05/21/2006 にアップした文章です。

 

私のボキャブラリーでは、「力」がかなり使われます。が、本当に伝わっているのか?と少し疑問を持ったので、解析してみたいと思います。教育問題が日常で取り上げられており、Blogや新聞や広告を見ても、言葉遊びとは思えない、まったくの不思議な使われ方がしてあることに、とても違和感を覚えている今日この頃なのです。力だけではなく、他のボキャブラリーもそうなのですが、今日はコレを。

力: (1)人や動物の体内に備わっていて、自ら動いたりほかの物を動かしたりする作用のもととなるもの。具体的には、筋肉の収縮によって現れる。 (2)そのものに本来備わっていて、発揮されることが期待できる働き。また、その程度。効力。 (3)ほかに働きかけて影響を与えるもの。(ア)ほかの人を支配し、自分の思うとおりに動かすことのできる勢い。権力。勢力。 (イ)ほかの人が目的を達成しようとするのを助ける働き。骨折り。尽力。 (ウ)人の心を動かす力強い勢い。迫力。 (4)何かをしようとする時に役に立つもの。(ア)行動のもとになる心身の勢い。気力・体力。精気。 (イ)修得・取得した、物事をなしとげるのに役立つ働きをするもの。能力。 (ウ)支え。よりどころ。 (5)〔物〕 物体を変形させたり、動いている物体の速度を変化させる原因となる作用。巨視的な力としては、物体表面に働く圧力や物体内部に生ずる応力などのほか、力の場を形成する重力と電磁気力がある。微視的には、原子核の核子間に働く核力と、原子核・電子間および電子相互間の電磁気力が基本的な力である。さらに、一般的には素粒子の相互作用のことを力とよぶこともある。

幼い頃、理科が苦手だと思い込み、さらに高校を卒業するまで、化学や物理などでさらにひっかかり、留学してアメリカで初めて、自分は科学に向いているのでは?と疑い始め、今日に至った私としては、このバラエティのある「力」というボキャブラリーを、英語であるパワーと使うことが多いのです。が、エナジー(エネルギー)と言い換えられることもあり、混同して伝わっていないかととても心配です。

自分が活動できるための力は、食べ物をインプットして生きており、脳内ケミカルにしても、生命体としての機能がしっかり働いていない限りは分泌されません。他にも、外界からの刺激により学習を重ね、人づきあいの中などから学ぶことが多いので、外からの力を受け容れスクリーニングして、外に出すことも大切です。

たとえば、個体として100の力を持てるとしたら(平均値として、という大まかな、真空管状態の設定基準の話です)、それ以上の食べ物を食べれば太ってしまい、内脂肪がたくさんついてしまい、歩くのも走るのも億劫になり、あまり健康ではありません。仮に、他人と比べることが大好きで、自分が1000を持てる人間の器があると自負していたとしても、1000以上持つことはオトクではないのですが、なぜか人は力を得たがります。

お金持ちになって、マグロのように食べられる生のステーキをたくさん食べたとしても、果たしてそれを毎日のように続けることが倖せなのでしょうか?お金がたくさんあり、ブランドバッグが2ダースも3ダースも買える状態になっても身体はひとつです。ロクに使いもしないものを所有することが本当に倖せなのでしょうか?棺おけに詰めてもあの世に持って行けないお金をたんまり持っていることも同じです。スイス銀行に隠したとしても、身体はひとつです。どうやって使い切るのでしょう?

学歴も同じことです。いい大学を出たところで、何かを成し遂げるために使い応用する知恵がなければ、ただの飾りです。ならば、口に出すこともおこがましいことです。前情報として、知性を誰かに見せびらかし、脅し、位置関係を設定することがそんなに必要なことなのでしょうか?

父方の神主をやっている叔父は中卒ですが、長野県で駅から片道30分もかかるど田舎に住み、そこに生涯留まっていますが、私は彼の知性と心のまっすぐさを、とても尊いものだと確信しています。祖父は全盲になりましたが、同じく尋常小学校しか出ておらずとも、日本書紀と古事記を諳んじることができました。点字もマスターすることはありませんでしたが、あらゆる微妙さがわかる、いろいろなことが健常者以上にこなせる、私にとっては魔法使いでした。父も中卒だったために、私の大学を誇らしげに話しまくっていましたが、中退宣言をしたあと、とても悲しそうでした。父は私がアメリカの大学を出たことを知らぬまま逝ってしまいましたが、さぞかし歓んでいることでしょう。劣等感の裏返しだとみなしていますが、私にとっては特にいい大学に入ったことには意味がなく、いい教授陣にナマで教えてもらえたことに意味がありました。特典としては、文化的著名人がよくスピーチに来ていたこともオトク感が募りましたが・・・(卒業前のオトクはBill Gatesでした)。

英語では、Power Tripという表現をします。いわゆる麻薬などを使ったときに用いるトリップで、力に酔いしれている状態を指します。当然、外れる率も5%前後はあるのですが、SMを好む人たちは、このパワートリップの醍醐味を楽しんでいるのだと、心理学では解釈します。弱肉強食のシンプルな形を再現するには、現代のような複雑な社会では、セックスが最も容易です。が、他にも、夫が妻を養ってやっている宣言や、お金や学歴や年齢などで、パワートリップをしている人々はたくさんいるので、一概にはまとめられませんが・・・。

パワーゲームやパワートリップではない、自分の内側から出てきて、学習をしつつ、外界との接触に努めるプロセスでの力を使うことを、私は大いに推進しますが、他人に向けての力を示す態度を忌み嫌っています。働きかける側だけではなく、そのまま甘んじて受けている人々に対しても同じ想いです。

私はこの年齢になって、世界の中での自分の位置がだんだんわかってきましたが、まだしつこく、映画検定やTOEICを受けようという気になっています。生涯の夢である、『死ぬまで学生』を続けるためにも、経営者に回りましたが、特に固定観念に囚われることなく、バイトもしちゃう予定です。それは、私が外に対して自分のパワーを示したいという欲がないためで、実質的に究極的に自分のためになるのであれば、何だってするという、自分の内側にある力の限界への旅路を歩いているせいです。別に、ある場所である時期に、他人に使われることがあってもかまわないし、経営者であることをいろいろな人に口外して回る気持ちにもなりません。

自分が生まれ持った身体とそれにくっついてきた脳みその持つポテンシャルを、いかに咲かせてから死んでいけるのか?というのが、私の大きな絵柄での目標なので、小さい部分で挫けたり、気分を損なわれたり、回り道することは、まったく厭いません。むしろ、することがなく、ぼーっとしている時間が長いと、ひどい罪悪感に苛まれてしまうので、何かの役に立つのであれば、歓んでやっちゃいます。力は、そこにあるだけで、見せているだけではまったく意味がなく、動かすことにより、体現することにより、エネルギーへと変化します。

こんないい歳こいて何やってるんだか、と思うことに、鏡をたまにしか見ないのに、見たときに、染めている髪の黒い部分が増えているか?というのを、じーーーーっと見るという作業があります。体重や身長は確かめようがあまりないのですが、髪が確実に伸びているところを見ると、なんだかとてもドキドキしてしまうのです(笑)。あー、生きてる、生きてる♪と、とてつもなく歓んでしまうのですね。食べたものがきちんと身体に入り、身体はそれをプロセスしてくれていることを、実感できるのが、この髪と耳掻きです(笑)。

テストは、脳みそのプロセスの実感かな・・・。日本で、クイズ番組は見るのが大好きです。あ、11ヶ月居るから、クイズミリオネアに応募しようと思います(爆)>芸能問題じゃなければ、たぶん数百万は軽いと思うのよ・・・。