05/23/2006 にアップした文章です。

 

ネタバレ満載ですので、ストーリーを原作でしっかり読みたい人は飛ばしてくださいね!

ここ1年ほどは成田でしか日本語の本を買わないように努めています。でないと大量になり、パッキングをする母を悩ませることになるからです。しかも、4月に引越しをしたときに大反省したのが、本の多いこと!処理できる本はすべて寄付するにしても、手放せない本がけっこうあります。教科書の類までに及ぶとかなりの数で、大人の男性が持ち上げられるよう、本用という引越しの箱に入れたのですが、30箱以上ありました。

さて、この本も成田でギリギリを買ったのですが、エイッ!と思いながら、重い単行本を買ってしまいました。1700円くらいしたはずなのに、どうして2時間で読み終わってしまうのか・・・(涙)。倍くらいの時給を稼がないと、私の生活は成り立たないことになってしまいます。あるいは、もう今後は図書館通いをして、一切新書は読まないだとか、本屋には行かないという規制をつけなければなりません。英語の本を貯め買いすることにしているのですが、コレも考えないとな・・・。

さて、昨日に引き続き、テーマは片想いです。

東野圭吾作品には、まさしく『片想い』というタイトルもありますが、これはTransgender にミステリーを投げかけたもので、元来の彼の作品と比べると少し変化球。とは言え、彼の作品群は、すでに変遷が伺えるほどになっており、彼が作家としてのトライアル&エラーを恐れない姿には敬服します。私が彼を好きなのは、彼がスーパーロマンチストだからでしょう。この『容疑者Xの献身』で直木賞を獲ったのですが、数学的精密さに関して不満足感が私には残りました。彼自身がエンジニアだったので、もう少し突っ込んでくれるかと思ったのですが、軸としておおまかなもので終わっています。が、他のいくつかの論点は網羅してあったし、片想いを表現した腕前はお見事でした。さすが、スーパーロマンチストです。

殺人を犯した片想いの相手に、どれだけ献身できるか?すごい命題です・・・。

私は残念ながら、天才と呼ばれる域の頭脳を持っていません。あくまで秀才になれる器です。自分の限度を知るということは、悲しいですが、それはそれですっきりします。が、この主人公の高校数学教師は、天才の器であったにも拘わらず、人生の波に揉まれて天才さを世間に傑出させることなく、ストーリーに登場します。その頭脳を駆使して、片想いの女性とその娘を守る作戦に出るのですが、最後まで読めばわかる通り、物理学者で大学助教授の湯川学に見破られてしまいます。

私が最後までストーリーに曳きつけられた理由は、「こんなに深い片想いをするほどのどんなきっかけがあったのか?」でした。やはり、そのきっかけは、最後の10ページ以内で記されており、最後まで読まされてしまった感じです。天才が世に傑出できず、人生を断とうとしているまさしくその日に、ロープを掛けようと思いあぐねていたときに、母娘が生命を救うきっかけを作ってくれ(ただの引越し挨拶)、その後、いつもの単調な暮らしに一筋の光を射してくれたことでした。「そんな単純でありきたりなこと」と一見するとがっかりなのかもしれません。私は、PTSDをやったので痛いほどこの気持ちがわかります。炭鉱で働いたことも、トンネル堀も実際にはしたことがありませんが、長い長いキリのない暗闇を、体力もなく、目的もなく、希望もなく、ただあちら側にお宝があるから、光があるから、というまったく不確実な理由だけで進むことは、とても苦しい。誰かがカンテラの光を掲げて、いっしょに歩いてくれるだけで、人生には色が帯びてきます。

もともと、この主人公が純粋で、生活の種々のセンスに欠落する部分があったので、なおさら、彼の感謝と恋情は募っていったのだと思われます。あるいは、元来の彼のLoner(一匹狼)の癖で、出会ってしまった対象への想いはどんどん純化していったのかもしれません。それは、恋心というよりは、人としての核にある愛情の最も小さい単位から始まった、とても自然に沿ったもので、雑音が入らない分、接点が少なかった分、殺人の肩代わりをするのも厭わないほどの想いへと進化したのかもしれません。

とてもナマな感情で、2進法があります。好き嫌い、愉快不愉快など。その最たるものが「存在すること(が必要だ)」という1か、「存在しない(しなくてもいい)」という0。その対象を0にしてしまうくらいならば、自分が0になったほうがいいと思う心、とてもけなげに思えます。そのあとにくっついてくる、想いを返してもらいたいという二次的なことは、どうでもよくなる・・・。

そんなことを東野圭吾はここで表現しようとしているのだな、と私は感じました。打算が心の芯まで身についてしまった人にはわからないかもしれません。数字と日々戦っている数学教師がゆえに、その純粋さには高潔なものがあり、ナマミでそれを表現することが可能だと思えたのかもしれません。

以前書いた通り、命題を証明することは楽しい。ゼロを証明すること(存在しないこと)を証明することはとても難しい。自分の中にある1が強い恋心を否定しないで、想う相手の1をずっと大切にしていくことは、至難の業です。たくさんの矛盾とも戦わねばなりません。できることなら、1だけではなく、相手により倖せになってもらうことを祈るばかりです。自分といっしょではなくともいいのです。とにかく、1が続くことだけをひたすら願う。祈る。なぜなら、自分が0になりそうだったときに、1に留まらせてくれた感謝の気持ちが大きく、それに潰されてしまい、その感情をもてあますほどに想いを大きくしてしまっているからです。

その後、もしも母娘が引越しをしていたらどうなっていたのでしょう・・・。数学教師はまた自殺未遂をしたのか、ストーカーになったのか、このへんは想像するしかありません。彼女がもしも再婚したらどうなっていたのか、また違うストーリーになっていたことでしょう。

彼女が犯した身代わり、というだけではなく、数学教師は、想う相手のために、別の殺人を犯します。なぜならば、それにて、彼の片想いの相手の殺人は別件となり、警察が追いかけている対象がまったくズレこむからです。それくらい、彼は自分の持ちえる頭脳を彼女のために費やしたのですよね。片想いの相手のために殺人ができるのか?私はできる人間なのかどうかわかりません。そんな事態に追い込まれたことはないですから。が、気持ちはわかる。

数学教師の旧友、物理学者の湯川学は、片想いの相手がまったく何も知らなかったことを、友人のために哀れに思い、彼女にすべてを告げてしまいます。娘は自殺未遂を図り、彼女は警察に出向いてきます。知らぬふりをしたまま、彼女が好いた人と再婚する手もあったのに、です。それが、片想いをずっと続けてきた数学教師の願いと祈りであったにも拘わらず、です。数学教師は、まったくのところ彼女のタイプではありませんでした。誰のタイプでもなかったのかもしれません。

が、彼の片想いだけは確実に存在し、彼がそれを昇華しようと体現しようと努めたことは確かです。

こんなに劇的な展開ではなくとも、片想いを昇華する方法はたくさんあります。たとえば、すぐに思いつくのが、Gloria Estefan のAnything for Youがそうですね。そばにいられるならば、彼がどんな子とつきあっても、あなたが望むままを私は受け容れるわ、あなたの倖せをいつも願っている、というような内容です。Anything for you

しかし、東野圭吾にはまたやっつけられました。片想い体質の私には、かなりぐーっとくる内容でしたよ・・・。どうせ片想いするなら、コレくらいやってみろ!と延髄蹴りをされた感じになりました。ロマンチストでいたい私には、コレくらいのことができるとは思うのですが、いかんせん、そんなにドラマな人生たちに遭遇しないところが痛いところです(笑)。