終わったものが多かったのです。

私の場合は、ほんの2年くらいで自分のセクシュアリティについては自信を取り戻しました。事実として、学術的Human Sexualityのコースを取ったことがプラスになり、もう一切男女の関係になりたいと思える人は、ただの観賞用として見ることができるようになりました。が、まぁ、そう思える人も実際はものすごく少ないのですけどね・・・。ネットという媒体のお手軽さの嵐にもまれていただけで、真実としては「自分に酔っていただけ」の段階で、不倫どころではなかった。ただのカジュアルセックスがしたかったら、ネットは本当にお手軽すぎる空間です。

ネットで出会った女性で、ひとり、結婚して子どもにも恵まれた女性が、「セックスは愛の究極の表現方法だから、めったな人とはしたくないし、夫以外とするつもりはまったくない」と言い切っていた人がいました。ただのFlirting(口説き、褒め)もひらりとかわし、本当にしっかりした感じでうらやましく思ったものです。自分には子どもがいないから揺ら揺らするのか?と枝葉のほうを見てばかりいました。が、Human Sexualityを心理学の面から習ってそうではないことに気づくわけです。

本当に充実した関係をしっかり持っていれば、配偶者や恋人と恋に落ちたままの状態を続けながら、さらなる家族愛や同胞としての絆を深めれば、他の誰ともセックスなどしたくない、ということです。それは、進化心理学の解釈である、オス・メスの違いはありません。究極的な場面では、男女に違いはなく、愛の昇華は「限定」へと繋がることが大半です。カップルによっては、自由恋愛やフリーセックスなど、条件をつけての継続が可能かもしれませんが、安定と信頼を基礎としている関係では、おそらく波が起きる確率が多いものになるでしょう。

さらに言及すべきなのは、不倫をする人々は実は「運命論」を行動に移していないのです。恋愛を始めたり、結婚を決意したりするときには、「この人が運命の人」と多くの人が思いたがります。が、そうであれば、「運命の人#2」「運命の人#3」が存在する余地はないわけで・・・。多くの人々が理想だと思い込んでいる「小指の赤い糸伝説」を体現したいがために、運命の人なのかどうか見極めないまま、いっしょに住み始めたり、結婚をするケースは増えていると思われます。運命の人が見つかったのであれば、他の誰にも魅力は同じボルテージで感じるわけはないことでしょう。

私は幸運なことに、西さん以上に人としても自分のパートナーとしても「コレ以上の人はいない」と言い切ることができます。離婚するようなことがあっても、彼は私の親友を止めて去り行くことはありえないですし、たとえ会えなくなったとしても、死んだとしても、この事実は変わりがありません。ですから、私の熱病だったような時期の2年ほどは、本当に自分のセクシュアリティの自信のなさの揺るぎの確認行為だっただけで、私から彼を去る、彼が私を去ることは、オプションにはありません。そういう意味では、「運命の人」と言えます(言いたくはないんですが・・・爆)。

私の好みの男の人が現れて、「ああ、身体がもうひとつあればな」と思うことは、今でもたまにあります。が、相手も行動に移さず、私も行動に移さず、それでいいのだ、と満足しているわけです。かっこいい人はたまにいます(笑)。人として荘厳なオーラを放っている人もたまにいます。そこで私は、「セクシュアリティなのか?人としての全体的品位や存在なのか?」を問うことにしています。が、西さんから去ってまで、というのは、今までひとつもありませんでした。コレからもないことを願います。が、人生は何があるかわかりません(笑)。

浮気の本質は、心理的には、「自分の老いを試すために誰かを巻き込む」「自分の愛し方や愛の深さを、相手を変えて試す」という行為なので、もっともっと基本に戻って、やはりまず確認しなければならないのは、自分の存在や成り立ち、自分の心の層やその性質です。あまりに独占的な愛情を得たいのであれば、運命の人は「独占的な愛が欲しい」と願っている人です。セクシュアリティも同様で、ふたりが何をしようと他人のビジネスではありません。SMでも何でも、好きならばふたりでやればいいですが、求めているものが合致しないのであれば、それは運命の人ではないのです。

運命の人に出会っていないことを認めることができない自分の心をまず顧みるところから、浮気の本質を見る旅は始まります。あるいは、運命の人に出会っているはずなのに、自分を愛しきれない自分の心を認めるところから、自分にとっての浮気の是非を考える旅は始まります。他人がなんと言おうと、自分が正しいと思う道を進めばいいわけです。他人や配偶者や子どもや恋人を傷つけてでも、自分の人生を謳歌したいというならば、周りすべてに認めさせるくらいの意気込みが必要です。

あいにく、私の場合は、他人に浮気を認めさせるほどの動機はありませんでした。ただのセクシュアリティの自信の欠如でしたから、迷いとはあっさり2年ほどでおさらばできました。この先も何があっても浮気はしない覚悟です。次に恋して愛を育てたいと思う人が現れたら、それは本気であり、浮気ではないですね。

ひとつだけ言えるのは、西さんと私が築いてきた関係を、またゼロから始める気力は私にはないです(笑)。母も同様だったようで、父が死んでからボーイフレンドはできましたが、かなりな距離の違いがあります。「さみしいからいっしょにいるだけでいいの?」と問う私に、「年老いたらこの淋しさはわかるわよ」と笑いますが、確かに子どもがいない私には、もっと大きな淋しさを背負わねばならぬチャンスがあると予測します。なので、西さんより先に死ぬことを所望します・・・。

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